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          <dc:title>「二重の窮乏」下の平等理念 -現代世界とキリバス南部環礁の社会生活-</dc:title>
          <dc:creator>風間, 計博</dc:creator>
          <dc:creator>カザマ, カズヒロ</dc:creator>
          <dc:creator>KAZAMA, Kazuhiro</dc:creator>
          <dc:description>総合研究大学院大学</dc:description>
          <dc:description>博士（文学）</dc:description>
          <dc:description>本論文は、キリバス共和国南部、タビテウエア・サウスの一村落における実地調査に基づいた民族誌である。本論の課題は、調査地における社会生活を詳細に記述し、そこに見出される特徴的な現象を世界システムとの関連の下に理解することである。
　調査地の小規模な社会は明らかに開放系であり外部世界の動向と無縁ではないが、同時に直接世界システムと結合しているわけでもない。まず、両者を段階的に架橋することが理論的課題である。そこでオセアニア島嗅国のMIRAB経済（MI：出稼ぎ移民、R：移民からの送金、A：財政援助、B：官僚制）論を援用し、さらにMIRAB経済の典型から外れたキリバスの国民経済をFFAB経済（F：基金運用益、F：入漁料、A：財政援助、B：官僚制）と規定し、調査地の社会と世界システムとの接合を試みた。MIRAB経済に特徴づけられるオセアニア島嗅国は世界システムの「最周辺」、さらにキリバスは「最周辺の周辺」国家と位置づけることができる。タビテウエア・サウスは「最周辺の周辺」国家内のさらに後背地にある。キリバスのFFAB経済を支える国家のレント収入は、その大部分が首都に投下される。後背地のクビテウエア・サウスには、国家収入を配分する機能を担った官僚制が充分に浸透しておらず、村落の人々まで配分は行き渡っていない。人々はコプラ収入と不定期の賃労働により現金を得るしかない。また、キリバス南部の環礁は中央太平洋の乾燥帯に位置し、降雨量が不安定でありしばしば早魅に襲われてきた。歴史的な生業活動の衰退も相俟って、人々が在地の食料のみで生活を維持するのは困難な状況にある。移入物資に食料や必需品を依存する一方で、交通・流通基盤が未整備なために、慢性的な物資欠乏が生じている（第I、II章）。
　このようにタビテウエア・サウスは、世界システムの中の位置および生業経済の脆弱性によって窮乏を条件づけられており、これを「二重の窮乏」とよぶこと力くできる。「二重の窮乏」条件下において、同地の人々が在地の論理を用いて、いかに社会生活を編成しているかが本論の民族誌的記述と考察の主題である。それを要約すると以下のようになる。
　1）　国家の官僚制やキリスト教会と村落社会との接点に集会所（マネアバ　mwaneaba）が位置している。旧来の民族誌に描かれた「伝統的」マネアバとは異なり、現在のマネアパは行政末端機構や学校制度、キリスト教会に付随し多様化している。マネアバは、関係する社会集団の運営に関わるさまざまな事柄を話し合い、決定する場であり、島社会に対する政府または外国からの政治的・経済的働きかけは、全てマネアバでの討議を経由する。合議では、政府の役人や教員など外来者はあくまで客として扱われる。彼らは、政策等を人々に説明したり説得する役割しかもたない。また合議は長老を中心に行われるが、突出した発言力をもつ個人は不在であり、合議参加者全員が合意に達するまで話し合いは続けられる。合議の決定は平等理念（ボーラオイ　boraoi）に沿う必要があり、例えば政府からの賃労働の配分は各村や個人の間で均等でなければならない。決定は人々に対して強制力をもち、違反者には罰（tua）が科せられることもある。マネアバは、外部世界の論理を遮断したり、受け入れ可能な形に変換する装置であり、社会集団内部の集団的メカニズムを体現している（第III章）。
　2）　マネアパでは、饗宴（ボータキ　botaki）が頻繁に開催されている。国家やキリスト教会の行事、外来者の歓送迎、人生儀礼などさまざまな機会に行う饗宴をすべてボータキとよぶ。ボータキには必ず共食が伴い、さらに参加集団ごとの踊りゃ合唱の対抗戦、客と主催者間の贈与交換が行われる。ボータキは社会集団間あるいは外来者と村人間の緊張関係を友好関係に転化し、平等理念を繰り返し再生産する場である。タビテウエア・サウスでは、社会集団レベルに平等理念がきわめて強く作動している（第IV章）。
　3）　日常生活においても、懇請（bubuti）や衆人監視によって世帯や個人レベルの平等化が
起こっている。個人的な財蓄積は妬み（bakantang）を喚起させ、人々の間で札轢を招く。通常、人目に晒した所有物は他者からの懇請の可能性を排除することができない。秘匿によってのみ個人的所有物に排他性を賦与することができる。人々にとって、窮乏状態（kainnano）にあると他者がら見なされることは恥（mama）である。持つ者（kau bwai）は他者に与えすぎて自らが窮乏に陥ると愚が（tabaua）といわれる。逆に多くを秘匿すると利己的（katei n rang）、吝嗇（kaiko）といわれてしまう。このような状況下において個人は、物資や財を人目に晒して鷹揚に分け与えるか、適度に秘匿して他者の懇請を回避するかを選択するしがない（第V章）。
　4）　調査期間中の物資が極度に欠乏した時期、多くの村人が小規模商売を始め、やがて個人経営の商店が林立するに至った。流通の再整備により物資欠乏は緩和されたが物価上昇や一部個人の財蓄積が生じ、不公平（ボーブアカ　bobuaka）な状況に対して不満の声があがった。ボーブアカを解消するための方法を探るべく、島全体の合議がマネアバで繰り返し開催され、結局首都から卸売会社の支店を誘致することに成功した。ボーラオイを揺るがす事態が生じたとき、人々は集団的メカニズムを作動させて解決を図る（第VI章）。
　5）　タビテウェア・サウスでは、生業活動のみによる生活維持が困難であるため、移入物資に依存せざるを得ない。そこには商品交換が必然的に伴う。ボーラオイ理念に合致する贈与交換とは異なり、商品交換には同理念に反する財蓄積が起こりうる。しかし、2つの交換は相互に矛盾しながらも併存している。人々は場所や相手に応じて行動形態を切り替え、両者を使い分けている（第VI章）。
　6）　現在のタビテウェア・サウス社会は、マネアパを中心とする集団的メカニズムと平等理念とにより特徴づけられる。そこでは社会内に国家の官僚制等、外部世界の論理が入り込むことを有効にブロックし、同時に、主体的に社会生活を形成する場を維持している。マネアバ内の合議やボータキにおいて集団レベルの平等化が作用し、さらに日常的な個人の生活レベルにおいても、平等理念が卓越する。持つ者の所有物は平等理念に沿って常に分散化し、平等化が実現する。世界システム「最周辺の周辺」国家の後背地にあるタビテウエア・サウスは、窮乏を外部から条件づけられている。その条件下で、長老を中心とした社会集団は主体的に対応し、在地の論理によって窮乏条件に対峙し、人々の生活維持は可能になる。すなわち「二重の窮乏」下において、集団的メカニズムや平等理念によって財や物資は社会集団成員に行き渡り、持たない者の欠乏は補填される。人々の主体的対応は、社会集団成員全体の生活維持を可能にする「適応」ということができる（第VII章考察）。
　本論文において、世界システムと調査地の小規模な社会とを理論的に架橋することの重要性を指摘した。そしてMIRAB経済およびFFAB経済という地域的な国民経済を媒介させて両者の溝を埋めた上で、微細な社会の主体性を具体的に描くことが可能であることを示した。</dc:description>
          <dc:description>総研大甲第343号</dc:description>
          <dc:description>thesis</dc:description>
          <dc:date>1998-09-30</dc:date>
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