{"created":"2023-06-20T13:19:59.919311+00:00","id":1,"links":{},"metadata":{"_buckets":{"deposit":"35f87667-a1b5-468e-91f4-4711881b0ce3"},"_deposit":{"created_by":1,"id":"1","owners":[1],"pid":{"revision_id":0,"type":"depid","value":"1"},"status":"published"},"_oai":{"id":"oai:ir.soken.ac.jp:00000001","sets":["2:426:3"]},"author_link":["7348","7347","7349"],"item_1_creator_2":{"attribute_name":"著者名","attribute_type":"creator","attribute_value_mlt":[{"creatorNames":[{"creatorName":"楊, 海英"}],"nameIdentifiers":[{}]}]},"item_1_creator_3":{"attribute_name":"フリガナ","attribute_type":"creator","attribute_value_mlt":[{"creatorNames":[{"creatorName":"ヨウ, 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モンゴル族は、清朝時代に再編成を受けたため、現在ではオボクとヤスが特殊な地域にしか存在しないとみられている。その一つか内モンゴルのオルドス地域である。オルドス・モンゴル族は、長らくチンギス・ハーンの祭祀を主宰してきた集団で、伝統文化を維持する意識が強い。それゆえにオポクとヤスは今日もなお存在し、機能している。現実の社会生活のなかで、モンゴル族はオポク集団の一構成要素となるヤスを重視する。ヤスが象徴的な意義を帯ぴているからである。したがって、社会構造の本質をあきらかにするには、ヤスの象徴的意義に注目してオボクを研究し、ヤスとオボクの関係から考察する必要がある。それは、現代におけるモンゴル族の社会構造研究の空白を埋める基盤になるであろう。\n 1)第一章の序論において、モンゴル族に関する人類学的研究の諸説について、検討し総括する。従来のモンゴル族に関する人類学的研究のうち、「社会構造」はもっとも比重の高い分野であった。「社会構造」研究のほとんどが、オボク研究を出発点としてきた。\n そのうち、歴史研究のほとんどが『蒙古秘史』などを材料とし、古代・中世の社会構造をとりあげたものであった。また、欧米の研究者は、かぎられた地域とかぎられたインフォーマントを対象に調査を実施した。かれらのあいだでは、ウラジミルツォフに代表されるように、オボク消滅論が主流であった。一方、日本のモンゴル族研究の場合には、実態調査にもとづくものが多く、その大半はオボクの存続を確認しているものの、その内容については解明していない。\n 先行研究では、オボクの内容を追及しなかったゆえに、オボクとつねにセットの形で出現するヤスすなわち「骨縁集団」についての致密な分析はされていない。ヤスのもつ理念的象徴的およぴ階層的な面が指摘されているものの、ヤスの実態は具体的に解明されておらず、ヤスの果たす社会的機能についての論攷もまったくなかったのである。\n 父系親族集団を「骨」でもって認識する社会構造は、レヴィ=ストロースも指摘しているように、北アジアのトルコ・モンゴル系諸集団に広くみられる。諸先行研究の蓄積と不足を受けて、以下に示す主旨で考察を進める。\n 2)オポク集団とヤスの実態について記述し、ヤスとオボクの相互関係を分析することによって、モンゴル族における集団編成の原理をあきらかにする。まずモンゴル族自身が父系親族集団であるオボクとヤスについて抱いている認識を呈示し、つづいて清朝時代とそれ以後のオボク集団の分布と移動の経緯を明確にする。同時にヤスとオボクの関係を詳細に分析し、集団の内部構成を究明する。ヤスとオボクの関係はきわめて流動的なものであり、その流動性には集団編成の原理が内包されている。両者の流動関係は、ヤスとオボクから構築する遊牧社会の流動的社会構造を特徴づけるものである。これを第2章で論じる。\n 3)チンギス・ハ一ンを対象とする祭祀、およびその他の諸祭祀について考察し、祭祀の果たす政治統合の役割を明確にする。\n オルドス・モンゴル族は、チンギス・ハーンを対象とする祭殿を維持し、その祭祀を主宰してきた特殊な集団である。祭祀を直接担当するのはモンゴル族の各集団から選ぱれた者で、いわぱ出自の枠を超越した集団である。この超出自集団が主宰する祭祀は、決して個々の父系親族集団の維持と統合をはかる祖先祭祀ではなく、モンゴル族全体の統合を維持する政治祭祀であった。\n 清朝の成立により、モンゴル族は社会構造の変容を余儀なくされた。清朝の行政機構のなかで、オルドス・モンゴル族は、モンゴル族全体の政治統合に関わる集団とは認められなくなった。広範な地域に散住するモンゴル族の統合は断たれ、オルドス・モンゴル族がつかさどる祭祀の目的も、地域の利益を守ることのみに限定されるようになっていった。祭祀の役割とその変容について第3章で述べる。\n 4)近現代史における民族意識の変遷について記述し考察する。近現代にいたって、オルドス地域をとりかこむ社会的政治的環境は一転した。それはまず清朝末期における漢族農民のオルドス地域への入植からはじまる。個々の外来勢力に対し、オルドス・モンゴル族はドゥグイラン(duguilan)という民衆運動を組織して抵抗した。ドゥグイラン運動の深化にともない、ヤスに代表されるような従来の階層的社会秩序に変化の兆しが生じた。この変化を第4章で考察する。\n 漢族農民についで、1930年代から共産党、国民党そして日本軍など国家的あるいは国際的な外来勢力がオルドス地域へ浸透してきた。これらの外来勢力は、いずれもモンゴル族の階層的な一面を利用し、チンギス・ハーンの祭殿を確保してモンゴル族全体を掌握しようとした。諸種の外来勢力に対抗するため、ヤスのもつ象徴性が機能した。ヤスの象徴的機能は民族意識の高揚と同調していたのである。これを第5章で論じる。\n 5)以上の内容を受けて第6章において、ヤスの機能とその歴史的変容を総括する。モンゴル族社会構造のなかで、オボクは具体的な父系親族集団を意味するのに対し、ヤスは本来その下位集団を意味し、同時に「血筋」としての象徴的な意味も帯ぴていた。それが、歴史的にはチンギス・ハーン一族の「優越出自」による支配の結果、オボクの下位集団としての性質が希薄化し、もっぱら「血筋」として定着し、機能するようになったのである。","subitem_description_type":"Other"}]},"item_1_description_7":{"attribute_name":"学位記番号","attribute_value_mlt":[{"subitem_description":"総研大甲第95号","subitem_description_type":"Other"}]},"item_1_select_14":{"attribute_name":"所蔵","attribute_value_mlt":[{"subitem_select_item":"有"}]},"item_1_select_8":{"attribute_name":"研究科","attribute_value_mlt":[{"subitem_select_item":"文化科学研究科"}]},"item_1_select_9":{"attribute_name":"専攻","attribute_value_mlt":[{"subitem_select_item":"01 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