@misc{oai:ir.soken.ac.jp:00000122, author = {若林, 明 and ワカバヤシ, アキラ and WAKABAYASHI, Akira}, month = {2016-02-17, 2016-02-17}, note = {本論は、表題の示すとおり広義の思想史、それも近代民衆思想史の分野に入る論考で
ある。この分野は思想史の分野では比較的新しい領域である。本論はそめ中でも、近代
における民衆的な人権意識に注目し、その展開を歴史的に明らかにしようとしたもので
ある。
しかし、この研究分野は従来の研究方法や手法では十分な解明が難しい分野である。
まず、民衆思想はその主体が、民衆であるがゆえに、分析に耐えうる十全たる対象を残
していないのが一般である。系統的な著作はもちろんのこと、文字化されたものが残っ
ているのもきわめてまれである。またその思想そのものが、内在的論理分析に耐えうる
ほど確固とした形をとっていないのが普通である。このような対象の性質から本論考の
大きな二つの特徴が導かれた。
本論の第一の特徴は、思想そのものを取り上げるのではなく、その思想を下支えする
意識・感性の部分に研究の対象を拡大したことにある。上記のような民衆思想の特徴か
ら、思想となり得ていないが、時間的経過の中で、新しい思想を生み出しきた観念的形
態。ここではそれを「意識」とし、それを歴史的に明らかにしようとしたのが本論の特
徴である。そのことによって、近世末期の、・百姓一揆を支えた人権意識的な諸観念や地
域中間層(村役人など)の行政能力を支えた自立的観念との継続性を見っけ出す糸口にも
なり、同時に、大正期以降の様々な文化的展開とも結びっく広がりをもつ民衆思想の一
側面を明らかにすることも可能になると考える。
そして、その対象に対して、近代形成期において有効な研究対象として芸能とりわけ語
り芸を取り上げたのが、本論のもうひとつの特徴である。対象とする近代形成期は、い量
まだ学校教育などが広く民衆まで強い影響力を持っておらず、マスメディアも未発達の
状態であった。人権意識という近代的意識もふくめた,民衆の諸意識に語り芸が強く影
響した可能性がきわめて高い時期であり、この時期こそ、語り芸が「民衆意識」を探る
対象として有効な時期と考えられる。
近代社会の形成・成熟過程で、民衆の権利意識が拡大・発展してきたことは、疑えない
事実であろう。そこには、社会のさまざまな要素が、人々に働きかけたことは容易に理
解できる。教育はもっとも直接的な影響を与えたであろうし、さまざまなメディア、生
活様式なども影響を与えたと考えられ、現在でもその研究は進められている。レかし、
それらの中に「語り芸」を考察対象とした研究は極めて少ない。ここには、思想を定型
化したものと前提し、さらに、芸能などはその表現形態のひとつであるという考え方が
あったように思う。本論では、上記のように.「意識」まで広げて民衆思想を考え・同時
に、語り芸がむしろ民衆の人権意識を豊かにしてきたとの仮説をたて、その歴史具体的
なあり方を探求しようとする試みである
第1部は、語り芸(講談)が、近代期の運動と最初に接点を持った自由民権運動期を対
象として、そこで芸能と政治意識の接点を象徴的に表現している『東洋民権百家伝』を
分析する。『東洋民権百家伝』が、小室信介という民権家であり、芸能的素養豊かな人物
によって著されただけでなく、この著作が、講談との強い関係の中で作られた著作であ
ることを考察した。r東洋民権百家伝』が義民といわれる近世の政治的主体を歴史として
まとめられたことと、上紀の講談との関係はきわめて自然な出来事であったことを論証
した。また、その中で近世の伝統を継ぐ「義民」=「平民的運動家」といえる主体が発見
されていった。これらは、近代における人権意識の培養土の初発的形を確認するもので
ある。

第2部は、第1部の検討をうけて、本論の対象とする1880年代から1900年代の講談
の内容的検討を行うものであり、同時に、当時の民衆的関心事となった「事件」=相馬事
件と講談内容の変化の関係を検討した。そこで、相馬事件への民衆のかかわり方が変化
する時期に、世話物と歴史物という分類から、世話物が歴史物へ、歴史物が世話物へと
相互に混交がおこり、その中で「侠客」といわれる人々の活躍が変化してくることを明
らかにした。異端者=悪人への関心から、彼らの中に義侠心を発見し、相馬事件などで正
義を行使するべき主体の資質とされるに至る。この時期の民衆的人権意識の展開の前提
条件をここで確認する。
第3部では、対象とする時期の語り芸を取り巻く都市の環境を検討した。本論の対象
時期は、近年研究の進んだ近代都市史研究でも、蓄積の薄い時期である。それも、寄席
を中心とした地域社会の検討を東京の中心地日本橋区・京橋区をフィールドとしておこ
なった。従来明らかにされていなかった寄席の地域的配置の変化や寄席興業の変化を
席亭の変化や寄席を支えた地域有力者層の変化と関連させて明らかにした。ここでは、
寄席やそこでの語り芸が地域の中間層によって担われ、この時期に大きな変化に見舞わ
れたこと。しかし、その中でも新たな芸能や新たな寄席興業を行うことでその文化的な
主導権を握り続けたことを論証した。これは、日本におこる人権意識がこれら中間層の
努力で発展させられたことを表している。尚、この3部は近代都市史の実体論としても、
従来蓄積の少ない分野へのアプローチとなっている。
最後の第4部では、人権意識の培養土として語り芸がはたした役割を最も象徴的に表し
ている、幸徳秋水という思想家をとりあげた。幸徳秋水の従来の研究では明らかになっ
ていなかった芸能との関係を明らかにした。さらに、幸徳の文体に注目し、そこに講談
と共通する要素を確認し、講談が刺激する感性として平民的倫理感が幸徳の思想を支え
た感性である事を論じた。これは、幸徳秋水・初期社会主義の評価へのこれまでの研究
とは異なった視点を提示し、方法的にも、論理内容に焦点を当てるのではなく、文体す
なわちレトリックにも焦点を当てた新しい提起となっている。同時に、近代思想史研究
で蓄積のある人物について取り上げたことで、語り芸と思想の象徴的な関係の例示をし
たものである。また、一部から三部のまとめとして第四部があり、人権意識の培養土と
して講談を最大限に活用した人物として幸徳を取り上げたものである。


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