{"created":"2023-06-20T13:20:07.247970+00:00","id":124,"links":{},"metadata":{"_buckets":{"deposit":"3351312f-f78c-48f6-b6f4-c5534bf0c408"},"_deposit":{"created_by":1,"id":"124","owners":[1],"pid":{"revision_id":0,"type":"depid","value":"124"},"status":"published"},"_oai":{"id":"oai:ir.soken.ac.jp:00000124","sets":["2:426:6"]},"author_link":["0","0","0"],"item_1_creator_2":{"attribute_name":"著者名","attribute_type":"creator","attribute_value_mlt":[{"creatorNames":[{"creatorName":"岡野, 浩二"}],"nameIdentifiers":[{"nameIdentifier":"0","nameIdentifierScheme":"WEKO"}]}]},"item_1_creator_3":{"attribute_name":"フリガナ","attribute_type":"creator","attribute_value_mlt":[{"creatorNames":[{"creatorName":"オカノ, 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/>れていた。しかし、それとは別に、太政官が直接寺院を監督するシステムが成立してい<br />たことを筆者は主張する。平安時代の太政官は、公卿・弁・史が政務を分掌する「上卿<br />制」であり、寺院行政も特定の上卿・弁・史が特定寺院の事務窓口となって執り行われ<br />た。そうした寺院行政のあり方を、「寺院上卿制」と呼ぶことを提唱する。(2)につ<br />いては、中世の主要寺院の僧団は、学僧と呼ばれる上層部と、堂衆と呼ばれる下層部か<br />ら構成され、学侶の中に僧正・僧都・律師などの肩書を持つ僧侶が含まれていた。(1)<br />で登場した、仏教行政機関としての「僧綱制」は、平安時代には僧侶内身分としての「僧<br />綱」に変質しているのである。そうした平安時代における寺院内身分秩序の形成過程を<br />解明しなければならず、本研究では、僧綱とその周辺に位置する有職(うしき)や「法親<br />王を含めて検討することにする。「法親王一僧綱有職制」が平安時代を代表する僧侶内<br />身分の上層部を構成していた、と考える。<br />第1編「寺院上卿制の研究」では、上卿・弁・史が寺院の政務を分掌した「寺院上卿<br />制」を・成立・展開・終焉の三期に分けて分析した。第1章「寺院上卿制の成立」にお<br />いては、新興勢力で南都と対立した天台宗が、公卿・弁官の官人を延暦寺俗別当とする<br />ことを求め、真言宗寺院もそれに続いたことや、東大寺にも俗別当が成立し、寺院行政<br />が上卿・弁・史によって担われるようになったことを指摘した。<br />第2章「寺院上卿制の展開」において、10・11世紀を中心に、俗別当制に限定せ<br />ず、寺院上卿制の展開過程を分析した。第一に、俗別当制から派生した「氏長者俗別当」<br />を指摘した。興福寺は藤原氏の長者と弁官が兼務する俗別当、および氏院・勧学院によ<br />って管理されたが、俗別当と勧学院は一体化した機関であった。また地方寺院では、そ<br />の檀越氏族の私称としての「俗別当」も成立した。第2点として、東大寺・大安寺など<br />の修理・造営を担った「造寺行事所」「造寺長官」の活動を分析した。造寺行事所は上<br />卿・弁・史などによって構成され、造寺長官は弁官が兼務した。第3点として、法会の<br />執行を担う上卿・弁・史を取り上げた。延暦寺・興福寺・石清水八幡宮寺の法会執行に<br />は、俗別当も関わるが、行事官は俗別当とは別のものであることが明らかになった。<br />第3章「寺院上卿制の終焉」において、12世紀を中心に寺院上卿制を分析した。第<br />1に・法勝寺の法会や経営を監督した上卿・弁の活動実態を整理し、その性格や特質を<br />明らかにした。第2に、鎌倉時代に伊勢神宮・東寺・延暦寺などの訴えを訴えを受理し<br />た上卿・弁などの特質・性格を論じ、伊勢神宮のことを担当した神宮上卿についても展<br />望した。<br />第2編「僧侶社会の貴族的身分秩序」では、「法親王一僧綱有職制」という概念を提<br />示して、これらの成立を論じた。<br />第2編第4章「身分としての僧綱の成立」では、第1に、奈良時代の僧綱制の機能と<br />構成員を分析し、僧尼名籍の管理、寺領監督権の実態、僧綱・佐官(威儀師・従儀師)<br />と「大寺」との関係を論じた。第2に、九世紀に天台宗・真言宗が「僧綱制」から離脱<br />したこと、さらにその天台宗・真言宗の僧が「僧綱」に列するようになったことの事情<br />と意義を探った。また天台宗・真言宗の「宗内」の秩序を明らかにした。<br />第5章「僧侶社会の身分秩序」では、第1に、「僧綱・有職」が11世紀初頭に国家<br />的法会や強訴の場に登場するようになった事情を、阿闍梨・内供奉十禅師・巳講の存在<br />形態と僧綱との関係から探った。第2に、法親王や貴族子弟といった貴種の入寺と昇進<br />制度の成立を跡づけ、また威儀師・従儀師が法親王に扈従するようになった事情を、法<br />務や貴種僧との関係から分析し、主従関係の意義を論じた。<br />第6章「寺院法と公家新制」では、法親王や僧綱・有職を頂点に据えた寺院社会が形<br />成されていく中で、国家や寺院が、その身分秩序をどのように維持・統制しようとした<br />かを、寺院法と公家新制を素材として検討した。<br />結論では、行政組織としての「寺院上卿制」と、新しい僧侶集団の身分としての「法<br />親王一僧綱有職制」の分析結果を踏まえ、「国家仏教」の制度分析に不可欠な事項と考<br />えられる、行政組織、僧侶集団、寺格、法制、国家的法会の5点について、整理・補足<br />し、平安時代の国家と仏教が「王朝国家仏教」として提示できることを指摘した。<br />","subitem_description_type":"Other"}]},"item_1_description_7":{"attribute_name":"学位記番号","attribute_value_mlt":[{"subitem_description":"総研大乙第174号","subitem_description_type":"Other"}]},"item_1_select_14":{"attribute_name":"所蔵","attribute_value_mlt":[{"subitem_select_item":"有"}]},"item_1_select_8":{"attribute_name":"研究科","attribute_value_mlt":[{"subitem_select_item":"文化科学研究科"}]},"item_1_select_9":{"attribute_name":"専攻","attribute_value_mlt":[{"subitem_select_item":"04 日本歴史研究専攻"}]},"item_1_text_10":{"attribute_name":"学位授与年度","attribute_value_mlt":[{"subitem_text_value":"2007"}]},"item_creator":{"attribute_name":"著者","attribute_type":"creator","attribute_value_mlt":[{"creatorNames":[{"creatorName":"OKANO, 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