@misc{oai:ir.soken.ac.jp:00000125, author = {小池, 淳一 and コイケ, ジュンイチ and KOIKE, Junichi}, month = {2016-02-17}, note = {本論文は陰陽道の近世以降における展開を民俗研究の視座から検討することを目的とし、二部一二章にわたって論じている。
序論では、主として民俗学の立場から陰陽道がどのように扱われてきたかを具体的に検討し、さらに戦後の陰陽道研究を幅広く取り上げて考察を加えている。その結果として、民俗研究としては、近世以降の陰陽道に起因する知識の具体的な姿を確定し、その位相をとらえた上で庶民生活との関わりを論じていく必要があることを述べている。
第一部では近世に成立した陰陽道書の内容と系譜、さらに民俗的受容の様相を明らかにしていく。第一章「「東方朔」の成立」では、貞享三年に刊行された『東方朔秘傳置文』を取り上げ、近世に至って板に付されるまで、「東方朔」と名付けられた知識がどのような位相で、どういった史料に現れているかを検討している。結果として古代以来、東方朔に関わると考えられた占いの知識が中国より伝来し、その内容は多様であるものの中世になると具体的な文言として記録され、近世に至って作者や選者は不明であるものの、農事に関わる陰陽道書として成立していったことが明らかとなった。第二章「「東方朔」の伝承」では、板本『東方朔秘傳置文』に限定することなく、「東方朔」という名称を持つさまざまな民俗の存在を指摘し、書物との関わりを意識しつつ、「東方朔」の民俗としての位相を探っていく。結果として、さまざまな「東方朔」の伝承は文字の持つ記録の蓄積や経験の集積、さらにそれらを批判、検討する庶民の営みと深く結びついていることを明らかにしている。第三章「「東方朔」の受容」では、前章で概観した「東方朔」の伝承を一定の地域社会で検討することを試みている。具体的には岩手県二戸地方の三上家に伝来した『東方朔秘傳』を取り上げ、その筆録者の生涯や民俗的な環境を探っていく。結果として、板本にない知識でも農事の改良のためには「東方朔」として貧欲に吸収され記録されていったこと、また月待ち行事の記録とともに「東方朔」は、民俗的な経験則の集成としての意味があったことが明らかになった。これは前章での全国的な検討からの知見を個別に実証したという意味を持っているといってよい。
以上の「東方朔」をめぐる検討を相対化するために、近世に成立し、広範に流布した近世の陰陽道書として「大雑書」を取り上げてさらに議論を進める。第四章「初期大雑書の位置」では、現在知られている最初期の「大雑書」である国立国会図書館蔵の寛永九年板を分析の対象に取り上げ、その成立に至る経緯、内容の検討を行っている。その結果として、初期の「大雑書」は中世の陰陽道書との内容における連続は認められるものの、表記は広い読者層を意識していることを明らかにしている。また中世の陰陽道書の内容を単純に受け継ぐだけではなく、さまざまな日用生活知識も取り込まれていることを指摘している。第五章では沖縄県宮古島南部の集落で個人の守護神祭祀に関わる書物「ソウシ」を取り上げ、その民俗的な実態と「大雑書」との関係を考察している。「大雑書」の地域社会における受容の様相を示している。第六章では青森県津軽地方における「サンゼンソウ」なる書物の印象を探っている。これもまた「大雑書」の受容の姿を示しており、南北に遠く隔たった地域において、それぞれ「大雑書」が生活の中に位置を占めていたこと、それによって書物の民俗ともいうべき課題が浮上することとなった。
第一部全体の考察を通して、近世に広範囲に受け入れられた陰陽道書と民俗との関わりを明らかにし、さらに庶民生活のなかで陰陽道の知識が生活経験を法則化し、記録する上で重要な役割を果たしたことを指摘する。また、従来、民俗研究において支配的な思考であった宗教者による特殊な知識の伝播、定着という視点にとらわれず、文字を操り、記録を残す庶民の活動を重視して、陰陽道のような宗教的な思想の展開を考察する必要があることが判明する。第二部ではそうした陰陽道の知識が、今日伝えられている民俗事象の形成とどのように関わっているのかについて検討を進めていく。
一章「陰陽道系宗教者像」では北奥羽地方の伝承にみられる陰陽道に関わる宗教者である博士とアリマサという宗教者そのものをめぐる伝承を取り上げて検討を加えている。第二章「陰陽道と説話」は青森県下北半島における民俗芸能の由来諌を取り上げる。これは従来、民俗芸能の伝播者として想定されていた修験の呪力を誇示するものと考えられてきたが、実は『ホキ』における陰陽道由来の説話を換骨奪胎したものであることを明らかにしている。
第三章「陰陽道と民俗芸能」では、前章の成果を意識しつつ、さらに民俗芸能そのものを詞章から分析している。その結果、民俗芸能にこの地域の宗教的社会的展開が溶かし込まれており、現在のかたちとなっていることが明らかとなった。特に山伏神楽として修験道の影響によって形成されたといわれてきた東北の神楽のなかに、陰陽道の要素が見出されることは今後の民俗芸能研究の視座としても重要である。第四章「陰陽道と昔話」は昔話伝承に見出される鬼の呪宝が陰陽道及び周辺の知識によって形成された可能性について論じている。高度の宗教的な発想が、比較的固定していると思われる昔話のような説話の中にも流入していることを確認している。結果として昔話伝承の形成に陰陽道の要素が影響を与え、変容していったことを見通すことができたといってよい。第五章「暦注の民俗態」は、三隣亡、半夏生、土用といった暦注を取り上げ、それらが民俗文化の中でどういった位置づけが与えられているか、またその原因について考究を試みている。これらは視覚化されにくい時間の意味づけであり、そこには陰陽道の知識の介在を見出すことができる。そして強い禁忌や物忌みの観念が自在に変容しながら民俗として展開していったことが判明する。第六章「陰陽道と民俗信仰の生成」は青森県津軽地方で盛んなイチダイ様信仰の形成過程を、「大雑書」の記述との対応関係を意識しながら解明したものである。書物の知識が民俗的に再解釈され、地域社会における神仏の祭祀や巫俗とも結びつきつつ、個人の守護神仏への信仰として形成されていく様相をとらえている。
全体の結論として、近世以降の庶民生活における陰陽道は、必ずしも宗教者の活動によって広められたわけではなく、板行された陰陽道書や暦書などに記載された知識が長期にわたってさまざまな契機を通じて流入し、民俗の形成に関わってきたことが具体的に解明されたといえよう。
また、こうした検討を通して、方法論的にはこうした作業を通じて、宗教者という視点を相対化し、書物の民俗文化における位相を意識するという視座を得て、その有効性を確認することができた点は重要である。, 総研大乙第175号}, title = {陰陽道の展開と浸透に関する歴史民俗学的研究}, year = {} }