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その後の展開、その特性や意義について、考古学の方法、資料によって論じたものであ
る。長崎は、従来、いわゆる鎖国時代の数少ない海外への窓口として、主に文献史の視
点から研究が行われてきたが、近年、長崎市街の発掘調査が進展するにつれ、考古学的
成果による研究がみられるようになった。しかし現時点では、出土遺物などの各論にと
どまっており、港市としての成立や展開、あるいはアジア海域史における長崎の位置が
総体的に論じられたことはなかったといえる。
本論文では、このような状況を踏まえた上で、長崎が東シナ海域のひとつの港市とし
て存在し、この海域の機能や様相の変化と共に長崎も変化したと仮定し、以下の課題を
設定し、本論として第4章にわたって検討を行っている。さらに付章として、海を前提
とした港市や沈没船の新たな視点からの資料論を展開し「海域考古学」を提唱する。
・長崎開港以前の九州沿岸部と島嶼部の考古学的な特質
・考古学からみた港市長崎の様相と展開
・海域の変遷と港市長崎の位置
第1章「古代における九州沿岸部・島嶼部の考古学的様相」では、国家形成期にあた
る前半から中国・朝鮮半島系の土器・陶磁器が散発的に流入する様相を明らかにし、後
半では、中国産初期貿易陶磁に加え、初期イスラム陶器や国内では壱岐においてのみ確
認される西アジア向け貿易品の中国産白磁が出土していることを提示。このような様相
を、この海域が貿易船の寄港を介して東南アジア以西の遠距離の海域世界と連鎖的に結
節していたものと評価し、考古学から「海域的様相」と意義づけた。この後の時代に続
く、対象とする海域がもつ時代をこえた特性を主張する。
第2章「中世における九州沿岸部・島嶼部の考古学的様相」では、この地域の11~12
世紀の港湾遺跡の発掘成果から、綱司銘などの墨書陶磁器や通常国内では流通しない大
型銭などの出土状況に着目し、寄港や航路上貿易の可能性を指摘するとともに、国産土
器と石鍋の出土傾向から、日宋貿易を背景として中央とも結びつく海上ネットワークの
形成など、中世初期のこの海域を特徴づける海域的様相の活発な展開を指摘している。
14世紀~15世紀にかけては、島嶼部を中心に東南アジア陶磁が顕著に出土する状況に
着目し、倭冠の広範な活動を示すものとして倭冠関連遺跡と意義付け、この海域が東南
アジアの港市貿易の活況を示す「商業の時代」(リード1993)に連動していたと評価した。
16世紀では、針尾城、大村城下町、中世大友府内町跡などの追跡で、タイ産褐釉四耳壺
と福建産華南三彩が集中的に出土することに着目し、その分布状況や沈没船資料との比
較から南蛮船の入港とその背景の新たな海域ルートとの結節を裏付けるものと評価し
た。これらの様相が、中世からの海域的様相の深化であるとし、この海域の特質である
ことを明らかにしている。文献史学が盛んに展開してきた海域史への考古学からの検証
ともいえる成果である。
第3章「港市長崎の成立過程」では、開港以前から17世紀前半にかけての長崎につい
て考察する。開港以前においては、土坑墓や貿易陶磁など一定の生活痕跡が確認できる
ものの、まばらに人家があった程度と推測している。開港から16世紀末にかけての長崎
は、簡素な掘立柱建物や排水溝、井戸などの遺構がみられ、これらで構成される「町」
が誕生したことを明らかにする。遺物においては海外からの貿易陶磁が圧倒するなど、
日常必需品を寄港する船に依存する島嶼部にも似た状況を明らかにし、発展過程の段階
であると評価している。17世紀初頭から前半にかけては、遺構から都市としての機能の
充実を指摘し、それと共に、ポルトガル船、唐船、朱印船に関連する遺物やキリシタン
造物、動物食を示す骨や日常用具の特異な出土状況から諸外国人との雑居状態を具体的
に指摘する。これらは、「海域的様相」を特徴づける、貿易、キリシタン、諸民族雑居と
いう特質を顕著に示しており、港市長崎の成立とその特性と主張する。独自の「長崎」
論であり、考古学の資料考察が特徴を発揮する章である。
第4章「港市長崎の変容」では、17世紀後半以降の検討を行っている。17世紀後半
に関わる発掘成果では、居留地や役所の周囲に石垣や堀などの区画施設が作られ、連動
して市街からはキリシタンや外国人の雑居を示す造物が認められなくなり、外周人との
雑居状態が解消されたことを明らかにする。これらにより、自由貿易的な港市から機能
が分化し、管理強化された貿易都市へ変容したと評価した。
結論では、各章における評価を踏まえた上で、「海域的様相」をキーワードに海域史に
おける長崎の位置についてその変遷を段階としてモデル化する。すなわち「海域的様相」
は、博多湾への航路上に存在した第1期と、それらを長崎が吸収した第2期、そして長
崎が都市として変容する中で終焉していく第3期としてまとめる。
第1期、古代から中世にかけての貿易船は、鴻臚館や博多湾を目的地としていたが、
その途上に位置し面的に展開する沿岸部や島嶼部は、貿易船の寄港や漂着の可能性を常
に孕んでいた。また、島によっては、博多湾を目的地としない他の海域ルートと結節す
る可能性も存在した。「海域的様相」はこうした状況下で行われた小規模ながら自由で広
範な取引や外国人との関わりを反映しているとしている。
第2期、港湾というにも及ばない状況であった開港以前の長崎が、16世紀後半にポル
トガル船のために開港、町建てが行われると、日常用具の中国陶磁寡占が象徴するよう
に他地域とは異なる「海域的様相」を示すに至る。さらに17世紀前半になると、貿易、
キリシタン、諸民族雑居を示す考古資料が増加し、「海域的様相」を顕著に示す。これと
対照的に、同時期に博多は国際貿易港としての地位を失い、その変化に伴い賢易船の目
的地が変わることで、航路上から外れた九州沿岸部・島嶼部において「海域的様相」を
示す発掘成果は消滅する。これを、古代から中世にかけての九州沿岸部・島嶼部が有し
た「海域的様相」を吸収し、長崎が港市として成立・発展したと意義づける。
第3期、その後、17世紀後半以降の長崎では、居留地や役所の整備が進み、堀・石垣
などの区画施設が顕著となり、管理された都市として変容したことが明らかとなる。港
市の中に取り込まれた「海域的様相」は、このような中で漸次終焉を迎えたと結論する。
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