@misc{oai:ir.soken.ac.jp:00000142, author = {久保木, 秀夫 and クボキ, ヒデオ and KUBOKI, Hideo}, month = {2016-02-17, 2016-02-17}, note = {古筆切や残欠本、諸文献に引用された佚文、およびそれを用いた研究は、近年、国文学の領域で、重要な文化資源・研究領域として重要視されている。古筆切とは、古典籍の古写本が、掛け軸や手鑑作成のために切られてしまい、その結果一枚の紙の形で残るものであり、全体ではなく一部しか伝わらないものである。こうした古筆切は膨大にあるが、その中から重要なものを見つけ出し、適切に位置づければ、文学史を変えるほどの力を持つ。こうした研究の特徴は、資料の直自性にあり、重要な資料を見出し、検証して、その価値を正確に位置づければ、それは直接的に、否定しようのない価値を発する。本論文では、従来の研究成果を踏まえ、かつ従来の研究方法を発展的に継承し時に批判も加えつつ、中古中世散佚歌集のさらなる発掘とその存在意義の解明とが指向されている。
 本論文では、散侠歌集というタイトルであるが、私撰集・私家集のほか、歌合なども含む。また時代的には、平安時代鎌倉時代・南北朝時代までの資料を扱っている。これらを、本論文では、一貫した研究方法で詳細かっ正確に分析し、その資料の重要性をあぶり出す。その方法とは、古筆切をはじめとする本文資料と、諸文献中に記載される関連情報とを広く博捜し収集した上で、各作品の成立・伝来・享受について、のみならず各本文資料に含まれる新出の諸情報がもたらす知見について、各時代の文学状況を踏まえながら実証的に論じるという方法である。
 本論文において各論は、第一章では平安時代、第二章では鎌倉・南北朝時代の資料を扱い、第三章では、資料紹介を行っている。まず、第一章で取り上げられているのは六作品である。第一節では、現存するいずれの系統とも異なる散佚『道真集』を復元、その成立が十一世紀初頭以前とみられること、かつ『大鏡』『新古今集』ほかの出典とされた可能性の高いことなどが述べられている。第二節では、伝寂然筆大富切の新出一葉、及び田中親美旧蔵残簡などに基づき、散佚『具平親王集』が他撰であり寛弘六年(一〇〇九)七月以降の成立であること、また当該資料を含む寂然筆本がまとまって藤原定家の許へ移動した可能性があることなどが論じられている。第三節では、選子内親王の『大斎院御集』散侠部分の存在を示す『栄花物語』「殿上の花見」について、長元二年(一〇二九)三月二日の出来事だったと論証し、従って『大斎院御集』もかつては同年頃までの、ほぼ選子の生涯を覆うほどの長大な内容を有していたという重要な推定が述べられている。第四節では、藤原顕仲撰の散佚『良玉集』の秩文の再整理ののち、新たに発見された真名序と奥書とを紹介し、それを読解し、同集が『金葉集』批判の私撰集と世に認知されていった経緯などについて検証されている。第五節では、藤原資経筆未詳私撰集断簡五葉が俊恵撰の散佚『歌苑抄』であることや、その成立や内容の考察の上で、『歌苑抄』が歌林苑という「結社」「同人」の「事業」として編纂されたという定説が批判されており、あくまで俊恵個人の撰集であると認識すべきことなどが論じられている。第六節では、伝鴨長明筆『伊勢滝原社十七番歌合』断簡一葉について、記載歌が『玄玉集』所収の西行詠と一致することなどから、散佚した西行最晩年の自歌合『諸社十二巻歌合』の一部である可能性が極めて高いと結論された。
 続く第二章では八作品を扱う。第一節では、今日完全に散侠したと思われていた源承撰『類聚歌苑』の残欠本を発見した上で、文永七~八年(一二七〇~七一)の間の成立であること、当時台頭していた真観ら反御子左派を牽制する目的で編纂されたこと、直後に成立した『続拾遺集』の母体とされた可能性があることなどが、明確に述べられている。第二節では、新出の伝後伏見院筆未詳歌集残簡について、錯簡を復元した上で、それが伏見院や京極為兼など京極派主要歌人の詠歌を収めた作品であること、しかも『後撰集』などの詞書に基づきながら自在に贈答歌を詠み合うという、中古中世和歌史上、極めて特殊な、しかも興味深い趣向の作品であることなどが記されており、京極派和歌の研究に、きわめて重要な論である。第三節では、戦前の美術品売立目録掲載の伝伏見院筆未詳歌合一巻の部分図版の発見により、それが従来ごくわずかな佚文しか知られていなかった、嘉元元年(一三〇三)十月四日開催の京極派歌合であることなどが示されている。第四節では、散佚『新撰風躰和歌抄』の伝藤原清範筆断簡四葉の紹介によって、正応四年(一二九二)~延慶三年(一三一〇)の間の成立であること、冷泉為相撰『拾遺風躰和歌集』と何らかの関連性を持つ可能性があることなどが論証されている。第五節では、これまで未詳家集とされてきた伝二条為道筆西宮切が、中臣祐臣の残欠家集『自葉集』の散佚部分であること、その上で『自葉集』の成立や性格、また祐臣の和歌活動などについて論じられている。第六節では、散侠『松吟和歌集』の伝二条為遠筆断簡十葉を集成した上で、その成立が康永三年正月(一三四四)~貞和元年(一三四五)八月の間だったこと、ちょうど京極派の『風雅集』が撰ばれようとしつつある当時の動向に相当批判的な立場から編まれた私撰集だったらしいことなどが述べられている。付論では、古筆切のツレの認定に際して必要となる条件を整理するとともに、特に散佚文献に関する場合の問題点を指摘した上で、伝光厳院筆六条切・伝後光厳院筆兵庫切・伝光明院筆天龍寺切という三種の未詳私撰集断簡をツレと論じた先行研究を方法論的に批判した。またツレ認定の効能の一例として、伝慈円筆未詳家集断簡が散佚『公経集』であることなどが明らかにされている。
 最後の第三章では二点の書籍目録を翻刻紹介されており、第一節が彰考館文庫蔵「本朝書籍目録」、第二節が岡山大学附属図番館池田家文庫蔵「歌書目録」で、いずれも散侠文献に関する貴重な情報を多数記載している重要資料であると示されている。このように、本学位論文で行った分析・検証によって、それぞれの歌集の伝本や成立、性格、伝来や享受、和歌史や歌壇の具体相などについて、現存する作品中心に組み立てられている中古中世和歌文学史を大きく補足し、さまざまな面で、従来の説は大きく塗り替えられるに至っている。, application/pdf, 総研大乙第181号}, title = {中古中世散佚歌集研究}, year = {} }