@misc{oai:ir.soken.ac.jp:00001640,
author = {島村, 一平 and シマムラ, イッペイ and SHIMAMURA, Ippei},
month = {2016-02-17},
note = {本論は、モンゴル国に居住する少数集団であるブリヤート人(モンゴル・ブリヤート)
のエスニックな帰属意識が、シャーマニズムによっていかに探求され、どのように再構築
されているかを論じるものである。
ブリヤートは、バイカル湖周辺地域に居住し、狩猟や牧畜に従事しモンゴル語系の言語
を話す集団である。17世紀後半より帝政ロシアの支配下に入ったが、20世紀初頭、ロシ
ア人による牧草地の収奪やロシア革命による混乱を避けて、その一部が集団で国境を越え、
外モンゴル(現在のモンゴル国)に移住、亡命を図った。しかしモンゴルに移住後、1930
年代後半のスターリン粛清によって、ブリヤートは反革命・日本のスパイという理由で多
くの者が逮捕され、銃殺刑に処された。
ロシア側に残ったブリヤート人は、ソ連の下で「モンゴル人」とは異なる別の「民族」
として制度化されることとなった。その結果、ロシアのブリヤート人たち(ロシア・ブリ
ヤート)は、文化的に親近性をもつモンゴル人より、ソ連的な意味で「文化的」かつ「文
明化」した「民族」だと自己を想像することとなった。
一方、モンゴル人民共和国では、ブリヤート人たちは「モンゴル民族」内に属する少数
エスニック集団だとされた。こうしてソ連とモンゴルという複数の国家によって矛盾した
複数帰属が付与された結果、現在、ロシア・ブリヤートは、モンゴル・ブリヤートを純粋
な「ブリヤート人」とは見なさず、自分たちより「文化的」ではない「モンゴル人」とみ
なしている。
さて、1990年代初頭の社会主義の崩壊以降、モンゴル・ブリヤートの間では、不思議な
現象が起きている。精霊を憑霊させるタイプのシャーマンが次々と誕生し、その数は人口
の1%に迫っているのである。実は社会主義以前、モンゴルに移住してくる前のアガ・ブリヤート
の人々はほとんどが仏教徒だった。すなわち、シャーマンの増殖現象は、伝統の復活ではなく
て、全く新しい現象だといえよう。
彼らは、好き好んでシャーマンになっているわけではない。大抵の場合、肉体的、精神
的に不調が理由で病院などを訪れるが、原因がわからない。そして万策つきたとき「患者」
は、シャーマンを訪ねる。これに対してシャーマンは「おまえは、オグにねだられている
のだ。はやくシャーマンにならないと命はないぞ。」と宣告するのである。
ここで言う「オグ」とは、英語でいう《ルーツ》に近いニュアンスをもった語である。
「オグがねだる」とは、偉大なルーツである先祖シャーマン霊が、「患者」にシャーマンに
なることを要求しているという意味である。そして、この「診断」を受け入れたとき、患
者は「シャーマン」へと変貌していく。
ところでモンゴル・ブリヤート人たちは一般的に、この「オグ」を「父系系譜」やクラ
ン名に関する知識という意味で使っている。現在、ブリヤート人はおよそ7-9代に及ぶ
父系系譜の知識を持っている人が多い。離散と迫害の歴史が、彼らをしてのエスニックな
集団の帰属意識を示す指標として父系系譜の記憶を編集的に維持させてきたと考えられる。
ところが、シャーマンたちの言う「オグ」とは、彼らの霊的ルーツ、すなわちシャーマ
ンに憑霊する精霊のことであった。この精霊たちは、生前にシャーマンであった彼らの祖
先の霊であるが、父の母方、母の母方、母の父の母方などといった多系的な祖霊である。
こうした「ルーツの病」は、ポスト社会主義における社会的混乱と深く関わっている。
この時代は、「民主化」「市場経済」という標語の下に、社会主義時代に築き上げてきたも
のを極端に否定する方向へと走った時代でもあった。国営農場や牧畜協同組合といった社
会システムは解体の道をたどり、人々は社会的な紐帯を一挙に喪失した。モンゴルにおい
ては、「ショック療法政策」と呼ばれた急激な民営化政策が、実施され、多くの失業者や貧
困を生み出すこととなった。
このような社会的混乱の中、「ハルハ純血主義」が台頭することとなった。すなわち、首
都において精神的傷害を持っている者が多かったり、仕事の能力の低い者が多かったりす
るのは、モンゴル人(≒ハルハ人)の純血が守られなかったからだという認識が蔓延し始
めたのである。その結果、モンゴル人として「純血」ではない、非ハルハや漢民族などと
のハーフたちは、「混血=エルリーズ(Erliiz)」と呼ばれ、政治や社会の場において、周
縁に追いやられることとなった。
こうした動きは、モンゴル・ブリヤートたちの居住する地域にも波及した。ただし、モ
ンゴル・ブリヤートの間では、ハルハ純血主義ではなく、ブリヤート純血主義という形を
とった。当該地域では、郡の組織において「血が汚れて悪い出自を持つ者たちだからだ」
だという理由で、多くの人々が仕事を解雇された。「悪い血を持つ者」とは、系譜の記憶が
確かでなく、ブリヤート人としての「資格」が疑わしい者たちのことである。しかし、現
在のモンゴル・ブリヤートの中には、帝政ロシア末期のロシア人植民や、粛清による男性
の虐殺による男性不足から、中国人やハルハ人との通婚が進んだ結果、「混血」となって
しまった者が相当数ふくまれている。
実は、このような混血たちが、学校や職場から排除された結果、「気がおかしく」なり、
シャーマンとなっていたのである。彼らの受難は、ポスト社会主義モンゴル社会全体がル
ーツに執着する「ルーツ・シンドローム」に罹っていたことを物語っている。
こうしたルーツの病に陥った人々をモンゴル・ブリヤートのシャーマンたちは、新たな
るルーツを創造することで、「病」を癒していた。しかし、シャーマンが提供する処方箋と
しての「オグ」は、世俗レベルの「オグ」と意味レベルで大きくずらされている。世俗社
会が呼ぶオグ=ルーツとは、父系的・単系的ルーツのことである。ところが、シャーマン
たちの「オグ」=ルーツは、多系的な先祖シャーマン霊であった。ルーツの病に苦しむ、
父系の記憶は定かではない者に対して、師匠シャーマンはイニシエーションを通じて、患
者の母の母方や、父の母方の母方などといった多系的な先祖の中に「ブリヤートの偉大な
シャーマン」の霊を発見していく。すなわち、多系的ルーツの発見によって、単系・父系
のルーツの怪しい混血の者の社会的な帰属が、正統化されていた。
さらにシャーマンたちは、ルーツ概念の持つ父系性という属性も溶解させていく。シャ
ーマンたちは、女性の精霊を霊的ルーツとして創出したり、シャーマンの父系系譜の最も
古い人物として女性の先祖を創出したりしていた。現在、大多数のモンゴル国民は、チン
ギス・ハーンや父系系譜といった男根原理でナショナリズムのイデオロギーを構築してい
る。これに対して、モンゴル・ブリヤートのシャーマニズムは、20世紀、苦難を味わって
きた無名の女性たちの象徴である「ホイモルの女房」をルーツとして想像していた。
単系から多系へ。男性性から女性性へ。シャーマンたちは、「オグ」という記号の意味を
読み替えることで、現代モンゴル社会における「ルーツ」概念の意味の解体を図っている
のである。
こうした読み換えの延長線上には、社会主義時代に制度化された「民族」概念の意味の
読み換えがあった。シャーマンたちが創出した多系の霊的ルーツは、ブリヤート人の他に
ロシア人、ハルハ・モンゴル人、トゥングース人といったマルチエスニックな存在だった。
シャーマンたちは、そういったマルチエスニックな精霊をコントロールするが、人々から
は「ブリヤートのシャーマン」だとされる。その一方で、シャーマンは「私はブリヤート
のシャーマンでもあるが、ハルハ・モンゴルのシャーマンでもある」と語る。
すなわち、シャーマンたちは、自身の内部に宿す異種混淆性をブリヤート性に読みかえ
ていると同時にその逆(ブリヤート性=異種混淆性)とならしめていた。
さらにこうしたシャーマンの増殖は、現在、国境を超えた現象となっている。つまり、
ロシア・ブリヤート人が、モンゴル・ブリヤートのシャーマンのもとに修行にやってきて
いるのである。彼らは、シャーマニズムを通じて、モンゴル・ブリヤートを「真正なブリ
ヤート文化」を維持している人々」と理解するようになっていた。
つまり、シャーマンたちは、制度によって線引きされたエスニックな境界線に滲みをい
れたのである。以上のことから、モンゴル・ブリヤートの人々は、シャーマニズムを通じ
て、ネーションのような明確な境界をもった「想像の共同体」とは異なる、境界のあいま
いな、《脱領土化したエスニシティ》を再構築しているといえよう。, 総研大乙第194号},
title = {シャーマニズムによるエスニシティの探求―ポスト社会主義期におけるモンゴル・ブリヤートの事例を中心として},
year = {}
}