@misc{oai:ir.soken.ac.jp:00001641, author = {渋谷, 綾子 and シブタニ, アヤコ and SHIBUTANI, Ayako}, month = {2016-02-17}, note = {本研究は,日本の旧石器時代および縄文時代における植物性食料の加工や利用の実態を,考古学資料に含まれる残存デンプン粒の分析を通して検証し,従来議論されてきた日本の先史時代における植物性食料の利用について論じたものである。残存デンプン分析とは,遺跡土壌や遺物からデンプン粒を検出し,過去の植生や人間の植物利用を解明する新しい研究方法である。近年,その重要性が認められ世界各地では研究が進められているが,日本では分析そのものが考古学の研究の中に取り込まれてこなかった。本研究では,日本の先史時代に利用されていたと想定されてきた有用植物の現生資料から得られるデンプン粒の観察を行い,植物の種類を同定する基礎となる現生植物のデンプン標本を作製し,方法論的な議論を行った。その上で,旧石器時代の鹿児島県立切遺跡,静岡県匂坂中遺跡,坂上遺跡,池端前遺跡,縄文時代草創期の鹿児島県奥ノ仁田遺跡,加栗山遺跡,掃除山遺跡,後期から晩期の兵庫県佃遺跡,大阪府更良岡山遺跡から出土した石器の残存デンプン分析を行い,植物性食料の加工と利用の様相を明らかにすると同時に,遺跡の機能論と関連づけて考察した。従前の結果をふまえ,縄文時代前期中頃から中期終末の代表的な遺跡の一つである三内丸山遺跡から出土した石器を対象とした分析を行い,縄文時代前期から中期における植物性食料の利用形態の具体的な様相を,三内丸山遺跡における植物性食料の利用の時代的な変化と関連づけながら考察した。  旧石器時代から縄文時代に利用されていたと考えられてきた代表的な可食植物である堅果類,根茎・球根類,雑穀類の現生種のデンプン粒を観察,分析したところ,雑穀類,ヤマノイモ,オニグルミは他の植物に比べて特徴的な形態をしている一方で,コナラやクヌギなどのドングリ,クリといった堅果類は形態上類似していることが新たな知見として得られた。これは,部分的に行われてきた従来の残存デンプン分析でしばしば提示されていた植物資源の利用モデルに対して,植物種の同定をより厳密に議論する必要があることを提示する結果である。方法論上の課題とされてきた土壌中のデンプン粒の遺物への混濁や遺物の取り扱いの過程における汚染については,遺物の洗浄方法,試料の採取方法の工夫によって回避できることを実証的に示した。  旧石器時代遺跡および縄文時代遺跡の資料の分析結果については,三内丸山遺跡も含めて調査した10遺跡の石器84点のほぼすべてから残存デンプン粒を検出することに成功した。検出部位がいずれも使用痕のある面であったことから,多くの先行研究で論じられてきた石皿や磨石類が植物を加工する道具であるということを,残存デンプン粒という植物の直接的な証拠から結論づけることになった。また,更良岡山遺跡,立切遺跡,掃除山遺跡,奥ノ仁田遺跡から検出した残存デンプンは,形状や検出状況の分析から,根茎・球根類に由来する可能性がきわめて高いことが判明した。これは,旧石器時代ならびに縄文時代においてその利用は想定されてきたものの,具体的な証拠はほとんど見つかっていなかった根茎・球根類を考古学資料中から検出した貴重な事例と位置づけることができる。また,8遺跡の石器から由来する植物の種類がまったく異なる円形と多角形のデンプン粒を検出したことにより,石皿や磨石類が複数の種類の植物性食料を加工する道具であった可能性を指摘するにいたった。  調査した10遺跡の石器から検出した残存デンプン粒は,形態ごとの出現頻度に共通点や相違点がみられ,遺跡における植物性食料の利用形態に共通点や相違点が存在する可能性が推定できた。これを,先史時代の生業・集落モデルである拠点集落とキャンプサイトという遺跡の機能論とあわせて考察した。遺跡の立地や出土遺物の特徴から,キャンプサイトの性格をもつと考えられてきた立切遺跡と奥ノ仁田遺跡については,残存デンプン粒の比較分析の結果,両遺跡で同じ種類の植物性食料が同じように利用されていたという結論が得られた。一方で,遺跡の規模や出土遺物の特徴から,縄文時代後期から晩期の拠点集落であると解釈されていた佃遺跡と更良岡山遺跡については,残存デンプン粒の比較分析の結果,佃遺跡ではより多様な種類の植物性食料が利用され,更良岡山遺跡の石器では限られた種類の植物性食料が利用されたという可能性が示された。石器の出土状況もあわせて考えた場合,佃遺跡の石器では多様な種類の植物性食料が加工され,更良岡山遺跡の石器では限られた種類の植物性食料が加工されたという新たな仮説を提示することになった。  三内丸山遺跡の分析の最も重要な知見は,ヒエと想定できる残存デンプン粒を検出したことである。従来から雑穀の利用が指摘されてきた三内丸山遺跡においてその証拠を具体的に提示しただけではなく,先行研究で論じられてきた縄文時代におけるヒエの食用化の方法に対して,粒食だけでなく粉食も行われていた可能性が高いという新たな知見を得ることになった。  残存デンプン粒の出現頻度の分析から,三内丸山遺跡では住居内の石皿で,縄文時代前期末葉から中期末葉までは堅果類や根茎・球根類が,中期中葉には雑穀類も加工されていたが,中期後葉から中期末葉には石皿では限られた種類の植物が加工されるようになったという結果が得られた。住居外の石皿では,縄文時代前期末葉から中期末葉まで大きな変化は生じておらず,中期後葉から中期末葉には堅果類や根茎・球根類などの植物性食料が頻繁に加工されるようになるという結果が得られており,住居内外の石皿には利用方法に差異が生じていた可能性が明らかとなった。従来,気候の寒冷化や植生の変化という環境的な要因で縄文時代中期から後期の生業活動の変化が説明されてきた。本研究の結果をもってこれらを解釈した場合,環境的な要因による生業活動の変化は生じていたものの,遺跡内での集落構造の変化や近隣の集落との関係という社会的な要因が,中期後葉と末葉にかけての植物性食料の利用形態における変化につながった可能性を指摘できる。すなわち,三内丸山遺跡の外部で植物加工が行われた結果,遺跡の内部では特定の植物の加工が行われなくなったという仮説である。実際,三内丸山遺跡の周囲には縄文中期後葉以降,トチノキの採集や利用が行われていたと考えられている遺跡が出現することから,この仮説はさらに議論を重ねる必要がある。  本研究は,日本の先史時代における植物性食料の加工,利用について,残存デンプン粒の形態や出現頻度の分析から,根茎・球根類の利用,ヒエの粉食といった新たな知見を実証的に提示すると同時に,遺跡の機能や植物性食料の利用活動の時代的な変化に議論を展開することを可能にした。  日本の考古学研究に残存デンプン分析という新しい視点を取り入れることによって,さまざまな研究の進展を促すことができることは明らかであろう。今後,時代や環境に応じた現生資料のデンプン標本を拡充すれば,地理的にも時代的にも対応できる範囲が広がる。また,遺跡や遺物の分析調査に研究手法の一つとして残存デンプン分析を取り入れるという方法論上の環境を整えることにより,過去の食性や生業活動の実態を解明する研究において,残存デンプン分析が新たな糸口となることが展望される。, 総研大甲第1305号}, title = {日本の先史時代における植物性食料の加工と利用:残存デンプン分析法の理論と応用}, year = {} }