{"created":"2023-06-20T13:21:26.048489+00:00","id":1646,"links":{},"metadata":{"_buckets":{"deposit":"a3a3b782-e608-4b9a-a8a7-c63d10d020cf"},"_deposit":{"created_by":21,"id":"1646","owners":[21],"pid":{"revision_id":0,"type":"depid","value":"1646"},"status":"published"},"_oai":{"id":"oai:ir.soken.ac.jp:00001646","sets":["2:426:6"]},"author_link":["0","0","0"],"control_number":"1646","item_1_creator_2":{"attribute_name":"著者名","attribute_type":"creator","attribute_value_mlt":[{"creatorNames":[{"creatorName":"根津, 朝彦"}],"nameIdentifiers":[{}]}]},"item_1_creator_3":{"attribute_name":"フリガナ","attribute_type":"creator","attribute_value_mlt":[{"creatorNames":[{"creatorName":"ネヅ, 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知識人の影響力が最盛を迎える安保闘争の後になぜ「論壇」が急激な変容を見せたのか。本研究は知識人に比べて従来注目されなかった編集者に焦点を当て、編集者への聞書き調査と、総合雑誌や全国紙の論壇時評を始めとするジャーナリズム史に関する資料を用いて、時期ごとの特徴を押さえながら戦後「論壇」に果たした『中央公論』と編集者独自の役割を明らかにする。\n 本論の構成は、まず戦後「論壇」の全体像を提示する(一章)。次にその「論壇」において『中央公論』を特徴づける主要論文の分析を行う(二章)。そして本論で中心対象にした「風流夢譚」事件(三章)と総合雑誌編集者の役割(四章)を検討する。全体的な意義は四点に整理することができる。第一に、戦後ジャーナリズムそのものの長期に及ぶ再検証を行うこと。第二に、天皇制批判を中心とした「言論の自由」が発揮ないし崩壊する際の編集者の状況とジャーナリズムの構造的な条件の探究。第三に、その中で『中央公論』が独自に果たした役割の分析。第四に、総合雑誌編集者の役割の解明と、編集者と知識人の相互作用と協業関係の考察である。\n 一章では、新聞と総合雑誌の結節点である論壇時評の分析を通して「論壇」の見取図を確定し、どのような知識人が評者に登用され、何が代表的な論文と見なされたのかを明らかにした。戦後は『世界』『中央公論』『文藝春秋』の3誌が総合雑誌の中心と見なされたが、占領期の時点で『文藝春秋』と『世界』はその雑誌の特徴を明瞭にする。『文藝春秋』は「国民雑誌」を標榜し、レッド・パージ期に部数を急増させながら小泉信三を主要な執筆者に据え、『世界』は講和問題特集号でアイデンティティを確立した。論壇時評は57年頃から『朝日新聞』『毎日新聞』『読売新聞』で定式化し、それまで多様な執筆者を登用していた『読売』は57年12月以降、保守的な時評者で一貫し、田中美知太郎がそれを代表した。嶋中事件以後は、『中央公論』が大きく論調を変容させることで、『世界』の孤立が前景化する。そして1970年において学生運動の終息、総選挙の社会党の敗北、万博に代表される経済的繁栄の謳歌、70年安保の不燃焼と誰の目にも「論壇」の凋落は明らかとなり、「論壇」の一つの終焉を迎える。\n 二章では、一章の論壇時評で注目された『中央公論』の代表的な論文を押さえながら同誌の論調を具体的に明らかにした。嶋中事件前は天皇制批判とルポルタージュ、事件後は「現実主義」論調に大きな特色があった。『世界』は天皇制批判に抑制的であり、「ミッチー・ブーム」を黙殺したことはその象徴である。対して『中央公論』は高倉テル、大山郁夫、山川均、松下圭一、井上清、佐藤忠男ら批判的な論文が多く掲載された。アカデミズムに依拠した『世界』と比べて、ルポルタージュの面でも『中央公論』は精彩を放つ。その系譜は、高見順、広津和郎の松川裁判批判、堀田善衛といった作家たちの仕事に淵源があり、50年代後半の藤島宇内・丸山邦男・村上兵衛の計8本の共同ルポに『中央公論』のジャーナリズム誌の在り方が示された。嶋中事件後には高坂正堯、衛藤瀋吉、永井陽之助を中心とした「現実主義」論調が同誌を席巻していく様を、粕谷一希との関係性を含めて論じ、「現実主義」と「理想主義」の対話可能性について考察した。最後に『中央公論』1964年10月号に掲載された特集「戦後日本を創った代表論文」に引きつけながら、総合雑誌と「論壇」に関する小括を行った。\n 三章では、戦後ジャーナリズムと中央公論社双方にとっての「風流夢譚」事件のインパクトを明らかにした。具体的には、「風流夢譚」掲載の経緯、同小説の内容、嶋中事件が与えた畏怖と対抗言説、『思想の科学』事件によって生じた執筆拒否問題、1968年年末に生じた中央公論社労働組合の闘争を中心に論じた。そこに示されたのは、中央公論社の度重なる後退、総敗北の歴史であり、知識人側の自主規制と対置した時その差は歴然とする。しかしながら知識人側においても事件の本質となった天皇制の問題と「風流夢譚」の作品論に向き合えなかったことが、天皇制批判のタブー化を形成する素地となった。しかし相次ぐ事件にもかかわらず、同社は高度成長を背景とし、社業隆盛を迎える。その中で従来の『中央公論』『婦人公論』という二大柱を軸とする雑誌主体の経営から、『世界の歴史』を皮切りとした全集体制で販売主軸の舵をきり、縁故採用で営業部等を拡充し出版企業として変貌していくのである。\n 四章では、『中央公論』の編集者の在り様を通して、総合雑誌の編集者独自の思想と役割を明らかにした。具体的には『中央公論』の編集長を中心にその思想を追っていく。敗戦直後の『中央公論』を支えた畑中繁雄が戦犯問題の混乱の中で責任をとって退社し、編集権は会社・社長側にあるとした山本英吉に編集長が交代する時期が一つの分岐点となる。それから2人の「戦中派」編集長の嶋中鵬二と竹森清が戦後『中央公論』の特色と評価を決定づけ、「風流夢譚」事件の混乱で動揺する中、粕谷一希が以後の『中央公論』を主導した。そこでは会社による人事採用と編集者の配置が「言論の自由」の実質を担保できるかどうかに計り知れない影響を左右することが示される。\n 結論では、一章で主に分析した戦後ジャーナリズム史の長期的な分析と、三章で論じた「言論の自由」を支える構造をまとめ直し、元『中央公論』の編集者であり、同誌を追われ後『世界』編集長となった海老原光義が、嶋中事件で『世界』に特集を組んだ意味を問い、外部に問題をオープン化できなかった『中央公論』の歴史的な分岐を位置づけた。無論、『中央公論』が発揮した意義は、嶋中事件の対応の誤りで全てを流し去ることはできない。清水英夫の提起する『中央公論』文化と『世界』文化に着目し、1950年代後半に顕著であるように『中央公論』が果たした多くの新しい執筆者の抜擢、資料主義、ルポルタージュ掲載等に大きな役割があったことをまとめる。その上で、清水幾太郎が総合雑誌に新聞(メディア)批判の役割を見出したように、重要なのは総合雑誌同士の僚誌的な連携の形成にあることを主張し、その事例を50年代前半に存在した『世界』『中央公論』『改造』の関係に求めた。最後に執筆者を社会的発言者として知識人化させる総合雑誌編集者の役割を考察した。その役割は個々人の編集者がすごした学生時代やジャーナリズムの接触によって形成された資質を抜きに考えられず、総合雑誌編集者がもつ組織者としての側面と精神の自発性に関与する創造的機能の重要性を提起した。","subitem_description_type":"Other"}]},"item_1_description_7":{"attribute_name":"学位記番号","attribute_value_mlt":[{"subitem_description":"総研大甲第1310号","subitem_description_language":"ja","subitem_description_type":"Other"}]},"item_1_dissertation_number_25":{"attribute_name":"学位授与番号","attribute_value_mlt":[{"subitem_dissertationnumber":"甲第1310号"}]},"item_1_select_14":{"attribute_name":"所蔵","attribute_value_mlt":[{"subitem_select_item":"有"}]},"item_1_select_8":{"attribute_name":"研究科","attribute_value_mlt":[{"subitem_select_item":"文化科学研究科","subitem_select_language":"ja"}]},"item_1_select_9":{"attribute_name":"専攻","attribute_value_mlt":[{"subitem_select_item":"04 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