@misc{oai:ir.soken.ac.jp:00002151, author = {工藤, 航平 and クドウ, コウヘイ and KUDO, Kohei}, month = {2016-02-17}, note = {近年、地域社会の急速な解体とともに、博物館施設における指定管理者制度の導入や学校教育などの問題により、継続的な地域社会・文化の担い手の育成が困難となっていることが危惧される。一方で、"地域おこし"として地域独自の食文化の発見・創出や伝統的行事などが注目されている。このような状況において、改めて地域文化とは何か、地域文化の形成過程、地域社会における意義、基盤となるそのものを歴史学的に検証する必要がある。 現代まで連綿・伝統といわれていることの多くは、19世紀、特に近世後期に「再発見」「創作」されたものである。そこで、本論文では、近世期の地域社会における地域文化・教育の再検討とその到達点を明らかにするとともに、その基盤となる地域社会を文化的側面から再検討することを目的とした。  地域社会論に関する研究は、1980年代以降、それまでの世直し状況論・豪農論に対して、村役人層の役割を再評価し、地域社会の自律的・自治的側面とそれを可能とした能力の蓄積、下から創り上げられた独自の地域行政機構に歴史的到達点をおくことを軸に行われてきた。この評価は重要だが、地域社会論研究は村役人層や地域社会の政治的・経済的側面を中心に行われ、文化的側面である地域文化論研究を積極的に取り入れているとはいえない。一方、地域文化論研究は、全国各地の地域文化の発掘と独自性を強調する研究が多く、何かしらの文化活動が行われていれば地域文化が存在したとされ、都市と地域との関係などを踏まえた独自性の評価がなされていない。また、趣味的・娯楽的要素の強い文芸とそれを媒介にしたネットワーク(点と線)の解明について多くの研究が蓄積されている。 さらに、地域教育史においては、類型(手習塾・郷学など)ごとの個別実証研究の積み重ねや、"学校"内部の分析が行われており、地域的課題や社会的環境を踏まえた地域社会での位置づけなど、地域全体を視野に入れた研究が行われていないことが課題である。  以上のような研究史整理を踏まえ、次の3点を本論文における研究課題とした。ⅰ地域指導者層が地域住民より信任を得ることができた要素について、資質・文化的側面から解明する。また、ⅱ地域文化の基盤となる地域観(地域で共有しあう観念)の成立を踏まえ、点と線ではなく、相互の関連性を踏まえた面としての総体的な地域文化・教育の把握を行い、地域全体としての意義を見いだし、ⅲそれを主導した地域指導者層の視点から社会状況・地域的課題を踏まえた地域文化・教育の解明と近世における到達点を明らかにする。そして、村役人層と地域指導者層との意識差や近代との連続的側面について見ることとした。  地域社会について文化的側面から検討するに際し、アーカイブズ学(史料論)、地域教育史、地域文化論という分野からアプローチする方法をとった。各々の分野の深化を目指し、その成果を地域社会論において総合化することを意図した。 また、地域文化・教育研究が直面する史料的制約については、手習師匠の墓石である筆子塚等の石造物や、従来は村政・訴訟関係史料として扱われてきた編纂物など、様々な史資料について史料批判を加えながら活用することで、地域文化・教育を面として総体的に把握することができた。  本論文では、都市と地域との関係を地域の主体性に注目して考察するため、政治的・経済的・文化的に江戸の強い影響下にあったとされる江戸周辺地域である武蔵国埼玉郡八条領村々(埼玉県八潮市・越谷市)と同国比企郡川島領村々(同県比企郡川島町)を対象地域として検討を行った。  本論文における主要な研究成果は、①地域指導者層の資質形成と、②近世地域文化・教育の到達点という2点の解明にある。 ①地域指導者層の資質形成 兵農分離を基本とする近世社会では村役人層による算筆能力を前提としていたが、近世後期以降、村民から「ケ成出来」ることが求められた。この算筆能力として、日常の地域運営や訴訟などにおいて発揮される村方文書、特にそれを明確な目的意識のもと、一つの体系化した〈知〉としてまとめられた編纂物に注目した。従来は由緒書や旧記、地誌として家格維持との関係から評価されているものを、それら枠組みを外し、内容や作成目的、効果などから、「家」意識を超えて村や地域の権益確保を目的としたものを「村の編纂物」と定義した。過去の記録から地域独自の論理を構成し、支配権力をも相対化して様々な場面において村や地域の権益確保を目指すものである。近世後期以降には"編纂物文化"と呼べるような地域的広がりを見せ、地域指導者層・村役人層の蓄積した文化的力量が地域社会に還元されるとともに、地域住民からの信任・合意形成を成立させるものとなった。また、彼らの資質は、当初は家庭内や見習いなど経験を通じて伝授されたが、手習塾などにおける文字教育によって個別的・私的にも行われるようになった。やがて地域的課題として郷学の設立など公的・組織的に担われるようになり、地域的課題解決のための総合的な資質を備えた地域指導者層の再生産が可能となった。このことより、彼らが主導した地域社会の文化的側面が、政治的・経済的側面のみならず重要であり、一体的に評価されるべきことが解明された。 ②近世地域文化・教育の到達点 近世後期以降の地域教育の展開を、地域指導者層の視点から総体的に把握した。川島領の手習師匠の変遷は、〈僧侶→元武士(文化期)→地域指導者層(天保期)→村役人・地域住民(嘉永期)〉となり、嘉永期以降に担い手の拡大が見られた。これは、地域指導者層による文化活動を中心とする地域社会への文化的力量の蓄積とともに、手習塾での教育や日常の地域運営などを通じた地域住民への<知>の拡大が大きな要因であった。経営形態や教育内容の多様性も見られ、地域総体として質・量ともに充実した。これにより、個々の手習塾が地域内で相互補完的役割を果すこととなり、地域住民の多様な学習要求に応えることができ、川島領内で初歩的な教育を満たす態勢が整えられた。これは、手習塾の入門圏が錯綜していたことからもわかり、地域教育を総体的に把握する必要が改めて示された。その中で、江戸や川越の"私塾"も匹敵する郷学・河島書堂が創設されたことで、初歩的な手習いから比較的高度な漢学までを、江戸や川越に依存せずに川島領で満たすことができる態勢が整備されたのである。但し、川越や江戸への遊学は継続されており、常に新しい知の導入が図られていた。本論文では、このような地域教育のあり方を「地域教育態勢」の確立と呼び、この地域主体で創り上げられた地域教育態勢をもって近世地域教育における到達点と評価した。また、幕末期には桜の植樹と石碑建立や句集編纂など、地域指導者層が中心となって核となる 文化的結集点(公共の場、名所)を創設し、文化活動を通じて江戸文人や周辺地域の文人らを取り込んでいった。そして、a文化的結集点を地域指導者層主体で地域自らが創出し、江戸や周辺地域の人々を取り込みながら展開させたこと、b地域教育態勢の確立により「地域文化の担い手」の再生産が自地域で可能となったこと、この二点をもって、従来の"独自性"はなく、より積極的に"地域文化の自立"評価した。  近代小学校設立に際し、地域指導者層は近世の地域教育態勢を基盤として対応しており、早い段階から地域教育・地域文化を把握していたことが判明した。一方、近世期より地域指導者層と村役人層とで基盤とした地域が異なり、様々な場面で対立することにもなった。  このように、文化的側面を背景とした地域指導者層の資質(地域<知>の獲得、地域を把握する能力)により、複雑化・広域化・多様化する地域社会の安定的な運営が可能となり、その<知>も編纂物や文字教育などを通じて蓄積・継承されたのである。また、政権交代などの混沌とした時代においても、近世期に蓄積した地域独自の論理を基盤として対応することで、地域の安定化を果たした。さらに、明治初期の地域運営は引き続き近世以来の地域指導者層が担っており、このような近世における地域社会の蓄積の上でこそ近代の地域行政が可能となったのである。  今後の課題として、地域指導者層からの視点で、国民国家形成期における地域統合と近世期に形成された地域文化との関係、20世紀の地域社会の再編期において持ち出される地域文化との関係について一貫して解明していく必要性が挙げられる。, 総研大甲第1367号}, title = {近世地域指導者層と地域文化・教育 -近世地域社会の到達点をめぐって-}, year = {} }