@misc{oai:ir.soken.ac.jp:00000022, author = {濱島, 敦俊 and ハマシマ, アツトシ and HAMASHIMA, Atustoshi}, month = {2016-02-17}, note = {1) 対象:長江下流域の江南デルタは、唐末五代がら低湿地開発が進み、概ね10世紀以降の中国近世の、経済の発展・拡大を牽引してきた先進地域である。その地の住民、特に農民が如何なる共同の祭肥・信仰を有していたかを探求することが 本論文の目的である。 2)問題関心: 前近代の諸文明において、居住空間を共にする人人が共有した祭祀・信仰の分析は、その文明の特質及び社会構造を解明する上で、不可欠の課題であろう。黄河中流域のとある地域に発源し、長年月を経て、いまや東・東南アジアにまで居住領域を拡大した漢民族・華人についても、この命題は当然に成立する。  しかしながら、台湾・香港及び海外華人についての考察が蓄積される一方、大陸の漢民族社会のそれは、人文・社会諸科学の対象とされること極めて稀であり、殆ど白紙の状態に放置されてきた。  その原因は、政治支配に帰せられる。即ち、第一には、1957年に始まる反右派闘争が社会学・文化人類学・宗教学など「ブルジョア諸学」を禁圧し、それが文化大革命に到って頂点に達したこと、第二には、文革終焉の後も「宗教」と「封建迷信」という優れて政治的(敢言すれば非科学的・恣意的)な区分が強制されることにより、研究者にその考察を禁忌とする知的状況が形成されたことに由来する。それはまた学術情況としては、農村聚落や共同体に関する社会学・地理学・歴史学等の考察の著しい欠落とも通底する。  前近代中国の農村社会及び農民の間に存在する共同性の歴史的考察を研究課題とする申請者は、個人及び全体の研究史における数多の試行錯誤を経て、諸文明に共通する現象、民衆の心性における共同性に辿り着いた。本論文の契機はここに存する。 3)方法: 地方志・随筆雑記・碑刻集を中核とする文献史料は、情報を獲得する最も重要な資料である。世界の前近代諸文明の中で、漢民族世界、特に近世江南デルタは、他に懸絶して豊富な文字資料が残存するからである。それにも拘わらず、主として文人士大夫の手に成る此等文字資料には、農村の「小民」の祭肥・信仰は、朱子学的教条を以ってすれば唾棄すべき愚昧な活動であるが故に、記録されることが極めて少ない。かつまだ民間に自生の宗教職能者をも含めて、民衆が形成する在地の信仰には、神学的言説の集積は皆無に近く、刊行される道・仏の経典集成にも殆ど登場しない。  この欠陥を補うに、現地調査およびfolkloreの収集は必至の作業である。大陸中国では、さなきだに外国学者の漢民族世界の農村調査が厳しく制限される上に、「封建迷信」規定の下、信仰・祭祀の調査は禁忌の対象である。この困難をかい潜って実施した自他の実地考察、及び大陸の「民間文学工作者」の収集した伝説・民話が、第二の重要な情報源となる。(社会主義建設に人民の伝統を有効に活用するという趣旨で、民間文学=民話収集は、共産党統一戦線部の管掌下に、各地で実施されているが科学研究者がこれを活用する情況は見られない。) 4)論旨: (1)清代の江南デルタ農村(市鍾=market townを含む)の諸廟に祀られる生神は、関帝・嬬祖=天后・文昌帝君等、全国に著名普遍な神ではなく、特定地域に限られる地方神であり、彼等は史料では、通常、「土神」と呼ばれている(語義として、一定領域・聚落の守護神たる「土地神」とは、明確に区別される)。彼等には、一個の廟でしが祭られず、文献史料に全く登場しない者から、江南デルタ全域に拡がって崇拝される者まで、大小様様な神が含まれる。それに共通する顕著な特徴は、嘗では現世に存在していた人が死後に神と為ったとされ、姓名を持ち、しばしば配偶者が従祀され、往々にしてその子孫と称する同姓の人人が現存することである。 (2)人が死後に神と為るに、以下の三個の要件が必要とされる。第一に彼(彼女)は生前に義行が有った。第二に、死後に顕現し、奇跡を行い 国家・民衆に功績・恩恵が有った。第三に、以上の二件が天(宇宙の創造者にして支配者)の地上の代理者=皇帝によって認定され、勅封されることで、権威付けられる。最後の一件は、無数生神全てに望み得る事ではない。従って、勅封の偽造は普遍的現となる。 (3)奇跡=霊異は、漢民族世界の時空を超えた普遍的欲求についても果たされはするがその土神たる特徴として、当時・当地の切実な課題に応える内容が見出される。清代に見出される(のみならず現代にまで残存する)江南の土神は、元代後期~明代初期に形成されるがその霊異説話の核心は、漕運保護に在る。漕運とは、国家財政を支えた江南デルタで収取された米穀を北方の政治的都・軍事的要地に運送する、国家の財政行為である。元代には海運によったが請け負った人人は江南で豪富を成し、地方社会に威勢を誇った。明朝は修復成った大運河を利用したが 在地手作にして江南在地社会の支配・指導階層たる郷居地主の課役として「糧長」に任じ、漕運を負担させた。つまり江南地方社会・在地社会の支配層の欲求に応ずる内容で説話は形成されたのである。最も普及した土神は「総管=金総管」神であるが その称号は、元代海運の船団指揮官の職称に由来する。此等の信仰を「総管信仰」と呼ぶ所以である。 (4)土神の生平・顕現・霊異・封爵等の説話は、王師によって創出される。彼等は憑依possession型のシャーマンと看做し得るが紳の子孫を自称する例が少なくない。彼等は自己に憑依する亡霊=鬼の権威、を高めるべく、先祖を神に仕立て上げる。 (5)夙に腕晋南北朝以来、聚落の守護神として、在来の社(自然神。壇で祀る)に代り、「土地」(人格神。ろう廟で祀る)が出現し、都市的聚落の土地として「城隍」が形成された。やがて城隍神は都市を中核とする一定行政領域の守護神、さらにはそんも領域の冥界の行政官に変貌する。土地神・城陣神何れも、個々の村落・都市で、姓名など説話を有する特定の人格神であった。体制教学=朱子学の基本原則を以てすれば、此等は不当な淫祀にほかならない。とりわけ、「胡俗」を一掃すべく、新たな礼制の強制普及に腐心した朱元璋政権は、村落レヴェルでは土地廟に替えて復古的な「里社壇」の祭祀を命じ、州県については城隍廟を史上初めて国家の祭制に包摂したものの、偶像破壊を命じ、自然神(非人格神)として位牌を置いて祀ることを命じた。あまりにもfundamentalで非現実的なこの規範は、即ちに空洞化し、依然として人格神(偶像と廟)を祀る土地廟・城隍廟が普遍的であった。 (6)土地廟の具体的考察は、歴史的にも、近現代についても皆無に近い。そもそも村落・聚落の研究が存在しない。この困難な情況の下、限られた史料および現地調査で確認されるのは、江南デルタの地勢は、概ね高郷(海抜3米から4米)と低郷に区分され、前者は孤立荘宅を含む疎村が圧倒的であり、後者は100戸を中心値とする集材が優勢である。聚落形態の差異は、土地廟の範囲=廟界に反映し、高郷では行政地理的区画である「図」が一個の土地廟の範囲であるのに対し、低郷では図の境界に関係なく、聚落=村を単位として廟界が設定されている。小農民の第一次的生活空間は、この土地廟の範囲(それも社と俗称される)であった。概ね一個の土地廟は100戸を中心地とする戸数を有する。 (7)内的要因として江南デルタ低地開発の終焉、外的には大航海時代、この二個に契機付けられ、江南デルタでは16世紀半ば、商業化が始まり、在地の郷居地主階層は急速に没落し、農村は小農民の世界に変わる。総督信仰はそのパトロンを喪失した。それにも拘わらず、明末以降も総管信仰は生き続け、現代まで(官憲の抑圧に耐えて)それは続いている。漕運保護の霊異説話は小農民にとっては無縁である。収集された現代の説話では、金総管などの土神は漕運担当の下級武官に変貌しており、飢餓に苦しむ貧民に管理下の漕米を独断で支給し、自らは責めを負って投身自殺する。 (8)明清社会経済史研究は、16世紀半ば以降、江南デルタの商業化に伴い 水稲を栽培する小農民も家内手工業に従事し、獲得した貨幣で以って、湖広=長江中流域から移入される食米を、常時購入するに到った情況を確認してきた。江南の土神は、商業化という社会経済構造の大変動に適応して自らを作り変えた。工師たちは郷居地主の消滅に対応し、あらたな顧客、厖大な小農民層の切実な願望に応える霊異説話を創出したのである。 (9)農村家内手工業の展開はこの地の商業化の重要な構成部分であるが それは流通の新たな結節点である市鎮market townの叢生と連関した。小農民の生活空間は、生業・生活の必要に対応して、第一次的空間=村落一社の範囲を超え、市場町を中核とする領域(郷脚と呼ぶ地域も有る)にまで拡大する。その祭祀・信仰における表現が、村落レヴェルの土地廟の上位に位置する鍾城隙廟の形成であり、下位廟=土地廟から上位廟=鍾城障廟に向かう表敬(朝集)と上納(解銭糧)活動の出現である。いずれも中央朝廷に対する地方官の、あるいは県街への糧長・里長の税糧上納行為に比喰して用語が使われており、市鎮を中核とする地域社会、小農民にとっては第二次的な生活空間の形成が想定されるのである。 5)課題: 資料の欠如、祭肥信仰調査の不許可等により、解明きるべくして未だ遂行されざる課題は多い。土地廟の祭り (社会・土地会)は具体的にどのように行われたのか、それと村落の共同性は如何に連関するのか そこに如何なる宗教職能者が存在し、どのように機能していたのか、士大夫やその候補者の階層は実際には、此等の祭祀・信仰構造にどのように関与していたのか等等。今後の課題とするが、華南の優秀な青年研究者には、(申請者等の蓄積してきた営為の影響も受けつつ)その考察が始められていることは、明るい展望を抱き得るものであると言える。, 総研大乙第100号}, title = {総管信仰-近世江南農村社会と民間宗教-}, year = {} }