@misc{oai:ir.soken.ac.jp:00002439, author = {岡部, 真由美 and オカベ, マユミ and OKABE, Mayumi}, month = {2016-02-17}, note = {本論文の目的は、タイにおける上座部仏教の僧侶たちが、開発をめぐる政治社会的変化 のなかで、どのように在家者の生活向上に取り組んできたのかを、民族誌的記述を通して 明らかにすることであり、また、僧侶たちによる取り組みが何をもたらしたのかを考察す ることである。  タイをはじめ、厳格な出家主義をとる上座部仏教社会において、僧侶たちは、戒の遵守 によって、一切の生産活動から切り離されたサンガ(僧団)を構成し、在家者と明確に区 別されている。この区別は、僧侶が在家者にとっての寄進の対象になること、また、在家 者に徳を与えること、をそれぞれ可能にするものである。しかし1960年代以降、開発が進 展するなかで、一部の僧侶たちが、「社会のために働かなければならない」と考え、農民 の貧困解消、エイズ患者のケア、森林保護などの分野において、積極的に在家者の生活向 上に取り組むようになった。このような僧侶たちは、やがて、NGOワーカーや知識人らを 中心に、「開発僧」と呼ばれるようになった。  タイの上座部仏教に関する人類学的研究は、1970年代以降の急速な社会変化のなかで勃 興した、新仏教運動や宗教再生の現象を論じてきたが、「開発僧」はほとんど研究の対象 としてこなかった。一方、「開発僧」をめぐっては、開発論と社会学において盛んに議論 されてきた。開発論においては、地域開発に果たす僧侶の役割を、理念と現実を区別しな いで論じること、また、社会学においては、観察者の一方的な基準によって特定の僧侶を 「開発僧」として実体化して論じることに、それぞれ問題がある。 これを踏まえ、本論文では、在家者の生活向上に取り組む僧侶たちを、「開発僧」とし て実体化して捉える視点を回避し、僧侶たちの取り組みを、彼らを取り巻くコンテクスト のなかで民族誌的に明らかにする。そうすることによって、なぜ、僧侶たちが在家者の生 活向上に取り組むようになったのか、また、彼らが、従来のタイの上座部仏教のなかでど のように位置づけられるのか、という問いに答えることを試みる。  なお、第2章から第5章の各章における記述・分析の内容は以下の通りである。  第2章では、僧侶たちによる、在家者の生活向上のための取り組みが位置づけられる背 景として、タイにおける1960年代以降の開発の進展と仏教の関わりについて明らかにした。 1960年代以降、政府によって国家開発への協力を強く要請されたサンガが、僧侶を地域開 発に動員するための具体的な訓練計画を開始すると、仏教大学や各地方都市の大寺院も、 類似した計画や独自の活動を相次いで開始するようになった。一方1970年代以降、僧侶た ちは、NGOワーカーや知識人らから、オルタナティブな地域開発の担い手としての役割が 期待され、「開発僧」と呼ばれるようになった。 このような国家レベルの政治社会的背景のもと、一地方寺院の僧侶たちが、どのように 在家者の生活向上に取り組んできたのかを具体的に明らかにしたのが、第3章から第5章 である。なお、本論文では、北タイ・チェンマイ都市近郊部に位置するドーイサケット郡 D寺の事例を取り上げている。  まず、第3章では、僧侶たちを取り巻くコンテクストとして、D寺と周辺地域社会CD 村の歴史と現状について詳述し、僧侶と在家者の関係が、宗教領域以外においては希薄で あることを明らかにした。D寺は、19世紀末頃から市場を中心に発展した、郡内最大の商 業地、CD村における唯一の寺院である。このD寺は、1970年代後半からの約30年間に、 鬱蒼とした森のなかの寺院から、近代的設備が整った一大寺院へと変貌し、他地域から多 くの止住者(僧侶および在家の寺弟子)が集まるようになった。日常的には、この止住者 たちの役割分担によって寺院運営がおこなわれているため、僧侶と地域社会の在家者との 接点は、托鉢や儀礼などの宗教領域に限られている。  第4章では、1980年代以降、このD寺および地域社会において、住職P師が取り組んで きたことは、国家からの要請や地域社会からのニーズに応えることによって、サンガおよ び在家者からの承認を得ようとする試みであったことを明らかにした。P師は住職に就任 後、まず、建造物の建立およびインフラ整備に着手し、続いて国家プロジェクトをいくつ も受容することで、沙弥教育のほか、在家者の教育にも力を注いできた。またP師は、居 住地、高齢者、エイズの各分野における在家者からのニーズにも応えてきた。在家者との 関係が希薄であることを認識するP師が、このような多角的な寺院運営をおこなってきた のは、幅広いニーズに応えることによって、在家者からの名声を獲得し、さらにはサンガ 内での肯定的評価を手に入れるためである。  第5章では、1990年代以降、P師の仕事を継承し、在家者の生活向上に取り組んできた 若手僧侶I師が、コミュニティ・ケアの運動体と国際NGOという、国家と地域社会のあい だに位置づけられるエージェントからの期待に応え、また、そのエージェントとの関係に 自らを位置づけようと試みてきたことを明らかにした。さらに、I師は、在家者の生活向 上の取り組む僧侶たちとともに、「北タイ・コミュニティ開発僧ネットワーク」を結成し、 各々の取り組みに対する関心を共有し、その具体的な内容やノウハウ、それにまつわる疑 問や悩みなどといった、さまざまな知識と経験を交換し合うことを可能にしている。この 活動を通して、I師らは、寺院内の師弟関係やサンガのヒエラルキーにみられるような、 垂直的な僧侶間関係とは異なり、関心を共有する僧侶たちのあいだに、個別の寺院および 地域社会を越えた新しい僧侶間関係を生み出した。  第2章から第5章における記述・分析を通して、本論文では以下の2点を結論とした。 すなわち、第1に、タイにおける1960年代以降の開発をめぐる政治社会的変化のなかで、 僧侶たちは、国家、NGOおよび地域社会から課せられるようになった要請や期待に応えよ うとして、在家者の生活向上に取り組んできたのであり、同時に、その取り組みを通して 社会からの承認を得ようと試みてきたことである。  第2に、僧侶は、在家者の生活向上に取り組むことによって、師弟関係にみられるよう な寺院内およびサンガ内における垂直的関係や、地縁や血縁にもとづく関係のほかに、関 心の共有にもとづく新しい僧侶間関係を創出したことである。  北タイ・チェンマイ都市近郊の一地方寺院の事例を考察することによって、本論文が明 らかにしたことは、タイにおける1960年代以降の開発をめぐる政治社会的変化のなかで、 僧侶たちが在家者の生活向上に取り組むことによって、非宗教的領域における僧侶と在家 者のあいだの希薄な関係を回復しようと試みていることであり、また、その試みが、個別 の寺院および地域社会を越えた、新しい僧侶間関係の創出を可能にしたことである。この ことはまた、従来、タイの上座部仏教研究において、国家-サンガ-地域社会のなかに位 置づけられてきた僧侶たちが、今日、国家と地域社会との中間領域に位置づけられるよう になりつつあることを提示しているのである。, 総研大甲第1395号}, title = {現代タイ社会における開発と僧侶-僧侶による社会貢献とネットワーク形成に焦点をあてて-}, year = {} }