@misc{oai:ir.soken.ac.jp:00002451, author = {佐貫, 正和 and サヌキ , マサカズ and SANUKI, Masakazu}, month = {2016-02-17}, note = {近代日本には、共和主義と共和主義の形成と展開を支えた基盤は果たして存在したの だろうか。この問いを念頭におきながら、本稿は、丘浅次郎(1868年~1944年。自然史 学者)の思想と丘が参加したネットワークを考察して、丘の共和主義がもつ思想的特徴 と、丘の共和主義の形成と展開を支えた基盤がもつ多元的構造を明らかにすることを目 的とする。   近代日本の共和主義研究史では、自由民権期の共和主義に関して否定的見解が多く、 共和主義と共和主義を支えた基盤を検討した研究や、1889年~1945年の共和主義を検討 した研究は殆ど無い。そこで本稿は、1920年代前後に公表された丘の共和主義を実証し た上で、そこから一歩ふみこんで、丘の共和主義の形成と展開を支えた基盤がもつ多元 的構造を考察して、共和主義を思想家の言説を分析するレベルだけに止まらせるのでは なく、思想家が参加したネットワークの活動と交友の営為というより根源的な社会的経 験のレベルから明らかにしたい。   共和主義研究史の問題点として、自由民権家を対象にして天皇制か共和制かをめぐる 政治思想の共和主義に主眼をおく戦後歴史学と、近世日本の小さな「共和国」とそれを支 える階級の枠を越える共和的な人間関係に主眼をおく思想史は断絶してきた。そこで本 稿は、先ず丘が参加したネットワークを検討して、政治思想の共和主義と共和的な人間 関係を明らかにして、次に丘の言論活動を検討して、政治思想の共和主義を明らかにし て、最後にネットワークと丘の共和主義の繋がりを明らかにする。本稿が、丘の共和主 義と共和主義の形成と展開を支えた基盤を明らかにできたならば、家永三郎が言う「共和 主義の伝統」が沈滞した中間期(1889年~1945年)にも、共和主義と「共和主義の形成を培 う土壌としての役割」をもつ「共和主義意識」が存在した一例を実証的に明らかにすると 同時に、断絶してきた両研究の対話を試みる共和主義研究史上の意義がある。   丘の研究史では、1900年代の丘の進化論は多様な観点から批評されたが、1910年代~ 1920年代の言論活動や、丘が参加したネットワークや、丘の共和主義とそれを支えた基 盤などを検討した研究は少ない。そこで本稿は、丘の言論活動を考察して、共和主義の 存在が否定された1920年代前後に公表された丘の共和主義がもつ思想的特徴を明らか にする。更に本稿は、一方では丘の思想構造に即して、「自然における人類の位置」から 出発する思考、自然史という枠組み、「苔虫的見地」という博物的な世界観、「不遇の楽し み」という人生観などを考察して、他方では丘が参加したネットワークに即して、共和主 義と共和的な人間関係を考察することによって、丘の共和主義の形成と展開を支えた基 盤がもつ多元的構造を明らかにする。   近代日本に共和主義が存在したのか否かも、近代日本の共和主義がいかなる思想的特 徴をもったのかも不明のままである今現在、丘の思想とネットワークに即して共和主義 と共和主義の形成と展開を支えた基盤を考えることは、いかなる研究意義があるのだろ うか。丘の思想の研究には、階級制度や君主制を支える心理的基盤とは一体何かという 問題や、世襲の君主制と人間の平等にはいかなる関係や矛盾があるのかという問題や、 主権在君を批判して主権在民を求める思想がもつ可能性とは一体何かという問題などを 問いなおす共和主義という観点から、近代日本の民主主義思想の意義と問題点と課題を 考える意義がある。丘が参加したネットワークの研究には、共和主義を思想家の言説を 分析するレベルだけに止まらせるのではなく、共和主義を論じた思想家が参加したネッ トワークの活動と交友の営為という社会的経験や人間関係のレベルから共和主義の形成 と展開を支えた基盤を明らかにする意義がある。本稿は、丘の思想構造と丘が参加した ネットワークの営為という両面を考察して、丘の共和主義がもつ思想的意義と、丘の共 和主義の形成と展開を支えた基盤がもつ多元的構造を考えてみたい。    「第1章 坪内逍遥のネットワ―ク」では、丘が坪内と共同生活した1882年~1887年 に焦点をあてて、共同生活の場所で坪内が周辺の人々の協力を得ながら創作を交えて翻 訳・翻案した『自由太刀余波鋭鋒』を考察して、坪内のネットワークを再構成する。共 同生活の人間関係と、『自由太刀余波鋭鋒』が提示した天賦人権論の系譜に連なる共和主 義や、共和主義の展開と腐敗をめぐる課題を検討して、坪内と周辺の人々が共和主義を いかに把握したのか明らかにする。   「第2章人類学会のネットワ―ク」では、1884年~1910年代前半の人類学会の活動と交 友に焦点をあてて、丘が自然史という枠組みを形成する過程、初期メンバーの共通点、 人類学会で共有された平等主義などを考察して、丘の思想が生まれ育った人類学会のネ ットワークを再構成する。丘の言論活動のポイントとなる、自然史という枠組み、「不遇 の楽しみ」という人生観、肩書に基づく人間関係を否定する平等主義などが、どのように 生まれ育ったのか明らかにする。   「第3章博物学会のネットワ―ク」では、1900年代~1930年代前半に丘が参加した高師 博物学会とその周辺の博物学会の活動と交友を考察して、博物をめぐる諸問題を探究し た博物学会のネットワ―クの多様な姿を再構成する。博物学会が探究した博物学の基盤 を博物趣味に求める見方、独立自尊の精神を養成する博物学論、博物教育とその広がり などを検討して、丘の自由教育論、博物的な世界観、博物的な世界主義がどのように形 成されたのか明らかにする。    「第4章『進化論講話』における変化の構造」では、『進化論講話』の特徴、読者の批評、 各版の変化などを考察して、丘の進化論と「迷信=天皇制」の向き合い方が変化する構造 を明らかにする。1904年版では人々の思考の変革をめざして「迷信」を打破する第1の要 素、「迷信」を戦争に役だてて生存競争論で帝国主義を擁護する第2の要素、進化論と「迷 信」を調和させる第3の要素が混在したことと、1914年版では各要素が変化して丘思想 の方向性が定まったことを明らかにする。「自然における人類の位置」から出発する思考 と「苔虫的見地」という博物的な世界観も検討する。   「第5章1910年代における天皇制批判」では、1910年代に確立したレトリックという 方法を駆使した天皇制という言葉を使わない天皇制批判の特徴と、天皇制批判の論拠と なる「自然の復讐」論がもつ思想的意味を明らかにして、「触らぬ神の祟り」を天皇制論と して位置づける。   「第6章丘浅次郎の共和主義」では、「新人と旧人」や「猿の群れから共和国」を対象にし て、奴隷の対極には共和があると捉える観点を核として、レトリック論と奴隷根性論を 組み合わせて分析した天皇制、天賦人権論や民定憲法論の系譜に連なる共和主義、共和 国の出現後の課題などを検討して、丘の共和主義がもつ思想的特徴を明らかにする。更 に、アジア・太平洋戦争下に博物学会のネットワークが植民地や大東亜共栄圏に拡大す る過程で発表された丘の「不遇の楽しみ」という人生観を検討して、共和主義を含む言論 活動を支えた基盤を明らかにする。    「終章丘浅次郎の共和主義の位置づけ」では、丘が参加したネットワークと丘の思想の 繋がりを検討して、丘の共和主義の形成と展開を支えた基盤を明らかにする。更に、吉 野作造の民本主義や他の共和主義と丘を比較検討して、丘の共和主義を近代日本思想史 に位置づける。, 総研大甲第1398号}, title = {近代日本における共和主義―丘浅次郎の思想とネットワ―クを通じて-}, year = {} }