@misc{oai:ir.soken.ac.jp:00002670, author = {ヨトヴァ, マリア and YOTOVA, Mariya}, month = {2016-02-17}, note = {本研究の目的は、ブルガリアの社会主義期およびポスト社会主義期において伝統食品からグローバルな健康食品へと変化してきた、ヨーグルトをめぐる言説の生成と展開の過程を明らかにすることである。 本論文は、4章からなり、以下にその概要を述べる。  第1章では、“ブルガリアヨーグルト”という言説のルーツを、20世紀初頭に誕生した「不老長寿説」にまでたどり、それが後にブルガリアにおけるヨーグルトの研究のなかでどのように「ブルガリア起源」言説として発展していったのかについて考察した。  第2章では、社会主義期において、“ブルガリアヨーグルト”をめぐる「人民食」言説と「技術ナンバーワン」言説という新たな言説が成立していく過程を考察した。事例として、乳業において独占的地位を占めたD.I.企業の国際戦略をとりあげ、D.I.企業を中心としてヨーグルトの「技術ナンバーワン」という新たな言説が成立していった経緯に注目しながら、それと社会主義イデオロギーそのものが生み出した「人民食」言説との複雑な関係について論じた。さらに、社会主義が崩壊した現在、「技術ナンバーワン」言説の提唱者の語りに注目しながら、当時の権力者からの寵愛を失った言説がT社長のナラティブのなかでストーリー性のある“ブルガリアヨーグルト”の「成功物語」として展開していることを示した。  第3章では、社会主義国ブルガリアから経済成長の真只中にある日本へと舞台を移し、ヨーグルトをめぐる「聖地ブルガリア」言説と「企業ブランド」言説が日本社会において浸透していく過程を明らかにした。「ブルガリアヨーグルト」の導入段階における園田天光光の役割に焦点をあてながら、彼女の社会活動から生まれた「聖地ブルガリア」言説と「企業ブランド」言説との関係について論じた。事例として「明治ブルガリアヨーグルト」の商品化のきっかけとなった大阪万博、ブルガリア館の展示方法と広報戦略を検討し、大阪万博のブルガリア館で「発見」されたヨーグルトの商品開発に注目しながら、「企業ブランド」言説の誕生からの浸透に至るまでの経緯を考察した。  第4章では、ポスト社会主義期におけるヨーグルトの新たな意味づけをめぐるグローバルとローカルの対立に注目しながら、自由化された市場におけるこれまで生成されてきた諸言説の展開、ならびに競争激化のなかで成立していく新たな言説の特徴、さらにそれぞれの相互関係および社会に与える影響について考察した。 本論文の結論は以下の点にまとめられる。 1)メチニコフの「不老長寿説」は、“ブルガリアヨーグルト”という言説のルーツである。欧米の乳酸菌研究から「不老長寿説」に対する反論が出ていたが、ブルガリアの研究者は、ブルガリア菌に関する研究を始め、歴史的・考古学的研究の成果に基づき、“ブルガリアヨーグルト”の古い起源や古来の伝統を強調した。その結果、ヨーグルトの「ブルガリア起源」言説の土台となった。 2)社会主義期において社会主義的イデオロギーの色彩を帯びた「人民食」言説は、農業の集団化や工業化政策がもたらした社会変化、乳加工システムの近代的変容、国家の栄養政策や文化統一政策を背景として生成した。その結果、ヨーグルトはほぼ毎日ブルガリア人の食卓に登場する基礎食品となったが、これは大量生産・栄養重視に主眼を置いた社会主義体制の産物であることも明らかになった。 3)社会主義体制下においてヨーグルトの大量生産や人民への大量供給の必要性から、D.I.企業により「技術ナンバーワン」言説が登場した。この言説の特徴は科学研究において培われた「長寿食」言説や「ブルガリア起源」言説の延長線で、D.I.企業の技術官僚(テクノクラート)や技術専門家によって成立した点である。加えて研究・技術開発に基づいた国営企業のヨーグルトの優位性を主張することで、西欧のヨーグルトより味覚面や健康への効果の面で優れているとしていた。この自民族中心的な主張は国内におけるD.I.企業の地盤固めとともに、国際レベルでは“ブルガリアヨーグルト”に競争力をもたせる重要な機能を担っていた。 4)支配的な地位を占めた「人民食」言説は、社会主義のイデオロギーと体制そのものを支える重要な役割を果たしていた。これに対して「技術ナンバーワン」言説は、“ブルガリアヨーグルト”の優位性を主張するものとして、国営企業の技術開発や広報活動のなかで結晶化していった。この両言説の高揚により、各家庭のヨーグルトが「人民食」の汎用的な味に画一化され、ヨーグルトの伝承を担ってきた人びとの姿が権威のあるビューロクラートやテクノクラートの陰に隠れていったことが重要である。 5)日本における「ブルガリアヨーグルト」は、園田によってヨーグルトを自然との共生、長寿の秘訣、家族団欒というシンボルに置き換えられ、家庭のヨーグルト味が手作りという形式で、ヨーグルトをめぐる「聖地ブルガリア」言説が主婦の間で広まっていた。そして1970年に開催された大阪万博を契機に、明治乳業は社会主義国家ブルガリアの国営企業から毎月「純粋種菌」を買い取り、技術指導を受け入れることで、以後の明治乳業の定番商品「ブルガリアヨーグルト」が確立される基礎となる。競争市場において明治乳業が作り出したものは、健康意識の高い消費者のために「情報化」された資本主義的ブランドの味である。同時にそれは自然豊かで美しいブルガリア像であり、永遠に輝くヨーグルトの成功物語でもあった。 6)ポスト社会主義のブルガリアにおいて、 ヨーグルトをめぐる多用な言説が生み出され、広がったその土台に、市場経済化が社会主義的乳加工システムにもたらした変容がある。さらにブルガリアの乳製品がEU主導の品質管理基準に縛られ、輸出が困難となった。同時に、生乳不足に陥るブルガリアはEU諸国から余剰原料の購入を余儀なくされるという実態があった。そこでD.I.企業の後継者LB社が生き残りを懸け、明治乳業との技術提携に基づき「日本ブランド」言説を利用しようと試みた。これによって明治乳業によって創られた「企業ブランド」言説は、ブルガリアへと幅広く受け入れられることで、ヨーグルトがブルガリア国民の自信回復させる社会的な再帰的効果をもたらした。 7)社会主義期において「人民食」として育成されたヨーグルトは、社会主義崩壊に伴うグローバル化の影響を受けながら、次第に種類、味覚、質感が多様化した。そうしたなか、グローバル企業ダノン社はヨーグルトの達人としてのおばあちゃん像を利用し、「祖母の味」言説を浸透させた。その一方で言説として利用されているおばあちゃんは、企業のレトリックを逆に利用して、健康と若返り効果があるとする「ホームメイド一番」言説を主張する。  以上のような本論文の結論からは、はじめに掲げた本研究の目的に対して次のような貢献を行ったといえる。“ブルガリアヨーグルト”をめぐるさまざまな言説を中心に拡大・多様化していくヨーグルトの意味づけと価値の創造・再構築プロセスには、国家や企業、地方自治体、ヨーグルトの伝承を担う人びと、消費者がそれぞれの立場から競争、あるいは協奏しながら、現代ブルガリアにおけるヨーグルトのポリフォニーを形成しているということである。, 総研大甲第1446号}, title = {ヨーグルトをめぐる言説の生成と展開-社会主義期からポスト社会主義期にかけてのブルガリアを中心に-}, year = {} }