@misc{oai:ir.soken.ac.jp:00000027, author = {阿良田, 麻里子 and アラタ, マリコ and ARATA, Mariko}, month = {2016-02-17}, note = {本論文の目的は、スンダの食文化に関連するさまざまなカテゴリー化のあり方を、スンダ語の言語表現の認知言語学的な分析を通して明らかにすることである。長期の人類学的なフィールドワークによって得たデータに基づき、認知言語学的な意味のとらえかたや非古典的なカテゴリー理論をふまえて、言語表現の意味や語彙の構造を分析し、スンダの食文化の諸相に関わる人びとの認識の一端を描きだすことを試みた。  第1章では、文化人類学および言語人類学における食文化に関する先行研究を概観し、問題の所在、および調査の概要を述べた。第2章では、料理・調理のカテゴリーの中で、その成り立ちでなく、食制や社交的な領域における規定が重要になる例をあげた。スンダ語には炊飯を表す動詞が二つある。辞書の定義では、nyanguは米を蒸して調理することを、ngaliwetは鍋で炊き干しにすることを表す。しかし実際には二種類の炊飯のカテゴリーにおいては、調理法ではなく、社交の領域の規定が、炊飯器の使用という新しい状況に 対する語の使い分けの決め手となる。nyanguは日常の食事の炊飯であり、ngaliwetは非公式で親密な雰囲気をもつ社交の機会を伴う炊飯だからである。  第3章と第4章では、食材を扱った。食材のカテゴリー化に関わるのは、その成り立ち・外形・味・色のような内在的な特徴だけでなく、主に利用される「料理」の種類、食制における位置づけ、調理における利用のしかたという認知領域である。例えば一見「野菜」に相当する概念かと思われるsayuranというカテゴリーは、調査地の主婦たちの認識ではsayurと呼ばれる汁気の多い料理群と深く結びついており、「sayurという料理に使われるような種類の食材」という理解のされ方をしている。  料理のカテゴリーと同様に、食材にも複数の主要な特徴に基づいた複雑なカテゴリーが存在する。bungbu(調味香辛料)やkakacangan(豆)などといったカテゴリーはいずれも、さまざまな特徴によって規定される下位集団が互いに複雑に重なり合って形成する、家族的類似性をもつカテゴリーである。例えばbungbuは、味や風味や香りをつけるための食材の総称であるが、味や風味や香りをつける食材でも、アオトウガラシや葉セロリなどは、調味香辛料でないとされたり、非常に周辺的であるとされたりする。bungbuというカテゴリーは、味・風味・香りに関する機能だけではなく、その素材に対する調理法や、食べ方に関わる特徴によっても規定されている。「ペースト状にすりつぶした調味香辛料を炒めて、主材料と水分を加え、レモングラスなどを加えて煮込む」というスンダ料理の調理法に頻繁に用いられる食材が、bungbuのもっとも典型的な成員となり、そこから外れるものは、非成員あるいは非典型的な成員とされる。  第5章・第6章では、食べ物の味わいに関与するさまざまな要素のうち、味とテクスチャーをとりあげた。従来の言語人類学的研究では、味覚表現という言語表現が包含する評価と、味覚そのものへの評価が同一視され混同されがちであった。これに対し、本論文では味覚表現と味覚への評価をより分析的に観察するため、「顕著な味」「隠然たる味」という分析概念を提示した。多くの料理においては、さまざまな味が複雑に混ざり合って現れる。その時、一つ一つの味は突出することはないが、じっくり味わえば確かに存在が感じられ、もし不足すると物足りなく感じる。これを隠然たる状態と呼ぶ。スンダの場合、隠然たる状態の味は、その存在が認識されていても、味覚表現を使って言語的に表現されることはほとんどない。苦味や渋味やえぐみを表す表現は、ほとんどがマイナスの評価を含んでいるが、その理由はこれらの味が顕著な状態ではマイナスの評価を受けるためであって、実は味そのものがマイナス評価を受けるということではない。隠然たる状況では、むしろ苦味・渋味・えぐみの存在が期待され、プラスの評価を受ける場合がある。こういった味への評価は、言語表現の分析からだけでは明らかにすることができず、人々の食生活に対する十分な参与観察があってはじめて理解しうる。  テクスチャーは、スンダの味わいの表現・評価において、重要な位置を占めている。すこし粘りがあってまとまりやすいテクスチャーを表すpulenは、米飯のおいしさを表す語として使われる。これは、手で米飯を食べる際の食べやすさと直結し、日常的に手食が優越するスンダの食事のマナーと切り離せない。また、同じpulenという語が、米飯に用いられる際とイモに用いられる際とでは、その表すテクスチャーは異なっている。そして、pulenと関連づけられる他のテクスチャー表現も、イモをめぐる場合と米飯をめぐる場合とでは全く異なる。これらの語彙は互いに結びつきあってネットワークのような構造をもっている。そして、米飯というコンテクストが与えられた場合には、そのうちの米飯に関連する部分が喚起され、その部分のネットワークの構造が、米飯のおいしさをはかるためのものさしとなる。  第7章では、「料理」や「調理」に関わる語彙の数々が、スンダ社会における食べ物の贈答や共食に関わる慣習的な行動のパターンを凝縮した理想認知モデル(ICM)のメトニミーとして用いられるさまから、スンダの人々の食べ物の贈与やもてなしに関わる行動がどのように概念化されているのかを明らかにした。例えば、ngopak(opakせんべいを作る)のような、第一次領域において「調理」や「調理操作」の種類を表す語が、儀礼への参加の形態の種類を指し示すことがある。調理という作業が、その作業に伴うインフォーマルな共食の機会を含めた儀礼参加のICMのメトニミーとなっているのである。  以上のような事例の数々から、食文化に関わる諸領域のカテゴリー化においては、従来百科事典的知識であり言語外のものと考えられてきたような認知領域が大きく関与していることが明らかになった。つまり、「調理」や「料理」のカテゴリー化においては、食制における位置づけや社交の領域における特徴が関与し、食材のカテゴリー化においては、その食材に対する調理法の詳細や、その食材が使われる料理の種類や食べ方などが関与する。味わいのカテゴリー化については、個々の味やテクスチャーの現れる状況というコンテクストが重要な要素となる。また、調理を表す動詞や食物の容器を指す名詞などが、食物の贈与や共食の機会といった社交的な場面のメトニミーとなるさまからは、それらの語を適切に使用し理解するためには、社会背景に対する知識が必要となることがわかる。また、逆に、食文化の諸相とそれに関わる言語表現の分析をリンクさせることによって、当該の食文化そのものの特徴もより鮮やかに浮き彫りにすることができる。  このように、本研究では、文化人類学的なフィールド調査と認知言語学的な分析法とを融合させることによって、新しい視点から食文化における多様なカテゴリーのありかたの諸側面を提示することができた。これは、他の言語文化にも適用可能な方法論であると考えられる。, 総研大甲第824号}, title = {インドネシア・スンダの食文化-言語人類学的観点から-}, year = {} }