{"created":"2023-06-20T13:22:12.162227+00:00","id":2715,"links":{},"metadata":{"_buckets":{"deposit":"4b9ec9c8-d57b-414d-b0c6-d4b149221a2c"},"_deposit":{"created_by":21,"id":"2715","owners":[21],"pid":{"revision_id":0,"type":"depid","value":"2715"},"status":"published"},"_oai":{"id":"oai:ir.soken.ac.jp:00002715","sets":["2:426:5"]},"author_link":["0","0","0"],"item_1_creator_2":{"attribute_name":"著者名","attribute_type":"creator","attribute_value_mlt":[{"creatorNames":[{"creatorName":"山口, 欧志"}],"nameIdentifiers":[{}]}]},"item_1_creator_3":{"attribute_name":"フリガナ","attribute_type":"creator","attribute_value_mlt":[{"creatorNames":[{"creatorName":"ヤマグチ, 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日本での古代遺跡を対象とした考察では,遺跡立地と土器からみた交流について検討した。具体的には南関東地方弥生時代遺跡の立地をミクロとマクロな視点で定量的に分析した。南関東地方の弥生時代集落は,中期後葉頃に急激に増加し,なおかつ一定の空間に集中して分布する。こうした集中の傾向は後期になると分散することが明らかになってきた。環濠集落は特に台地上に集中する傾向が強く,集落造営にあたっては一定の規定があったと推定している。また,土器からみた交流では,当該地域における打越遺跡の拠点性を土器の地理的勾配から明らかにした。交流には日常生活の場である集落の立地と集落間の位置関係が鍵となっていることが明らかになった。この鍵こそ,景観の一側面として理解できるだろう。\r\n また同じく日本でおこなった中世港湾遺跡十三湊の景観の可視領域分析を利用した考察では,交易の円滑な営みとさらなる発展のため,湊に大土塁と堀によって肉体的・精神的に境界を設け,また大土塁と並行にのびる堀や柵囲い道路を設けて空間を整備し,建物群や井戸もこれに従い計画的に配置し,秩序立てられた新たな景観を構築したと推察した。\r\n この十三湊から北北東に直線距離で約570km,北海道を越えて北上し辿り着くサハリン島に白主土城がある。白主土城は金あるいは元の時代に築城され,北東アジアの様々な集団が入り交じりながら交易を重ねた遺跡とされている。白主土城と十三湊遺跡は,交易ネットワークの一部に北東アジア日本海域を有したと推察された。白主土城の景観は,時期的な隔たりも考慮しなければならないが,遠くからみた場合のランドマークとしての機能や,近くに寄った際のその威圧性の点で,十三湊遺跡とは大きく異なっており,同じ港湾遺跡であっても,機能や社会的脈絡が相当に異なっていた可能性を示唆し,また文献史料からの研究成果もこれを傍証するものであった。\r\n中央アジア最大のシルクロード都市サマルカンドを中心とするゼラフシャン中流域地帯の調査研究では,シルクロード都市ダブシア遺跡を対象に考察した。ダブシア遺跡の考古学的な調査では,すべての遺跡データをGISデータとして記録している。このGISデータを利用して2つの異なる空間スケールでダブシア遺跡を検討した。ゼラフシャン中流域での分析では,ダブシア遺跡周辺を中心とした遺跡分布調査と衛星画像を用いた地形解析により,遺跡間の ネットワークを物理的視点と象徴的視点から明らかにし,当該領域におけるダブシア遺跡の 中心性が明らかになった。ダブシア遺跡の調査では,地形測量調査と出土した遺物・遺構からシタデル(王宮地区)・シャハリスタン(貴族地区)・ラバット(商業地区)の間に場の格差がみられることを確認し,日常生活の中の景観に権力や集団間の格差が象徴的に埋め込まれていることが明らかになった。\r\n 一方,同じく中央アジアのモンゴル国チントルゴイ城址とオランヘレム城址は,契丹が設 置した節度州の辺防3州として,互いに有機的に連結して契丹による西方の治安維持と交通路の安定の機能を担っていたと考えられる。こちらの遺跡もウズベキスタン共和国ダブシア遺 跡での調査と同じく遺跡のデジタルドキュメンテーションを実施し,城内の空間構成や都市 設計,窯址群の範囲などが明らかになった。また,チントルゴイ城址とオランヘレム城址の可視領域は総じて広く,周囲の交通を監視していた可能性を推測した。しかし密接に連携し ていたと仮定したチントルゴイ城址とオランヘレム城址の間には視認関係やゼラフシャン渓谷中流域のように地形的に想定できる道路のネットワークはなく,ダブシア遺跡周辺のシルクロード都市のネットワークとは異なった形態であったと推察される。そのネットワークとは,遊牧民が築いたステップロード=北のシルクロードと深く関連するものであったという可能性を考えておきたい。\r\n 以上の分析から指摘できるのは,人々は様々な場面で景観を利用し,また影響され,支えられている点である。弥生社会の景観の検討では,集落の選地や土器にみる文化・集団の交流などに景観の一側面である立地が大きく影響していた。また東日本中世の港湾遺跡では,有力者が自己の発展のための社会戦略を秩序の形成というかたちで景観に象徴的に具現化させた。また同じく中世の港湾遺跡ではあるが,遠隔地から様々な集団が錯綜して来航し交易する場では,海上からはランドマークとしての意味を,浜辺からは威圧感を感じさせる2つの意味をもたせた。そして中央アジアのシルクロード都市ダブシア遺跡は,その景観によって,内部にいる者には場所の格差を認識させ,また交易のために行き来する者にとっては海上からの景観がランドマークとして機能した。さらにモンゴルの契丹城郭には,周囲に水路を築き,城は斜面に設け,周辺を広く見渡すことが可能など景観の計画性がみられる。\r\n これらの景観にみる特徴は,そこに住む人々,あるいは権力者(集団)がその社会や集団とうまく都合をつけながら,より望ましい現実を目指すためにとった社会戦略の痕跡として位置付けたい。本研究で着目した点以外にも,景観はいろいろな場で形成されたであろう。しかしこうした景観は,必ずしもいつも彼らの意図する通りの結果であるとは限らなかった と推察する。時には意図せざる結果になることもあったであろう。その背景には,他の人文・自然環境に起因する様々な事象が,複雑に絡み合いながら景観の形成に関わっていたであろう。こうした景観の形成プロセスも重要であり,このプロセスもまた,本論が適用してきたような,遺跡の時空間情報の集積とGISを用いて研究する考古学GISによって,アプローチが可能だと考える。","subitem_description_type":"Other"}]},"item_1_description_7":{"attribute_name":"学位記番号","attribute_value_mlt":[{"subitem_description":"総研大乙第211号","subitem_description_type":"Other"}]},"item_1_select_14":{"attribute_name":"所蔵","attribute_value_mlt":[{"subitem_select_item":"有"}]},"item_1_select_8":{"attribute_name":"研究科","attribute_value_mlt":[{"subitem_select_item":"文化科学研究科"}]},"item_1_select_9":{"attribute_name":"専攻","attribute_value_mlt":[{"subitem_select_item":"03 国際日本研究専攻"}]},"item_1_text_10":{"attribute_name":"学位授与年度","attribute_value_mlt":[{"subitem_text_value":"2011"}]},"item_creator":{"attribute_name":"著者","attribute_type":"creator","attribute_value_mlt":[{"creatorNames":[{"creatorName":"YAMAGUCHI, 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