{"created":"2023-06-20T13:20:01.546095+00:00","id":28,"links":{},"metadata":{"_buckets":{"deposit":"ced14ba8-2cb1-4787-9c49-bb107b07849b"},"_deposit":{"created_by":1,"id":"28","owners":[1],"pid":{"revision_id":0,"type":"depid","value":"28"},"status":"published"},"_oai":{"id":"oai:ir.soken.ac.jp:00000028","sets":["2:426:3"]},"author_link":["0","0","0"],"item_1_creator_2":{"attribute_name":"著者名","attribute_type":"creator","attribute_value_mlt":[{"creatorNames":[{"creatorName":"高, 正子"}],"nameIdentifiers":[{}]}]},"item_1_creator_3":{"attribute_name":"フリガナ","attribute_type":"creator","attribute_value_mlt":[{"creatorNames":[{"creatorName":"コォ, 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仮面劇は、植民地期に人々の注目を集めたが、それは仮面劇がもつ両義性ゆえであった。つまり、両班を諷刺する仮面劇は、植民地統治者には統治の正当性を示すものと解釈される一方で、朝鮮人研究者には民族的なアイデンティティの拠りどころとして解釈された。この相反する二つの解釈が交錯するという仮面劇の特性は、解放後もなお引き継がれた。1960年代に登場した朴正煕が推し進めたのは、近代的な国民国家形成であり、その過程で「大韓民国民」が生成された。この国民生成のなかで、一地方の民俗芸能にすぎなかった仮面劇は、「国民文化」へと押し上げられていった。他方、国家による強引な近代化・産業化政策がもたらした社会矛盾に反発する学生や知識人は、国家による上からの国民形成に対し、下からの民族志向として「民衆」を求め、仮面劇を民衆のシンボルとみなした。この国家と反体制的な学生や知識人との対立を一段と激化させたのが、1980年代の韓国社会の政治的状況であった。国家は反政府運動とのせめぎ合いのなかで、膨大な国家予算をつぎ込んで文化の担い手を取り込もうとした。このような、国家とそれに抗う運動との緊張関係のなかで仮面劇は、「伝統文化」へと格上げされるとともに、「抵抗」のシンボルとして位置づけられた。\r\n 本論文は、こうした韓国社会における仮面劇をめぐる言説を検証しつつ、それに対し固城五広大の担い手である演戯者が、いかに応答していったかを明らかにした。まず、植民地期の演戯者の階層を検討し、これまで固城五広大の演戯者が農民であるとした定説は誤りであり、かれらが有力な郷吏の子孫であるという事実を明らかにした。つぎに、演戯者が仮面劇の伝承の「場」を変化させたことに着目した。朴政権が仮面劇を無形文化財に指定すると、かれらは自由で任意の場から社団法人の保存会を誕生させた。こうして誕生した保存会の内部に、国家は演戯者間の競争をもたらし葛藤を持ちこんだ。この保存会内部におきた競争や葛藤によるエネルギーを、演戯者は大幅な芸能の書きかえ作業に注いでいった。その結果「全国民俗芸術競演大会」において大統領賞を受賞した。そして、この受賞が、保存会の様相を変えるものとなった。これを機に学生への研修がはじまり、そのことが保存会の会長の座にふさわしい人物の資格を変えた。すなわち、会長には国家との交渉に長けた実務者から、学生を教授する能力と実務能力を兼ね備えた者が求められ、また輪番制から特定個人による会長の長期化を招いた。このことによって、固城五広大保存会の組織は拡大したが、反面、演戯者間の葛藤は深化するいっぽうとなった。\r\n 1990年代に入ると、韓国社会は民主化を成し遂げるなど大きく変化していった。これと相まって保存会内部にも大きな変化がもたらされた。第2世代の李潤石が新会長になることによって、演戯者間で繰り広げられていた会長をめぐる確執に終止符が打たれた。この世代交代により、これまでの不透明で非民主的な保存会の運営が刷新された。具体的には、疎外されていた第2世代の会員を中核に据え会員間の和合が求められた。また、葛藤の原因であった伝承者選定の内部基準を定めるなどの改革が試みられた。このような努力の最中におこなわれたのが、2000年3月の芸能保有者選定審査であった。ここでは「伝承者はだれによって決められるのか」というヘゲモニーをめぐる争いが問題となった。国家(正確には国家から権限を委譲された知識人=学者)は、李潤石会長を国家の権威に挑戦したとみなし、かれの芸能が未熟だとして芸能保有者にすることを留保した。この問題をめぐって保存会に内在していた葛藤が可視化された。しかしながら、かれらはこの問題の本質を見据えたうえで、国家の政策や国民文化の枠組みを、かれらなりに再解釈し、国家との折りあいをつけていくという対応をとった。\r\n 続いて、こうした演戯者の集団の葛藤や変化の動態が、芸能の内容にいかに表出されているのかを検証した。その際、文字で表された台本、身体動作、仮面や衣装・小道具といった立体的な側面から実証した。このなかで明らかになったのは、国家をはじめとする知識人たちによる仮面劇の標準化・類型化がおこなわれ、そのことが、その後の仮面劇の内容に変化をもたらしていったことである。一方、こうした変遷は、国家や外部の変化への応答であり、と同時に演戯者たちが自ら創りだすイメージにあわせて芸能を書きかえるといった「再生産」の結果であることも判明した。さらに、テキスト・身体動作・仮面や衣装・小道具が有機的な関係にあり、これらのすべてにおいて「再生産」がおこなわれていた。そうした行為を演戯者たちは、固城五広大の「創造」ではなく、「固城五広大の発展」ととらえている。つまり、古いものを伝え受け継ぐという伝承とは、同じものではないことが明らかになった。\r\n 解放後の韓国社会で、文化の担い手である演戯者は、国家や反体制的な知識人といった外部から押しつけられる理念的な「語り」を、固城五広大を継続するために受け入れた。かれらの行為は、外部に対する対応という従属ではなかった。だからといって、抵抗でもなかった。かれらは、かれら自身の生活や経験から、かれらなりに読みかえながら「再生産」していったのである。すなわち、そこから見えてきたものは、政治的な文脈で語られる「文化」が、その担い手に押しつけられたとき、かれらは自分たちの文脈でそれを読みかえ、もしくは書きかえながら、それを「行い続けている」という事実である。\r\n この固城五広大の事例から、これまで自明のこととされてきた伝統文化や伝承という概念とは違う実態がみえてきた。本来、変遷をともなうという伝承は語義矛盾である。にもかかわらず、外部の国家や反体制的な知識人も内部の演戯者も、仮面劇は「伝承」されているという。つまり、仮面劇は「伝承される文化」なのである。しかしながら、本論文で着目するのはまさに「変遷をともなう生産された文化の伝承」という矛盾である。そうした視点をふまえた伝統文化研究を本論文は提起するものである。","subitem_description_type":"Other"}]},"item_1_description_7":{"attribute_name":"学位記番号","attribute_value_mlt":[{"subitem_description":"総研大甲第825号","subitem_description_type":"Other"}]},"item_1_relation_13":{"attribute_name":"関連サイト","attribute_value_mlt":[{"subitem_relation_type_id":{"subitem_relation_type_select":"URI"}}]},"item_1_select_14":{"attribute_name":"所蔵","attribute_value_mlt":[{"subitem_select_item":"有"}]},"item_1_select_8":{"attribute_name":"研究科","attribute_value_mlt":[{"subitem_select_item":"文化科学研究科"}]},"item_1_select_9":{"attribute_name":"専攻","attribute_value_mlt":[{"subitem_select_item":"01 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