{"created":"2023-06-20T13:20:01.672742+00:00","id":30,"links":{},"metadata":{"_buckets":{"deposit":"03401e9f-4b5f-4efc-bc7b-fea22f891407"},"_deposit":{"created_by":1,"id":"30","owners":[1],"pid":{"revision_id":0,"type":"depid","value":"30"},"status":"published"},"_oai":{"id":"oai:ir.soken.ac.jp:00000030","sets":["2:426:3"]},"author_link":["0","0","0"],"item_1_creator_2":{"attribute_name":"著者名","attribute_type":"creator","attribute_value_mlt":[{"creatorNames":[{"creatorName":"大西, 秀之"}],"nameIdentifiers":[{"nameIdentifier":"0","nameIdentifierScheme":"WEKO"}]}]},"item_1_creator_3":{"attribute_name":"フリガナ","attribute_type":"creator","attribute_value_mlt":[{"creatorNames":[{"creatorName":"オオニシ, 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以上を踏まえ第二章では、トビニタイ土器分布圏の6遺跡から出土した「擦文式土器」を対象として13の技術的属性を抽出し、共伴して得られたトビニタイ土器や同時期の擦文文化圏の資料と比較した結果、そのなかにはオホーツク文化の末裔であるトビニタイ土器製作集団によって製作された模倣品が含まれていることを明らかにした。また、模倣品の時間位置や空間分布を検討すると、知床半島沿岸部や根釧原野などでは模倣品が製作される時期はトビニタイ後期(A.D.11世紀以降)に多くが偏り、その製作にはトビニタイ土器の技術が使用されている一方、斜里平野ではトビニタイ前期(A.D.10世紀以前)から擦文文化集団が持つ技術を導入して模倣品が製作され、トビニタイ後期になるとオリジナルの擦文式土器そのものと見分けがつかなくなる様相を捉えた。そして、この地域差を擦文文化集団との交流頻度の反映と想定することによって、知床半島沿岸部から根釧原野側の集団は擦文文化集団との接触が限られていたのに対し、斜里平野側の集団は擦文文化集団と非常に緊密で頻繁な交流を維持し、擦文文化集団の一部が同地域の集落に来訪し居住する状況が生起していた可能性を指摘した。\r\n そこで、トビニタイ文化の集落に存在していた擦文文化集団の具体的な規模と、両集団間に取り結ばれていた社会関係を解明するために、同文化の住居址の属性分析をおこなった。この分析により、住居址に関わる属性の多くは、オホーツク文化の系譜に位置づけうるものであり、また擦文文化に典型的とされる属性もトビニタイ土器製作集団の側が段階的・部分的に受容したものであるという結論を得た。ここから、トビニタイ文化の主要な担い手は、オホーツク文化の末裔であると想定され、住居址から推察される居住形態に依拠するならば、接触・融合の一次地帯であっても、常態として擦文文化集団は単独で世帯を形成することなく、「婚入」などを通じてトビニタイ土器製作集団を主体とする世帯のなかに同居していたとの仮説を導いた。以上から、トビニタイ文化は、オホーツク文化の末裔が主体的に担っていたことを提示した。\r\n 次いで第三章では、トビニタイ文化の遺跡立地、遺物組成、動物遺存体を対象として、オホーツク文化や擦文文化との比較検討を試みた。その結果、同文化には、地域的・時期的な多様性が認められる反面、同文化を担った集団は共通基盤としてサケ漁に特化した生計戦略を保持していたことを指摘した。さらに、そうした生計戦略は、基本的にオホーツク文化の系譜に位置づけうるものであり、擦文文化の積極的な関与は認め難いことを確認する一方、同文化の成立以降、存続期間を通じて変容することなく、安定的に維持・経営されていたことを明らかにした。\r\n いっぽう、トビニタイ文化には、擦文文化から受容されたと想定される資料が認められるが、それらは地域的に偏差をしめしつつも、時期を経るなかで増加する傾向を捉えた。だが、鉄器のみは、前段階のオホーツク文化の鉄器が大陸産であるのに対し、地域・時期に関係なく、一貫してすべてが擦文文化を仲介して入手された本州産であることを明らかにした。ここから、トビニタイ文化は、生計戦略を始めとして、基本的な要素をオホーツク文化から受け継いでいる反面、擦文文化との接触・融合が引き起こされた背景には、大陸産から本州産への鉄器入手ルートの転換があるとの想定を提起した。これらの想定を是認するならば、既存の「外圧説」と「内発説」は、トビニタイ文化の一側面のみを捉えたに過ぎず、両者は背反するものではなく相互に補完すべき見解であることを指摘した。\r\n 最後に第四章では、これまでの検討から得られた成果を、当時の歴史的コンテクストに位置づけ考察を加えた。その結果、サケ漁に特化したトビニタイ文化の生計戦略は、A.D.10世紀以降に到来する、「中世温暖期」のピーク後の再寒冷化に伴う生態環境の変動に適応するために、道東部のオホーツク文化集団が、海洋資源を中心とする「多品目依存型」から内水面の資源に比重をおいた「備蓄型」に転換したものであるという結論を導いた。他方で、擦文文化集団との接触・融合は、本州産鉄器の獲得を中心に促進されたものであり、その背景には律令体制の崩壊に端を発する、9世紀後半~10世紀の本州・東北北端部における鉄器生産地の出現・急増と中央のコントロールを受けない「化外の地」における物流体制の成立があることを指摘した。\r\n 以上から、トビニタイ文化とは、「中世温暖期」を中心とするグローバルな規模での環境変動と、律令国家の崩壊という政治体制の変容のなかで生起した、古代末から中世初頭に継起した社会生態環境のドラスティックな変化に対して、オホーツク文化集団が選択した生存戦略であるという結論を導いた。さらに、こうした生存戦略は、オホーツク文化集団のみに限定される事象ではなく、和人社会を中心とする商品経済・物流体制に巻き込まれてゆくなかで、中世併行期以降の「アイヌ社会」が形成される過程に位置づけうるものであった。このため、本論は、従来一系的に語られがちであった「アイヌ社会」の成立過程に対して、外来の渡来系集団によって担われたオホーツク文化もまた、北海道東部地域における「アイヌ社会」の形成に主要な役割を果たしていた、という新たな視点を提示するものとなった。","subitem_description_type":"Other"}]},"item_1_description_18":{"attribute_name":"フォーマット","attribute_value_mlt":[{"subitem_description":"application/pdf","subitem_description_type":"Other"}]},"item_1_description_7":{"attribute_name":"学位記番号","attribute_value_mlt":[{"subitem_description":"総研大乙第136号","subitem_description_type":"Other"}]},"item_1_relation_13":{"attribute_name":"関連サイト","attribute_value_mlt":[{"subitem_relation_type_id":{"subitem_relation_type_select":"URI"}}]},"item_1_select_14":{"attribute_name":"所蔵","attribute_value_mlt":[{"subitem_select_item":"有"}]},"item_1_select_8":{"attribute_name":"研究科","attribute_value_mlt":[{"subitem_select_item":"文化科学研究科"}]},"item_1_select_9":{"attribute_name":"専攻","attribute_value_mlt":[{"subitem_select_item":"01 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