@misc{oai:ir.soken.ac.jp:00003093, author = {小河, 久志 and オガワ, ヒサシ and OGAWA, Hisashi}, month = {2016-02-17}, note = {  本論文の目的は、タイの宗教マイノリティであるムスリム(タイ・ムスリム)の宗教実践が、国家やイスラーム復興運動といったイスラームをめぐるマクロな外的諸力に包摂されるなか、いかに変容しているのか、その様態について記述し、考察することである。   ムスリムの日常の様々な側面にイスラームの介入を進めるイスラーム復興運動は、1979年のイラン・イスラーム革命を契機に、中東をはじめとする世界各地で展開してきた。タイにおいてもこの動きは、海外からのイスラーム系団体の来訪等を通して、国内全域で見られるものとなっている。他方、タイでは政府が、様々な対イスラーム政策を実施してきた。その結果、公的な支援と承認を受けたイスラーム行政機関とイスラーム教育機関が、国家から村落に至る幅広いレベルで誕生した。このように、タイ・ムスリムを取り巻くイスラームをめぐる状況は近年、錯綜したものとなっている。それは、彼らの宗教実践にも様々な変化を引き起こしている。   こうしたなか、東南アジアのイスラームを扱った人類学的研究は、ムスリムのミクロな宗教実践の変化を分析する際に、それを包摂するマクロな外的諸力として主にイスラームの制度化を図る国家に注目してきた。このため、イスラーム復興運動は、国家と比べてムスリム社会に及ぼす影響力を矮小化される傾向にあった。また、タイ・ムスリム研究は、外的諸力がムスリムの宗教実践に及ぼす影響をほとんど考慮しないか、その影響を加味してもムスリムの宗教実践を一面的に捉える傾向にある。   以上を踏まえて本論文は、タイ南部トラン県に位置するムスリム村落M村を事例に、タイ・ムスリムの宗教実践の様態を、それが生起するローカルな文脈とともに、イスラーム復興運動を中心とするイスラームをめぐるマクロな政治的、社会的な動きに連携させて考察した。具体的には、ムスリムの宗教実践を、イスラームの規範をめぐる解釈、実践と定義し、それが表出する場としてイスラーム復興運動団体の宣教活動、イスラーム教育の現場、民間信仰の儀礼という村における日常の生活領域を取り上げた。その際、宗教実践をめぐる村人の関係性や上記3領域間の関係性、マクロな外的諸力のあいだの関係性といった横の繋がりにも注目している。また、本論文では、2004年にスマトラ島沖で起きた地震による津波災害と、政府やNGOなどが実施した復興支援が村人の宗教実践に及ぼした影響についても考慮に入れた。   第二章では、トランスナショナルな宣教活動を展開するイスラーム復興運動団体タブリーグを取り上げ、その概要とともに、それへのタイ・ムスリムの対応について、M村の事例から明らかにした。M村においてタブリーグは、公的宗教機関であるモスク委員会との連携に代表されるローカルな要因や、タブリーグに対するタイ政府の寛容な姿勢などのマクロな要因が連関することで、1990年代以降、広く村人の支持を集めた。しかし、その一方で、タブリーグの宗教的な正当性をめぐり村人のあいだに多様な解釈、実践が生まれた。その様子は、村人の認識上に「ダッワ・グループ」、  「古いグループ」、「新しいグループ」という実体化されない住民範疇が誕生したことからも読み取れた。また、タブリーグをめぐる村人の関係は、連携や相補など対立に限られない錯綜した様相を呈していた。   第三章では、M村におけるイスラーム教育の拡充の過程を明らかにした。1990年代以降、村のイスラーム教育では、タブリーグやイスラーム教育普及団体クルサンパン協会、教育省といった外部機関の関与が強まった。モスク付設の宗教教室は、タブリーグの宣教活動を授業に導入したり、教育省からの支援を受け入れたりするなど、これら外的諸力と巧みに連携することで多くの村人の支持を集めた。他方、古くからクルアーンの読誦法を教えてきた私塾は、外的諸力と一線を置き旧来型の教育を続けた結果、その規模を縮小させた。しかし、同塾は、既婚女性をはじめモスク宗教教室の対象から外れる村人を受け入れるなど、イスラーム教育に対する村人のニッチなニーズに対応することで存続した。以上のように、村人のイスラーム理解は進んだが、上記の2つの宗教教育機関の関係者のあいだに、各機関が教授するイスラーム知識や機関そのものの宗教的な正当性をめぐり対立する解釈が生まれた。そこには、タブリーグをめぐる彼らの解釈も深く結びついていた。   第四章では、1978年にタブリーグが来村する以前と以降の時期を対象に、船霊、ターヤーイ、アルアという超自然的存在に対する村人の信仰実践の変化を明らかにした。1970年代以前のM村では、イスラームは来世、民間信仰は現世を司るものとして相互補完の関係にあった。しかし、タブリーグの伸展やイスラーム教育の拡充等にともない、民間信仰はイスラームの規範に反するとする解釈が広まり、旧来の信仰体系を維持する者の数は減少した。他方で、ドゥアーの朗唱というイスラーム的行為やジンやアルアなどタブリーグも認めるイスラーム上の存在を取り込みながら民間信仰を新たに解釈、実践する者が現れた。そこにおいて民間信仰とイスラームは、相反するものではなく、一貫した信仰として実践されていた。   第五章では、インド洋津波に被災した後、村人が宗教実践をどのように変化させたのか、その諸相を明らかにした。津波による甚大な被害やタブリーグの積極的な宣教活動等を通して、津波後、アッラーに対する村人の畏敬の念は深まった。その結果、モスクで礼拝する者が増加するとともに、アッラーへの願掛けやタブリーグが宣教に使ったビラが護符化するなど、新たな形の宗教実践が誕生した。他方で、民間信仰をめぐる村人の宗教実践のあり様も津波後、大きく変化した。たとえば、船霊や村の土地神ト・セへの信仰は、津波前の時点で衰退傾向にあったが、津波を契機に再興した。以上の現象は、「イスラーム化」と「復古化」と呼びうる2つの異なる動きをとっていた。こうした津波後の宗教実践をめぐる錯綜した状況は、過去の津波災害を克服し、未来の津波災害を避けようとする村人の切実な試みととらえることができる。それはまた、アッラーに献身するだけでは満たされない村人の心理的状況を反映した行為でもあったとも言える。   本論文で取り上げたムスリムの宗教実践において、民間信仰などの非イスラーム的な要素は打ち捨てられる傾向にある。しかし、その内実は多様であった。たとえば、民間信仰は、タブリーグの中心メンバーらから放棄される一方、他の村人によって様々な形に解釈、実践されながら存続している。そこにおいて彼らは、タブリーグ等が説くイスラームを参照したり、それを取り入れたりすることで、自身の宗教実践をイスラーム的に「正しい」ものと見なしていた。村人の宗教実践は、自身の置かれた社会的文脈のもとに彼らが見せた「正しい」イスラームの表現であり、「正しい」ムスリムであることの表明の場でもあったのである。   本論文では、南タイというイスラーム世界の周辺におけるムスリムの宗教実践に注目し、その動態を描いてきた。それは、イスラーム復興運動や国家政策、津波災害を経験するなかであらわれたイスラームと民間信仰、外的諸力が持ち込んだイスラームとローカルなイスラーム伝統のあいだの対立や相補、連携といった相互関係の総体であり、またその再編の過程でもあったのである。, 総研大甲第1468号}, title = {周辺イスラームのダイナミズム―タイ南部村落におけるイスラーム復興運動と宗教実践の変容―}, year = {} }