@misc{oai:ir.soken.ac.jp:00003099, author = {陳 , 可冉 and チン, カゼン and CHEN, Keran}, month = {2016-02-17}, note = {  本研究は、幕初儒学の総帥であった林羅山と、その一派である林家の学問と文学を中心に、近世前期の俳文学における日本漢詩文の受容の様相を明らかにすることを目的とする。    漢文学の受容が蕉風俳諧の樹立に多大な影響を与えたことは、すでに周知の常識であり、この方面での先行研究の蓄積は文字通り汗牛充棟の観を呈している。しかし芭蕉の漢文学の教養をめぐり、彼に読まれたとされる書物として、従来の研究がしばしば検討の対象としたのは、漢籍の和刻本や幼学書、そして詩法入門書の類であり、坊間に流布された当代の儒者、詩人らによる漢詩文の著作や編書への関心は不十分であった。    近世初頭の日本漢詩文も、芭蕉を含む俳諧師らの教養の源泉の一つとして位置付けられなければならない。特に近世文芸の発達に大きな影響力を及ぼした林家の学問と文学が、芭蕉の俳諧創作にも様々な刺激を与えたことを、本研究の考察によって明らかにする。本研究は、先学諸氏の学恩を受けつつ、独自の視点を近世前期の漢文学と俳文学の研究に導入し、実証による地道な出典研究を前進させようとするものである。本論では四章に分けて論証を展開している。    第一章「林門の詩文創作」は、研究がまだ手薄な林家の文章や聯句および門人の伝記をめぐって検討を試みるものである。第一節「林羅山の文章作法――『古文真宝後集』との関わりに触れて」では、従来の羅山の漢詩に対する評価を踏まえ、新たに漢文の角度から羅山文学の特質を概観し、彼と深い関係をもつ『古文真宝後集』所収の諸作との比較によって、羅山における文章の作法を具体的に分析する。第二節「林家の聯句趣味」では、初期林家三代の聯句愛好を取り上げる。特に林氏父子・兄弟を囲む林門の文学サロンに注目し、そこに遊戯的漢詩文の一面が見られるという先行研究の指摘を踏まえながら、実際に「竹洞聯句」を読み、聯句という文芸を論じる彼らの主張を検証し、林家における聯句創作の意義を考える。第三節「異彩の伶人――狛高庸年譜稿」では、林門の文事や大名らとの雅交を中心に、鵞峰の愛弟子である狛高庸の生涯を年次順に辿る。   第二章「近世前期俳諧師への林家の影響」は、上方の惟中と江戸の芭蕉を取り上げ、近世前期の俳諧師と林家の関係を考察するものである。第一節「岡西惟中と林家の学問」では、俳論、紀行文、古典注釈など多岐にわたる惟中の著述を俎上にのせ、「假儒」と自称する彼の文業と林家との関わりを究明する。さらに林家の学問、或いは林家経由の中国詩学の知識は、惟中の俳諧にいかなる刺激を与えたかを考察する。第二節「惟中の随筆と林家の著述」では、惟中と林家の関係を論じた第一節の続きとして、特に彼の学殖と技量が存分に披瀝された『続無名抄』と『一時随筆』の二点に焦点を絞り、惟中が林家の著述をどれほど、そしてどのように利用したのかを精査する。第三節「芭蕉と羅山の紀行文――造語『好風』を手がかりに」では、『おくのほそ道』・「松島」の書き出しに出てくる、旧来の説では芭蕉の造語とされる「好風」という言葉をめぐり、羅山の『丙辰紀行』の中に、芭蕉の典拠と思われる「好風美景」という表現を見出し、それを手がかりとして、芭蕉と羅山の紀行文との関わりを明らかにする。   第三章「芭蕉における『本朝一人一首』の受容」は、『本朝一人一首』の影響を念頭に置いて、芭蕉の日記、紀行文、発句を再考するものである。第一節「『本朝一人一首』考」では、芭蕉における同書の受容を検討する前に、まず『嵯峨日記』の注や解題では曖昧にされてきた、『本朝一人一首』をめぐるいくつかの基本的な問題点を検証する。さらに所収詩作の成立年代の下限や『本朝一人一首』の諸本についての考証を行う。第二節「黒川家と林家の交渉――『本朝一人一首』の刊行をめぐって」では、第一節で報告した、黒川玄通の跋をもつ『本朝一人一首』の初印本に基き、跋文の作者である玄通に焦点をあて、黒川家と林家の関係から、『本朝一人一首』の写本から板本に至るまでの背景を探ってみる。第三節「『本朝一人一首』による芭蕉の解読――『嵯峨日記』・『おくのほそ道』を中心に」では、まず『嵯峨日記』四月二十八日の条に焦点をあて、野村家蔵本を参照しつつ、四月二十五日の条の末尾との比較によって、『嵯峨日記』には本文と自注という二種類の異質な文章が併存していると論じる。さらに芭蕉がそれらを意識的に書き分けているのは『本朝一人一首』の影響ではないかと推論する。次に、執筆時期が『嵯峨日記』に近い『おくのほそ道』を取り上げ、句評の形式で曽良を紹介した「黒髪山」の分析を通して、鵞峰の詩評の特徴に合致する芭蕉の書き方を解明する。さらに『おくのほそ道』「立石寺」・「尿前の関」における語句の出典として、『本朝一人一首』巻六「遍照寺翫月」と巻三「在唐観昶法和尚小山」を指摘する。   終章「結論にかえて」は、一つの問題提起で本論文を総括するものである。「芭蕉俳諧と日本漢詩の一接点――「馬に寝て」句を読み直す」では、従来の出典研究の方法にとらわれず、より広い視点から「月遠し茶の煙」全体を一つの括りとして、特に「茶煙」と「月」の取り合せに着目し、丈山の「山中早行」や、林鵞峰編『本朝一人一首』所収の諸作との比較を通して、『野ざらし紀行』・「小夜中山」における芭蕉の発句は、複数の日本漢詩と密接な関係をもつ可能性が高い、という見解を論じる。最後の附録「荷渓詩抄」は、狛高庸の詩作を、諸家の詩文集から抄出し、彼の文業と伝記の研究に資することを目的とする。, 総研大甲第1473号}, title = {林家の漢詩文と近世前期の俳諧}, year = {} }