@misc{oai:ir.soken.ac.jp:00000032, author = {菅瀬, 晶子 and スガセ, アキコ and SUGASE, Akiko}, month = {2016-02-17}, note = {本論文の目的は、イスラエルにおける宗教的・民族的マイノリティであるアラブ人キリ スト教徒、そのなかでもメルキト派カトリック信徒の持つアイデンティティの様相、つま り自己定義のありかたと、帰属意識のゆくえについて明らかにすることである。メルキト 派カトリックは18世紀にオスマン帝国治下のシリアで誕生した、カトリックとギリシャ 正教の複合宗派であり、ローマ・カトリック傘下に属しながらも、独自の教会組織を持つ。 ユダヤ国家であるイスラエルにおいてアラブ人であり、イスラーム中心のアラブ人社会に おいてキリスト教徒として生きるメルキト派カトリック信徒は、三重のマイノリティであ ることを自覚しつつ、あえて周縁に立ち、幾通りものアイデンティティを駆使している。 彼らの民族誌を記述し、そのアイデンティティの様態を、背後にある事象とからめて考察 した。以下からは論文の中軸をなす第2章から第5章の内容について、要約する。  第2章では、メルキト派カトリック信徒のみのアラブ人農村であるF村を調査地として、 メルキト派信徒のみが存在する社会の様態を記述した。村落社会の基盤は、ダールと呼ば れる父系親族集団にある。すべての村民はダールに属し、オスマン帝国時代の名残を残した地方行政制度である村議会制のもとで、一部の有力ダールが権力を握っている。ダール には村への定着の歴史に則した序列が存在し、その序列は婚姻関係に大きな影響をおよぼ す。婚姻関係によって派閥が生じ、村の行政者である村長と村議会議員を選出する村議会 議員選拳は、有力ダールの権力のせめぎあいの場となっている。  F村における村議会制の特徴は、マパイ・労働党の影響が近年まで根強く残っていたこ とである。1970年代までイスラエル与党の座にあったマパイ・労働党は、ガリラヤ地方農 村部のアラブ人への影響力を強めるために、各地で地方行政の要である有力ダールに接近 した。ことにメルキト派信徒は、イスラエル建国当初のメルキト派ガリラヤ司教がマパイ 党員であったため、その影響を他の宗教・宗派信徒よりも強く受けることとなった。マパ イ・労働党の影響力は比例代表制である国会議員選挙でより濃厚であり、アラブ人の政党 が出現しても、F村村民は村の有力者がマパイ・労働党員であるがために、マパイ・労働 党へ投票し続けた。近年、メルキト派信徒の国会議員の出現により、ようやくその傾向は 薄れつつある。  このような投票傾向からは、F村の生活全般における、ダールへの帰属意識と出身地で あるF村への帰属意識、さらにはメルキト派カトリック信徒としての自覚の影響力の強さ がうかがえる。この3つの帰属意識に基づき、彼らは身内と他者の境界線をもうけ、帰属 意識はダールの一員、F村出身者といったアイデンティティを構成してゆく。しかしなが ら、時として身内の境界は同ダール出身者、同郷出身者の枠を越えることがある。その現 象が顕著にみられるのが、F村村民が労働者として移住した都市ハイファである。このた め、第3章では調査地をハイファに移し、そこでのF村出身者の生活を追った。  ハイファにおいて、彼らは私的な共同体を形成し、そのなかで相互扶助関係を結ぶ。そ の環のなかに招き入れられるのは、同ダール出身者、自ダールと血縁関係のあるダールの 出身者、F村出身者であるが、さらにはF村出身ではないメルキト派カトリック信徒も招 き入れられるようになる。アイデンティティの構成要素の重心が、ダールと出身村からメ ルキト派信徒であることに移動してゆくのである。しかしながら、メルキト派信徒として 究に新たな視座を提示したといえる。イスラエル国内の他のマイノリティ集団、あるいは 他地域のメルキト派カトリック信徒、他の紛争地域のマイノリティ集団と比較することに よって、「他者との共存」という視点からアイデンティティ研究を深化させてゆくことを、 今後の課題として予定している。, 総研大甲第914号}, title = {イスラエルにおけるアラブ人キリスト教徒のアイデンティティの様態 -ガリラヤ地方・メルキト派カトリック信徒の事例研究-}, year = {} }