@misc{oai:ir.soken.ac.jp:00003562, author = {宮脇, 千絵 and ミヤワキ, チエ and MIYAWAKI, Chie}, month = {2016-02-17}, note = {本論文の目的は、中国雲南省文山壮族苗族自治州のモン(Hmong、ミャオ族の下位集団)にとって装いがどのような意味を持つのかを明らかにすることである。それを、衣装の変化に焦点を当てて考察した。 モンの上位集団であるミャオ族は、色鮮やかな色彩、精巧かつ力強い刺繍や染織の技法、きらびやかな銀飾りや華やかな頭飾りといった、美しい衣装で有名である。ミャオ族は、多くの下位集団を有し、居住地域などによって異なる100以上もの多種多様な衣装をもつ。文山州のモンの「伝統的」とされる衣装には、大麻で紡績をした布が使用され、藍によるロウケツ染や、赤色や黄色を基調とした刺繍(クロス・ステッチの技法)の装飾が施されている。 だが1990年代以降、文山州のモンの衣装は、化繊のプリント布を使用し、機械刺繍布や色とりどりのビーズを装飾に使ったものが増加し、「伝統的」な衣装と比べて大きく変化している。本論では、モンの人びとが衣装にどのように変化を加えているのか、その変化はモンにとってどのような意味を持つのか、を明らかにした。 本論は、文化人類学における服飾研究に位置づけられる。そこで、衣装の変化という視点から、先行研究をまとめた。初期の研究においては、「伝統的」な衣装は、不変であるとイメージづけられてきた。これに対し、「伝統的」な衣装も変化しているという論を提示したのが、1990年代以降の研究である。そこでは、市場経済化によって「伝統的」な衣装の製作・着用・消費のされ方が変化していること、また衣装のエージェンシーに着目することで、衣装そのものが人や社会を動かす原動力となっていることなどが指摘された。しかしこれらはいずれも、衣装そのものの変化に着目しているとは言えない。 続いて、衣装の変化を、従来西洋のものだとされていたファッションという現象のなかで捉える潮流がみられるようになった。その後、ファッション論、そして固定的な衣装(反ファッション)がファッションに取り込まれるファッション化論が展開されるが、そこでもファッションと反ファッション、つまり西洋と非西洋という2項対立構造は打破されなかった。 それは、ファッション化現象が示す変化とは、ファッションの側に立っている者を主体としたものであり、反ファッションをまとっている人びとを変化の外に置いているからである。反ファッションの担い手にとって、衣装の変化がどのような意味を持っているのかが明らかになっていなかったのである。 一方で、本論が対象とするモンとその衣装の変化は、西洋やファッションを対概念として置くことでは、明らかにすることができない。モンの衣装の変化は、彼らを変化の外におく「みせかけ」のものではないからである。 このような問題意識にたち、本論では3つの設問をたて、それに取り組んだ。 第一に、装いを指標としたミャオ族の他称が名づけられた経緯と、その他称と実際の装いがどの程度一致しているのかを明らかにした。第二に、モンの衣装が具体的にいかに変化しているのか、それを詳細に明らかにした。第三に、変化のなかにあって継承されている部分を明らかにした。 第一の課題に取り組んだのが第一章から第三章である。第一章では、本論で対象とするモンについての概要を述べた。第二章と第三章は、ミャオ族そしてモンの装いに関する章である。第二章では、中国においてミャオ族の装いが歴史的にどのように記述されてきたのか、そして装いと集団の分類がいかに関わっているのかを、清代の通称『百苗図』、民国期から新中国成立後の「民族識別工作」に関わる資料をもとに、記述しながらその問題点を明らかにした。第三章では、第二章で検討した問題点が文山州のモンの分類にどのように関わっているのかを明らかにしたうえで、それに対する文山州のモン・エリートたちの対応、そして本論がモンの装いについて記述していくうえでのスタンスを、現在の文山州のモンの装いと製作方法の紹介を通じて示した。  第二の課題に取り組んだのが第四章と第五章である。ここは、本論のベースとなるデータの提示となる。H村で収集したデータを基に、モンの装いの変化の様相を具体的に記述していき、何がどのように変化しているのかを浮かび上がらせる作業をおこなった。それは、何が変化していないか、つまりモンの服飾として継承されている部分はどこなのかということを明らかにするための作業である。第五章では、衣装の変化の背景にあるモン衣装の既製服化を取り上げて、それが衣装の変化にいかに影響を及ぼしているのかを明らかにした。また、製作方法を簡略化しながらも、モンの衣装を製作し続けている理由について検討をおこなった。  第三の課題に取り組んだのが第六章から第八章である。ここでは衣装の変化と継承に関する分析をおこなった。第六章では、伝統的素材である大麻に焦点を当てた。ここでの論点は、大麻という素材にこだわっているのは誰なのかということである。葬送儀礼での麻の使用について記述しながら、大麻にこだわっているのは死者であり、対して生者であるモンは伝統的素材よりも衣装の「かたち」を重視していることを明らかにした。これを通じて、ここでは麻に付与されている象徴性を浮かび上がらせることができた。第七章では、既製服化によるデザインの変化を取り上げた。人びとがなぜ最先端の流行を求めるのか、それを衣装のどこに自分らしさを表現するのかという点から分析した。第八章では、サブ・グループごとに異なるとされている衣装が、いかにサブ・グループのメルクマールとなりえているのか、あるいはいないのかを分析した。婚礼衣装を取り上げながら、女性たちがサブ・グループとしてのメルクマールとしてよりも、同村内の女性同士の共有意識を優先させて継承させていることを明らかにした。 本論は、モンの衣装に関する先行研究が、これまでその時間的変化についてほとんど考慮してこなかったことに対し、変化の様相を具体的に明らかにした点で意義あるものだといえる。中国の民族衣装は、「統一された多民族国家」における中国を構成する少数民族の一文化要素として扱われてきたため、イメージの統一化をはかるポリティクスが働いてきた。それに対し、本論でエスニシティにとらわれない衣装の変化を示したことで、中国の民族衣装の変化をめぐる議論に、新たな事例を加えるという点で貢献できたと考える。  もうひとつの意義は、変化を詳しくみることで、モンにとっての装いが意味するところを浮かび上がらせた点である。既存の研究とは異なり、主体を変化する衣装の着装者においたことで、彼らが衣装とどう向き合っているかを論じることを可能にした。それは着装者の需要としての衣装の変化を論じるための視点の獲得である。モンの人びとは、自分たちの交流や行動の範囲内における他者との同質化に気を配り、共有意識を重視する。同時にそこにみせる個人のこだわりで他者との差異化をはかり、装いを通して自分を表現している。その積み重ねが、衣装の変化につながる。個人的な嗜好や主観といった、不確かでとらえどころのないものが変化の原動力となっているのである。 本論が、広く一般社会に貢献できる意義は、「民族衣装」を現代日本の我々の装いと同じステージで扱うことを可能にする視座の提示である。私たちは、民族衣装に対して、エキゾチックな感情を持ち、それらがあたかも、普段の私たちの装いとは全く別世界に存在しているかのように扱う。しかし、周りの人と同じような恰好をしたい、しかしそこに少しだけ人とは違う部分を出して自分らしさを表現したい、という装いに対する思いは我々もモンも共通に持っているのだと言える。, 総研大甲第1532号}, title = {変化しつづける装い―中国雲南省文山モンの自己と他者をめぐる人類学的服飾研究―}, year = {} }