@misc{oai:ir.soken.ac.jp:00003567, author = {三野, 行徳 and ミノ, ユキノリ and MINO, Yukinori}, month = {2016-02-17}, note = {本研究は、近世国家の中央官僚であり、また最大の武士・武家集団である旗本・御家人 を対象に、近世社会における武士・武家(官僚・領主)の特質を明らかにし、かつ、そ の明治維新後の展開、すなわち、最大の武士集団・官僚集団の解体過程から、武士の近 代に迫るものである。江戸時代、幕藩制国家の頭部を形成した幕府官僚制及び、その主 たる成員であり、最大の武士(官僚)集団である万石未満徳川家直臣一旗本家・御家人 家は、明治維新を経ていかなる解体・変容と再編の過程を経るのか、それぞれの幕臣家 が維新期をいかに経験し、その後の維新政府の政策に対応しつつ新たな家と変化してい つたのか、そのさい、江戸時代の武家の何が引き継がれ、何が引き継がれなかったのか、 また、組織としての官僚制の視点からは、身分制的に再生産される「家」をその供給源 として再生産される近世の官僚組織は、維新後、どのようにその再生産の仕組みを維持・ 変容していくのかが課題となる。分析に際しては、幕府及び幕府官僚制は、約2000 家の小規模領主〔当主家一家臣団一知行所〕を含む 5000 家から構成される旗本家と、 約25000家程度の、さらに小規模で身分的流性を持つ御家人家のそれぞれの当主が 勤務する巨大官僚制であり、その組織編成論理には、官僚制的側面と領主卸上身分制的 側面が複雑に絡み合い、共存して構成されことによって安定的に運営され、再生産され るシ.ステムであったことに留意し、三階層〔当主家一家臣団一知行所〕・総体が、明治維 新に際し、如何に解体・再編を経るのかを検討する。なお、筆者は、地方知行を中心と したかかる旗本「家」の構造を、図 1 のように理解している。図 1総体が、明治維新を 経てどのように解体・再編されるのかを明らかにすることが、本研究の課題である。 また、維新期の幕臣や幕臣家の動向は通常、①朝臣化(朝臣化・本領安堵)②静岡移 住③帰農商④反政府活動の4通りに分類され、さらにそれぞれの過程から維新政の官 僚となることがある(この四通りは維新直後のもので、その後の経緯から、①ののち③、 ④ののち①や②など、複線的な対応がとられる)。本論分で対象とするのは、基本に① の朝臣化したもので、これは、従来の研究において、忠誠心を軸とした行動(②④)に 焦点が当てられ、①や③がほとんど顧みられなかったことにより幕府官僚組織という身 分集団の解体過程について、実体と飛離したゆがみを生じさせていると考えることによ る。 以上の検討のため、本論文では、以下、 3 つの課題を設定した。 第 1点は、幕臣「本領安堵」運動と「禄制改革」への着目とその総合的把握である。 明治政府における幕府出身官僚の役割に言及した研究は既にあるが、身分集団としては 静岡藩士への視点に偏り、あるいは、個人(集団ではなく個人、「家」ではなく個人)。 を取り上げた研究が主である。また、統計的分析も、維新期の身分編制をめぐる政治過 程を捨象して分析されるため、結果論的推論の傾向が強い。そこで、本論文第一部では、 まず、維新期の幕臣の対応のうち、朝臣化を取り上げる。朝臣化は、江戸時代の旗本「家」 ・御家人「家」と同様の契約を朝廷と結び直すことであり、結果、 50 00 家程度の朝臣 化した旗本御家人は、江戸時代同様の「家」の存続を果たすことになる。第一部第二章 では、幕臣本領安堵運動の総合的把握を目指すため、可能な限り多くの事例からその具 体的過程をたどった。本領安堵の場合、特に知行所の領知権が維持されたことが重要で あるが、その後、明治2年12月の禄制改革によって安堵された知行権が解体され、「家」 が解体されるまでの基礎過程を検討する。第三章では、第二章の過程を受けて「家」を 維持した元幕臣が、ぞの後さまざまな変化の中にあって、新たな進路として再び官僚と なることを数量的に検討し、いかなる状況のもと、元幕臣が再び維新政府の官僚となっ たのか、その傾向を抽出した。 以上の検討により、維新期、「家」を維持し得た元幕臣「家」が、いかなる過程でそ の後、再び国家官僚となったのか、その全体像を見通し、本論全体の前提とした。 2点目の課題は、具体的な幕臣の「家」に即し、その維新期の変容を検討することで ある。これらの「家」は、その後禄制改革のなかで、知行所を維持する根拠を失い、解 体を余儀なくされる。東京を舞台とした領有制の解体一廃藩置県が、明治2年末から3 年にかけて、相応な規模と社会的なインパクトをもって進行していたのであるが、この、 当該期の首都を舞台とした最大の武士集団の解体という出来事が、領有制の解体研究(廃 藩置県・秩禄処分)のなかでも、幕臣を対象とした研究でも、明確に位置づけられてい るとは言いがたい。これは、個々の「家」は一万石未満の小規模であること、藩と違い、 「家」内部における政治闘争の契機が弱かったことなど、従来の廃藩置県研究での問題 視角に適合的では無かったことに加え、そもそも、旗本「家」の史料があまりにも残っ ておらず、研究環境が整わなかった事にもよる。しかし、これまでの調査の結果、旗本 史料はさまざまな形で確実に残っており、本課題を明らかにするにたる、充分な内容を 持っていることが分かった。そこで第二部では、個々の「家」に即して、その解体・再 編過程を検討した。第四章では、 5000石久松家を対象に、本領安堵運動の展開、知 行所との関係、禄制改革と家・家臣団の解体、解体後の家臣団、当主「家」の動向を検 討し、旗本「家」から士族「家」への展開、明治中期への展開を検討した。第五章では、 高家今川家・前田家を対象に、高家衆という特異な役職集団であり、かつ、石高階層的 には、-000石代の旗本「家」の解体・再編過程を検討した。以上の検討により、維 新期、個々の旗本「家」は、徳川家から自立的に対応を取りつつ「家」の維持を目指し、 そのなかで朝臣化を選択したこと、本領安堵運動に成功し、江戸時代同様の三階層から なる「家」を維持しえた一方で、「家」の存在意義は、あらたに編成される太政官制の もとでは失われつつあり、明治2年末の禄制改革によって解体を余儀なくされたことを 明らかにした。「家」の解体によ、つて、知行所と家臣団を相次いで喪失し、当主の家族 を基礎とする士族の「家」へと変容していくなかで、残された資本としての知識・教養、 官僚としての経験などを元手に、維新政府官僚組織の下層部にあらたな途を見いだして いくことが明らかとなった。先に見た第 1部第3章の統計的な分析結果は、個々の「家」 の解体・変容のなかでとられた新たな途だったのである。 3点目の課題が、明治維新期に伴う組織の解体と再編を、そこに属していた構成員= 御家人や旗本家臣団の視点から検討することである。第六章では、禄制改革に際して作 成された旗本家 179 家、家臣団約2400人分のデータをもとに、最末期の旗本家臣 団の特質、解体と解体への抵抗、解体後の動向を検討した。佑瞰的な分析の結果、旗本 「家」は従来言われているよりも主従御上身分制的な関係を重視した関係が構築されて いる一方、流動的・能力主義的な側面もあり、旗本家の階層によって傾向が分かれてい た。このような旗本「家」の解体にさいし、旗本「家」は、知行所の喪失・家禄の削減 はやむを得ないと受け入れる一方、家臣団の解体には執勘な抵抗を繰り返し、解体後の 家臣団の扶助を勝ち取っていくことが明らかとなった。一方で、この旗本「家」の解体 は、当時の社会の中でも、東京を舞台とした大規模な領主制の解体と理解されており、 家臣団のその後の動向と併せて大きな社会的影響を持つものであった。第七章では、さ まざまな形で残った御家人家の維新期の動向を示す史料から、明治維新への御家人家の 対応の諸相を検討し、御家人家も朝臣化運動を経て明治維新後も家を存続させ、持ちう るあらゆる資本を活用して、官僚化をはじめとする新たな対応をとっていたことを明ら かにした。ある程度の自立性を持っ,ていた旗本家とは異なり、御家人層の動向は、属し ていた役職集団や、属していた身分集団の動向に左右され、また、知行所を持たない御 家人層の場合、身分や家禄をめぐっても、本領安堵された旗本層とは異なった様相を示 す。 以上の検討の結果から、明治初期の各行政組織は、その編成原理においても基本的に 江戸時代のものを踏襲しており、また各幕臣「家」も、官僚組織の供給源としての身刀 集団の一員として、「家」存続をはかってきた。各行政組織は、明治2年頃にかけて江 戸時代の編成原理と新たな職と俸給に基づく.原理とを共存・ダブルスタンダードとして 運用しっつぁるなかで、旧幕臣に対する禄制改革がおこなわれ、ここではじめて、幕臣 家は解体.変容を迫られる。各幕臣家は明治3年~4年にかけて、上知'家臣団の解体 にともなう単身化をせまられ、そこからの生き残り戦略は様々で且っ複線的に行われる 園田英弘の言う郡県の武士・社会エリートはそのーつではあるが、てれがてれのみとし て現出したのではない。一個の「家」の複数ある側面のーつであり、その姿こそが維新 期~明治期の武家の姿なのである。, 総研大甲第1535号}, title = {明治維新と旗本・御家人-幕臣本領安堵と幕府官僚組織の再編-}, year = {} }