@misc{oai:ir.soken.ac.jp:00000037, author = {錦田, 愛子 and ニシキダ, アイコ and NISHIKIDA, Aiko}, month = {2016-02-17}, note = {本論文ではヨルダン・ハーシム王国のパレスチナ系住民について、そのディアスポラ(離 散)の現状を描出し、彼らの抱く帰属意識やナショナリズムについて分析をおこなう。故 郷であるパレスチナを離れ、ヨルダンでの滞在が長期化する中、彼らのなかで両地はどの ような存在と位置づけられているのか。彼らにとって故郷(ワタン)とは何を意味するの か。その考察材料として、筆者は以下の二点に注目する。ひとつ目は、故郷のパレスチナ や、ヨルダン、およびその他の客地において、彼らが親類や友人との間に形成する関係性 である。交流のネットワークを構築する中で、彼らが重視している点を、事例に基づき検 証していく。ふたつ目は、故郷にまつわる記憶や体験、「遺産」などの継承・再解釈の様態 であり、またヨルダンなど客地での滞在経験が彼らに与える影響を対象とする。これらの 点を通して、両地に対する帰属意識が何を契機に自覚され、相互にどのような関係にある のか検討を加える。 本研究のもととなる調査は、ヨルダンの首都アンマーン市内の二地区を主な対象として、 2003年2月から2005年3月の約2年間行われた。選定した地域のひとつは、経済的には 低開発地域でありパレスチナ人の集住地区が形成されているWA地区である。もうひとつ は富裕層が比較的多く住む数地域をまとめたR地区である。これら二地区の住民の間には、 経済面だけでなく社会的にも隔絶が大きく、同じ市内に住居を構えながらも両者の生活圏 は重ならない。こうした異なる環境に暮らす人々に注目することによって、筆者はヨルダ ン国内のパレスチナ人社会について、より一般的な特徴を指摘することができると考えて いる。 交流および移動のありかたについて、両地区のパレスチナ人は基本的に血縁関係の近い 親族を中心とする往来関係を重視していることが確認された。しかし全般的な移動の目的 や、関係が維持される対象、訪問のために移動する地理的範囲には差異が見出だされた。 WA地区の人々は、遠隔地に住む親類の訪問を主な理由として移動を行い、その相手方に は母方親族や姻族などの広い範困が含まれた。それに対してR地区の人々は、移動の理由 自体が実利的なものを含めて多様化し、訪問の対象となる親族の範囲は逆に限定されてい た。移動の対象地は、WA地区の場合はパレスチナ、イスラエル、シリアなど隣接国にと どまるのに対して、R地区の場合は欧米諸国をも含めてよりトランスナショナルに展開し ていた。双方とも、居住地が拡散し、対面的な交流の維持が困難な状態におかれるなか、 往来を基本として相互への「愛着」を保とうとしている。そうして構築される社会的関係 が、ディアスポラにおける同朋意識の基盤として機能しているのである。 故郷や離散に関する記憶は、どちらの地区でも直接の体験者が高齢化する中、家族史の 重要な一部分として語り継がれている様子がうかがわれた。WA地区では住民の出身村近 くのダワーイマ村で起きた虐殺の記憶が、R地区では現在の経済的成功とは対照的な離散 による土地・財産の喪失の記憶が、それぞれ語りの中心となっている。これらの記憶や、 「遺産」と呼ばれる故郷からの継承物は、ヨルダンに住む彼らに故郷(ワタン)への帰属 を想起させる契機となっている。記憶や「遺産」は、個別の出身地ではなく、パレスチナ 全体に共通する要素でもある。そのため個々の記憶は全体の中に位置づけられ、彼らがパ レスチナ人としての帰属意識を確認するのを助ける。帰属の対象である「ツタン」は、個 別の出身地から、パレスチナというネイションへと拡大することになる。 これに対してヨルダンは、彼らに現在の安定した居住環境を提供している。生まれ育った 場所の存在や、周囲を取り巻く親類や友人との社会的関係は、客地に対する新しい帰属意 識を生み出す。だがそれは、あくまで関係性の上に成り立つ帰属意識であり、ヨルダンと いう場所を必然とするものではない。その点は「ワタン」とは異なる。またパレスチナに 対する帰属意識と、ヨルダンに対する帰属意識は、互いに矛盾なく並立することが可能で ある。そのどちらがより強く前面に出るかは、おかれた立場や場面によって異なる。彼ら の間で両者は、むしろ戦略的な選択の対象となっているといえる。 パレスチナ・ナショナリズムについては、基盤となるべきネイション(国家)の不在や、 周辺アラブ諸国と近似のエスニシティ状況でのパレスチナの位置づけ、ナショナリズム萌 芽の時期などをめぐり、多くの議論が交わされてきた。だがそれらはどれも、西洋近代の ナショナリズムの枠組みで、彼らの帰属意識を捉えようとしている。パレスチナ国家の建 国を目指す方向性や、「ワタン」の範囲となる地域の確定自体が、オスマントルコ崩壊以降 の近代化の波によってもたらされたことは否定できない。しかし彼らのパレスチナヘの帰 属意識を、シオニズムなどの他者との遭遇や、アラブ・ナショナリズムとの関係にばかり帰すことはできない。そこにはより根源的な、土地や地域社会への「愛着」が存在すると 考えられる。筆者はそれを、彼らが用いる「ワタン」という言葉の中に読み込んだ。「ワタ ン」はパレスチナ人にとってナショナリズムの中核であり、それによって故郷の地を、他 とは代替しがたいものにしている。 ディアスボラのパレスチナ人にとって、「ワタン」はトランスナショナルに居住地を展開 する同胞の間の紐帯でもある。個別の出身地に基礎を置き、そこからパレスチナ全体に向 けて拡大する「ワタン」は、その指し示す地理的範囲の伸縮性によって、彼らが共有でき る帰属地となる。離散によって相互の日常的な接触を妨げられ、直接に同朋意識を抱くこ とが難しくなった人々にとって、「ワタン」はお互いをとり結ぶナショナリズムの基盤とな っているのである, 総研大甲第1017号}, title = {離散と故郷-ヨルダンのパレスチナ系住民にみられる帰属意識とナショナリズム-}, year = {} }