@misc{oai:ir.soken.ac.jp:00004046, author = {佐藤, 優 and サトウ, マサル and SATO , Masaru}, month = {2016-02-26}, note = {序章では、本論文で分析対象とする「伝説」と「縁起」の概念規定とその変遷について言及し、研究視角を提示した。具体的には、柳田國男が規定した伝説概念とその特徴について述べた。そして、柳田が伝説を研究する際、固有名詞を具体的に取り上げて論じることに躊躇したことを指摘した。また、固有名詞をもつ伝説を研究することは、伝説の変遷や変容をとらえる上で有効性があることについてもふれた。また、伝説は文字化され寺社の縁起やモノの由来を説く文字資料の中にも認めることができる。そこで、縁起や由来を記した書物と口頭伝承として民俗学において規定されている伝説との双方を研究する意義について論じた。そして、現在伝承されている伝説が、口頭伝承と文字文化の交錯によって形成されてきた具体事例として「甲賀三郎譚」と「犬の宮縁起」を取り上げ検討し、本論の研究視角を提示した。さらに、本論文で具体的に検討する常陸坊海尊と皆鶴姫は、双方とも源義経と関わる人物として文芸作品や伝説において造型されていることから、義経伝説と密接に関わると思われる。そこで義経伝説研究について文学・歴史・民俗におけるこれまでの研究を概観し、その視角を確認した。そして、常陸坊海尊と皆鶴姫二者の伝説を考察する理由もあわせて提示した。  第一章「外川仙人堂信仰と常陸坊海尊」では、外川仙人堂信仰を中心に常陸坊海尊が仙人として造型されていたこと及び海尊が信仰を展開する上で果たした機能について指摘した。具体的には、常陸坊海尊は、近世期富士山麓や能登地方などで仙人として出現したという伝承が確認できる。その中で現在の福井県大野市に鎮座する荒島神社の縁起に海尊は、仙人として位置づけられていることが確認できた。また、山形県最上郡戸沢村に鎮座する外川仙人堂でも海尊が、『新庄領村鑑』や『乩補出羽国風土略記』では仙人堂の祭神として位置づけられていたことも確認した。そして、この仙人堂が関東地方とりわけ現在の千葉県北西部地域に複数勧請されていることを指摘した。さらに、この地域ではアンバ大杉信仰も盛んであり、大杉大明神の縁起にも常陸坊海尊の奇瑞譚が記されている。また、千葉県は近世から現在に至るまで出羽三山信仰が盛んであることから、出羽三山登拝の途次、仙人堂を参拝したこの地域の人々が、アンバ大杉の信仰と関わる祭神を持つ神社として外川仙人堂を意識したことが勧請の背景として推定されると結論づけた。  第二章「青麻神社信仰と常陸坊海尊」では、東日本の青麻神社信仰を分析し、現在の宮城県仙台市宮城野区岩切に鎮座する青麻神社の縁起に常陸坊海尊が取り込まれた理由及び背景について考察した。具体的には、まず東日本の青麻神社信仰について整理をおこない、信仰実態を確認した。その中で講組織を持つ地域が秋田県・福島県・長野県で確認でき、本社として仙台の青麻神社を意識していることを指摘した。そして、各地の青麻神社の本社として認識されている仙台の青麻神社の信仰実態の分析をおこない、近世期より東日本各地から信仰を集めていたことを確認した。そして、この社において常陸坊海尊が『安永風土記』などの地誌や縁起の中で神として位置づけられている理由及び背景について考察した結果、神社を代々管理してきた家が仙人として認識されており、同じイメージをもつ常陸坊海尊が社家の祖先祭祀の際、先祖と同一視される形で祀られたことが明らかとなった。そして後年、「中風除け」というこの神社の特異な利益と関わる形で信仰に取り込まれるようになったことも明らかにした。  第三章「由来書の編纂と皆鶴姫伝説の変容」では、福島県会津若松市の皆鶴姫伝説を中心にこの伝説が、地域の歴史として書き留められた由来書の作成過程を分析し、地域の歴史認識及びこの伝説が様々な民俗を生み出す契機となったことを指摘した。具体的には、皆鶴姫の墓碑が現存する会津若松市藤倉地区においてこの伝説が現在どのように伝承されているかを概観した。現在藤倉地区において、毎年八月第四土曜日に皆鶴姫の墓前祭がおこなわれており、その後地域振興の催事「かわひがし皆鶴まつり」が挙行されていることを報告した。そして、この墓碑には漢詩文が刻まれており、その作成過程を考察した。さらに、近世期藤倉地区の有力者であった家で編纂された『皆鶴姫の記』の記述を分析し、史実として皆鶴姫を位置づけるために注釈を随所に施したことや墓碑文作成過程が記されていることを指摘した。そして、地域の墓前祭や街おこしフェスティバルの中で皆鶴姫伝説が現在積極的に機能している背景について言及した。具体的には近世末期、地域の有力者を務めた家が史実として皆鶴姫伝説を記述する書物を編み続けたことが、この伝説に関連した民俗を『皆鶴姫の記』編纂後に生み出した契機となったことを明らかにした。 終章では、第一章から第三章までの検討から得られた結果についてまとめ、今後の課題を提示した。まず、東北地方の常陸坊海尊伝説は、民俗信仰との関わりの中で伝承されてきた実態を明らかにした。具体的には、本論文第一章と第二章において分析した外川仙人堂と青麻神社では、近世地誌や縁起の中で海尊が祭神として位置づけられていた。また、仙人堂が勧請された千葉県北西部地域では、縁起に海尊の霊験譚を記す大杉大明神の信仰も盛んであった。さらに、海尊の霊験譚は荒島権現の略縁起にも見いだすことができた。このように常陸坊海尊は、民俗信仰の中に取り込まれていた。そして、これまでの常陸坊海尊伝説研究において言及されてきた、長寿を得た人物の伝説という研究視角に加え、神社の歴史を投影される人物としても海尊が縁起や地誌の中で機能していることが明らかとなった。また、皆鶴姫伝説については、本論文第三章で『皆鶴姫の記』という書物の編纂過程やその内容を具体的に分析することで、伝説が地域の歴史意識を反映しながら伝承されている実態や伝説の内容と関わる民俗を生み出す契機となることを指摘した。そして、今後の課題として、近世地誌や開帳記録及び図像などを分析資料として積極的に検討すること、観光や地域振興の文脈で伝説の受容過程を考察することを挙げた。, 総研大甲第1572号}, title = {伝説と縁起の民俗学的研究}, year = {} }