{"created":"2023-06-20T13:23:18.540495+00:00","id":4104,"links":{},"metadata":{"_buckets":{"deposit":"6ca5ec34-8452-49bc-beb6-be43c4864571"},"_deposit":{"created_by":21,"id":"4104","owners":[21],"pid":{"revision_id":0,"type":"depid","value":"4104"},"status":"published"},"_oai":{"id":"oai:ir.soken.ac.jp:00004104","sets":["2:426:8"]},"author_link":["2353","2354","2352"],"item_1_creator_2":{"attribute_name":"著者名","attribute_type":"creator","attribute_value_mlt":[{"creatorNames":[{"creatorName":"染谷, 智幸"}],"nameIdentifiers":[{}]}]},"item_1_creator_3":{"attribute_name":"フリガナ","attribute_type":"creator","attribute_value_mlt":[{"creatorNames":[{"creatorName":"ソメヤ, 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西鶴小説を「東アジア」と「17世紀の時空」に置いた場合、どのような新たな特色が浮かび上がって来るのか。第二部ではそれを、\n(一章)東アジア17世紀における歴史的文化的背景\n(二章)西鶴の同時代小説、中国『金瓶梅』、朝鮮『九雲夢』との比較\n(三章)東アジア17世紀における仏教的背景\n(四章)東アジアにおける性文化の伝播と広がり\n(五・六・七章)東アジアにおける遊廓とその文化的背景\n(八・九・十章)東アジア17世紀における、都市と経済の発展と小説\nから分析した。その結果、13世紀~17世紀の大交流時代、主に重商主義的発展にともない、人間中心で自由闊達な文化が東アジアで産声を上げたものの、それを後代に受け継ぐことが出来たのが主に日本であったこと。その継承こそがアジアにおける日本の逸早い近代化を準備したこと。その継承・発展のラインの中心に西鶴という作家が位置し、同じく人間中心で自由闊達な世界を小説の中に描き出していたこと、が分かった。特に、西鶴が描いた武士と商人の、対照的でありながらも、相互補完して一つの世界を作り上げている姿は、東アジア海域で活躍した武商一体の倭寇勢力や、日本の商人・武士が発展し成長した姿として捉え直すことが可能である。\n\nB 西鶴は明治以降の西欧的近代文学の要請から「リアリスト西鶴」と呼称され、リアリズム(現実主義)文学の日本における元祖として位置付けられてきたことは周知のことである。それが江戸時代の中後期に埋没していた西鶴の評価を高め、新しい光を当てたことは言うまでもないが、その「リアリスト西鶴」が西鶴小説の一面を深く理解させたものの、それによって西鶴小説の持つ他の魅力が切り捨てられ、西鶴の全体像が歪んだものになってしまったことは間違いない。第二次世界大戦後、そうして切り捨てられた魅力や全体像の再構築が盛んに行われることになったのだが、それは不徹底に終わった。何故ならば、切り捨てられた中で最も重要なものが『男色大鑑』であったにも関わらず、これを十分に汲み上げてこなかったからである。\nこの『男色大鑑』や他の作品中の男色譚、そして武家物作品を解読することによって、忘れられていた西鶴の精神構造にスポットを当てつつ、従来の歪んだ西鶴像の修正を試みようとしたのが三部の諸論考である。\nまず、西鶴作品中、最も大部である『男色大鑑』が、\n(一章)どのような歴史的文化的背景を持って登場してきているか\n(二章)どのような世界を特徴として描き出しているか\nを検討するとともに、作品自体に、\n(三章)長期にわたる成立時期\n(四章)複雑な成立過程\nが想定されることを導き出した。また、そこで得られた豊かな武士の世界観は、西鶴の武家物である『武道伝来記』の世界を理解するにも役立つ。従来、西鶴が商人層の出身であることをもって、武家社会への深い理解は不可能という偏見から、西鶴の武家物は低い評価に甘んじて来たが、『武道伝来記』に描かれた、\n(五章)武士の水平的関係\nは当事者の武士の意識・常識を超えるほどに深く、武家社会の一面を鋭く抉り出していた可能性があることが分かった。従来、我々が漠然として抱いてきた西鶴へのイメージ、すなわち「町人作家西鶴」は、その根本から見直す必要が生まれてきたとも言ってよい。\n なお『男色大鑑』に描かれた男色のルーツを辿れば、それは日本を越えてアジアやメラネシアの文化に行き着く。その男色文化の広がりの一端を、第一章に引き続いて、\n(六章)東アジアの新出男色文化関係資料\nで論じた。アジアには男色や武士(武人)を取り上げた文献や文学作品が多く、今後の調査に\nよって、西鶴を始めとする日本の男色、武士の作品群の文化的背景が明らかになるだろう。\n\nC 「男色」「武士」に注目したことは、私に、もう一方の極である「女色」「商人」にも目を向けさせることとなった。その結果、西鶴小説の世界には、「女色」と「男色」、「武家」と「商人」の対照的構造があり、それが貞享三年~元禄二年までの西鶴中期の作品群に最もよく表れていることが分かった。そこで、第四部ではまず、\n(一章)『好色五人女』\nを取り上げて、この作品における「女色」「男色」から季節や「海」「山」などの地理的感覚に至るまでの対照性を炙り出し、その「女色」「男色」の対照性が、\n(二章)『好色一代女』と『男色大鑑』\nにおいて極まっていることを指摘した。またその対照性は「武士」「商人」の対照に受け継がれ、\n(三章)『武道伝来記』と『日本永代蔵』\nにおいてピークを迎える。従来、西鶴小説への高い評価は、前期の『好色一代男』を中心にしたものと、晩年の『世間胸算用』『西鶴置土産』を中心にしたものとがあったが、『好色一代女』『男色大鑑』『武道伝来記』『日本永代蔵』の四作品を中心にした中期の作品こそが、西鶴文学の最も良質な部分が表れたものだと考えなくてはならない。\n しかし、西鶴の晩年の作品には、そうした中期の作品群とは全く違った文学的な原理が働き始めていた。それは短篇(掌篇)とも言うべきスタイルを持った小説の、その制約を逆手に取った新たな方法であった。(四章、五章)                   ","subitem_description_type":"Other"}]},"item_1_description_7":{"attribute_name":"学位記番号","attribute_value_mlt":[{"subitem_description":"総研大乙第223号 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