@misc{oai:ir.soken.ac.jp:00000042, author = {鈴木, 清史 and スズキ, セイジ and SUZUKI, Seiji}, month = {2016-02-17, 2016-02-17}, note = {アボリジニは、オーストラリア大陸の先住民である。1788年、英国が植民地をおくまで、600以上の部族と言語集団に分かれ狩猟採集生活をおくっていた。しかし白人との接触の結果、社会が壊滅状態になるほどの抑圧をうけてきた。その過程で混血がすすみ、生地を追われ、伝統文化を剥奪された都市に住むアボリジニが誕生した。今日では狩猟採集経済の伝統を強く残す辺境のアボリジニと都市的環境のなかで暮らすアボリジニにはっきりと二極化している。1986年の国勢調査ではアボリジニの人口は約206,000人であるが、辺境アボリジニは40,000人にみたず、残余はすべて後者にはいる。 本研究は、今日の都市部のアボリジニのあいだにみられる運動--エスニシティとしての「アボリジナリティ」の創出--と、それをひろめ継続させようとする「アボリジニ文化」学習の背景と実態をさぐろうとするものである。調査の場所として選んだのはこの運動の中心のひとつであるシドニーである。 第1章では、アボリジニが都市民化した歴史的経緯を中心に従来の研究のあり方とその問題点を整理し、本研究のねらいをのべた。 第2章では、シドニーにおける今日のアボリジニの概況をしめした。アボリジニの人口数は少なく、その居住地は市の全域に分散しており、移民や少数民族によくみられる集住地区をほとんどもたない。また、社会的・文化的特性としての、職種、住居、服装、習慣、宗教などは、平均的オーストラリア市民のもので、かれら自身も「白人とかわらない」という認識をもっている。 しかしながら、かれらはアボリジニであることで差別されてきたが、逆にアボリジニであることを主張し始めると、混血で白人的な外見をしているので「本物ではない」といわれる。これが都市部のアボリジニのもっともおおきな問題点であり苦悩なのである。 第3章では、まずアボリジニをめぐる社会状況の歴史的変遷をのべた。アボリジニにたいする社会環境は時代をおうごとに寛容になってきている。その時間的経緯をみるために、(1)アボリジニの都市民化が始まった1950年代に移住してきた男性、(2)社会運動がもっとも活発だった1970年代に思春期を過ごした男性、(3)1990年代の大学教育をうけているシドニー生まれの青年の3人の男性と、(4)現在白人の配偶者をもつアボリジニ女性のシドニーでの生活史をとりあげた。 その結果、1970年代以降、アボリジニであることはかくすべきものから、抵抗の根拠へとおおきく変化したことがわかった。今日では、差別観が利得を生みだす要因となり、アボリジニであると主張することが権利拡大のための武器となっている。 第4章は、アボリジナリティと文化学習について考察した。シドニーのアボリジニの考えるアボリジナリティは、従来の民族誌を中心とする研究でのべられてきたものと、あまりかわるものではなかった。大学や専門学校(ダンス・スクール)の教育内容をみると、現在も狩猟採集を基盤とする生活を営む辺境のアボリジニの生活と文化を理想化し、地域や部族の相違を無視して、その文化要素を恣意的に抽出することによってアボリジニ文化を構築している。しかも要素は絵画、音楽、舞踊などの表象的なものがほとんどで、かれらのいうアボリジニ文化は、脱コンテクスト化して実質に欠ける。そのため、辺境のアボリジニは、都市のアボリジニとその文化を虚構あるいはすくなくとも同列にあるものとみなしていない。 したがって、都市のアボリジニの文化学習運動とは、自らのアボリジナリティを確立し、認識を強化し、次世代に伝えるためにおこなっている努力であり、真の意味での文化復興ではなく、生活の実態にそった伝統の創造だといえるだろう。それにもとづいて、都市部のアボリジニは、まったくあたらしい民族集団の形成にむかっての歩みを始めていると考えられるのである。, application/pdf, 総研大甲第65号}, title = {シドニーにおける都市アボリジニの研究 : 伝統と民族の創出}, year = {} }