@misc{oai:ir.soken.ac.jp:00000047, author = {潘, 宏立 and パン, ホンリ and PAN, Hongli}, month = {2016-02-17}, note = {本論文では、容卿宗族を中心とした〓南農村社会における現地調査に基づいて、従来の社会人類学的研究によって得られた漢族の社会組織に関する理論を検討しながら、〓南農村社会、特に容卿宗族の歴史を踏まえ、現在、再興している宗族組織の実態、機能およびその変容を明らかにすることを目的にしている。  宗族組織を中心に据えながら、その歴史的変容過程を明らかにし、1950年代から1980年代の農業集団化時代に消滅したかに見えた宗族組織が改革開放後に再興してきた過程をフィールドワークによって明らかにし、その要因を分析した。さらに、現代の宗族組織が社会的、経済的変化の中でどのように機能しているか、また他の社会組織との相互関係を分析した。その結果、次のような成果を得た。  第一に、中国の政治状況の下で、この半世紀にわたり東南中国本土でのインテンシブな現地調査に基づく、漢族の社会組織研究は空白状態であった。その時期の状況を聞き取り調査によって埋め、さらに現在再興されてきた宗族組織の実態と機能を明らかにした。  第二は、漢族の社会組織に関する従来の研究が父系血縁集団である宗族に集中しすぎた傾向があるが、現代の宗族組織の機能は近代的行政組織や宗親組織との相互関係に注目しなければ、その実態を明らかにすることはできない。本研究は現在の政治的、経済的背景との関連において宗族組織を総合的に分析し、その組織と運営のあり方を明らかにした。  第三は、従来の人類学的研究によって得られた漢族の社会組織に関する幾つかの理論を、現地調査を通して検討しながら、不十分な部分を補足し、宗族をとらえるのに静態的な社会組織としてでなく、「機能的房族」などの新しい概念のもとに、動態的かつ歴史的に把握することをも試みた。そのことによって漢族の宗族の人類学的研究に新しい視点を提示したことである。  本論文は6つの章から構成されている。その内容を要約すると、以下のとおりである。  序章では、先行研究を検討し、それらの研究の多くは海外華人社会を対象にしており、その限界性、地域性の考慮の欠如、宗族以外の社会組織への視点の欠如などの問題点を明らかにし、本論文の研究目的と意義を明示した。  第一章は、容卿村を中心とする〓南地方の伝統的宗族組織の再構成を試みた。〓南の農村社会では伝統的宗族組織が発達しており、元朝末期から明朝初期にかけて容卿宗族が発展してきた。それは晋江県のほぼ中心部にある8村に集中したため「容卿八郷」と呼ばれ、巨大な宗族集団になった。  容卿宗族は大宗、小宗、房族という各レベルの分節構造をもち、それぞれ祖先祭紀の場をもっていた。容卿宗族は族長、長老会などのリーダーがあり、宗族運営に大きな影響力をもち、宗族集団を統括していた。<公業>と呼ばれる土地財産など、祖先祭紀を支える「族産」もある。また、宗族が所有する教育の場もあり、宗族の子弟を育てていた。さらにそれぞれの分節では、守護神を持っていたので、その祭肥を通して宗族集団の統合や分節の独自性を一層高めることになった。  第二章は近代的行政組織の変遷に伴って、伝統的宗族組織がどのように変化したのか、村落の行政組織との相互関係から明らかにした。  伝統的には、中央政府の行政機構の設置は県レベルにとどまっていたので、国家の村落社会への直接支配はほとんどなかった。そのため、村落レベルでは宗族組織が社会統制の中心的な役割を担っていた。中華人民共和国成立後、農業集団化や土地私有制の廃止などによって、宗族を支える経済基盤が失われた。同時に、共産党政府は村落まで組織の綱の目を張り巡らし、強力な行政組織をつくりあげて、村落社会においても権力を掌握してきた。また、宗族組織を含む伝統文化をほとんど否定し、徹底的な消滅を図った。これらにより宗族組織は、社会的な役割をほとんど失い、その存在自体も希薄になった。他方で、行政村組織は宗族の機能を取り込んで村民たちに行政村という社会経済共同体に帰属させ彼らに宗族より行政村への所属意識を増大させた。1980年代に入って、「改革開放」政策の下に、政治経済制度が急変し、宗族組織は急速に再興し、社会的な役割をも十分に担うようになってきた。その結果、村落行政組織は宗族なとの伝統的社会組織と連携し、相互依存・補完の関係が確立しつつある。  第三章は本論文の中心をなす章で、現在の容卿の宗族組織の再興のプロセスや実態を明らかにした。  村落行政の下で設立した容卿老人会は宗族長老会の母体として、宗族の再興を促進してきた。老人会長は事実上の族長である。容卿宗族は祖層、小宗祠堂、家廟の再建をきっかけにして、宗族財産の再蓄積、族譜の再編、祖先祭紀の再開など一連の活動から、次第に再興を達成してきた。  1990年前後、宗族の基層分節である房族の祖先祭紀の場としての祖屠が修復されその後小宗、大宗レベルの祖先祭紀の場も相次いで再建された。1950年代から公にできなかった祖贋での祖先祭紀は再び盛んになり、停止されていた小宗、大宗の祖先祭肥もそれぞれ再開された。祠堂落成時の祖先の位牌の<晋主>儀礼の挙行は宗族再興を象徴するもので、宗族再興のプロセスは小宗から大宗に広がっていった。  祠堂再建に伴い、1950年代から消失した宗族財産の再蓄積が進んできた。現代の社会経済体制の下では、宗族財産は「完全な宗族財産」と「不完全な宗族財産」とに分けられる。ここでいう「不完全な宗族財産」は、宗族以外の組織集団が所有する、宗族に関連する活動に使用される資財である。この点は過去の宗族財産のあり方と違って、宗族と他の社会組織の相互関係を映している。また、現在の宗族財産は「土地財産」を形成することはなく、男性成員からの分担金の徴収や募金などの方法によって現金を調達している。また、海外在住の容卿同族も貢献が大きい。  第四章は、前章で明らかにした現在の宗族組織の具体的な活動とその機能を、宗族内部や外部の社会集団との関係に着目しながら説明した。宗族組織の再興にともない、同姓宗族の意見を代弁し、宗族間の関係を調整するために、擬制的な親族組織である宗親組織も復活した。この宗親会は国際的なネットワークにも加入し、内外の宗親との連携をもちはじめている。  結論では、宗族の再興の要因を把握し、また、現在の再興した宗族は、かつての伝統的宗族と同質のものか、あるいは変質しているとすればそれはどのような点においてかを考察した。, 総研大甲第303号}, title = {東南中国の漢族社会組織とその変容 : -〓南農村社会における宗族の研究}, year = {} }