@misc{oai:ir.soken.ac.jp:00000048, author = {福岡, まどか and フクオカ, マドカ and FUKUOKA, Madoka}, month = {2016-02-17}, note = {この論文は、ジャワ島中西部、チルボンの仮面舞踊トペン・チルポン topeng Cirebon を対象として、ある踊り手の親子が舞踊の芸を伝承するプロセスを考察したものである。この論文の目的は以下の2点である。第1は、芸の上演を演者が身につけた上演技法に基づく実践としてとらえ、上演技法の獲得と変革のプロセスを描くこと、第2は上演技法の変革という側面から、現代インドネシアにおける地方文化の現状を考察することである。この目的を達成するために、論文の中では以下のような記述を行った。  第1章では、研究対象であるトペン・チルボンを取り巻く背景について概観し、記述の方法論を提示した。チルポンは現在、行政区域としては西ジャワ州に属している。独立後の1950年代から現在に至るまで、チルボンの文化的独自性は行政区域としての西ジャワ州が一つの文化的地方を形成する過程の中で重要な役割を果たしてきた。「地方文化の頂点による国民文化の創成」を文化政策のスローガンとして掲げる現在のインドネシアにおいてトペン・チルポンは西ジャワを代表する「地方芸術」 kesenian daerahの1ジャンルとなっている。  以上のようなインドネシアにおける文化政策に関する情報を提示した上で、トペン・チルボンの特定の踊り手に焦点を当てる記述の方法を提示した。この論文では、トペン・チルボンの代表的な地域様式であるスランギット Slangit様式の踊り手ケニ・アルジャ(1942年生まれ)とその娘であるヌヌン・ヌラシ(1964年生まれ)の芸の伝承に焦点を当てた。この親子の伝承には、1950年代以降に西ジャワで展開した地方芸術創成の動きが大きく関与している。これは西ジャワ各地の芸術の収集・調査・それに基づく創作を含む一連の活動である。この活動は、独自の理念に基づき、独自の方法論によって展開した。したがって論文の中では、この一連の活動を「民俗芸術学」と名付けた。  第2章ではトペン・チルボンの上演と歴史的背景、さらに村落社会における踊り手の位置づけに関する概略的記述を行った。トペン・チルボンの主な上演機会は村主催の農耕儀礼と個人主催の家族儀礼である。この芸能は、特定の物語を演じるものではなく、数種類の仮面の異なった「性格」を演じるものであり、ジャワ島における仮面芸能の中では特殊な上演形態をもつ。また踊り手たちは、儀礼に付随する上演の中で特別の呪力を発揮してきた。彼らは報酬を受けて上演を行い、それで生活するプロフェッショナルな人たちである。彼らの芸能活動は村落社会に支えられ、その中で機能していることが指摘できる。  第3章では、トペン・チルボンの上演の重要な根幹を成す音楽と舞踊に焦点を当てて、上演の展開方法を記述した。まず基本的な音楽構造を分析したのち、音楽と舞踊の関係を示し、舞踊のテクニックを考察した。その結果、トペン・チルボンの舞踊は、基本的には限られた動きのパターンの総体から成り立っていることがわかった。これらの動きのパターンを組み合わせて、状況に応じた多様な芸の展開方法を身につけることがトペン・チルボンの芸の本質であると言える。  このようなトペン・チルボンの芸を踊り手がいかに獲得するかという関心に基づいて、第4章ではスランギット村の踊り手ケニ・アルジャの芸能活動を記述し、1人の人間が村落社会で活動を続けながら踊り手として完成する過程を描いた。踊り手たちは、親や兄弟に芸を仕込まれたのち、門付けを通して上演の実践を体験する。さらにグループを率いた上演活動を行い、それを持続することによって芸を磨く。この章における重要な論点は、芸の個人様式は、このようなプロセスを経て上演活動を持続することによって確立するという点である。ケニの活動軌跡を描いた結果、様々な否定的要因に立ち向かいながら自己の内面を鍛え、踊り手としての活動を持続すること自体に、芸の確立を達成するしかけが内在していることが明らかになった。  このような村落社会における踊り手の活動状況を描いた後、第5章では西ジャワ州の州都バンドウンで展開した民俗芸術学の動きについて考察した。この民俗芸術学は、ケニの芸が娘のヌヌンヘ伝承されるプロセスにおいて、芸に対する価値観と上演技法に調整と変革をもたらした。ここでは、西ジャワの知識人が西ジャワ芸術創出を行った過程の中にトペン・チルポンを位置づけた。トペン・チルボンは以下の二つの方向性においてこうした過程に取り込まれた。第1は、トペン・チルポンを素材とした創作活動、第2は村におけるオリジナルな上演の理想化であった。第1の方向性においては、トペン・チルポンの断片的要素が重視されたのに対し、第2の方向性の中ではこの芸能のオリジナルな上演の姿が志向された。西ジャワの知識人はチルポンにおけるオリジナルな上演の新たな発展をめざし、村の踊り手たちの子弟をバンドウンの芸術教育機関に入学させようとした。  このような経緯は続く第6章で記述した。第6章では、芸術教育機関で新たな知識を身につけた踊り手の活動から、トペン・チルポンの現代における伝承状況に焦点を当てた。特に芸術教育機関における教育内容の検討と、ケニの娘であるヌヌンの創作作品の分析を通して、彼女の芸の実践が示す現代のトペン・チルボンの状況を記述した。ヌヌンは現在の活動の場である芸術教育機関の中で、トペン・チルボンの芸をいかに継承するかという問題を抱えつつ、自分の身につけた芸と知識を駆使して作品の創作に取り組み、踊り手としての自分の可能性を模索している。  第6章までの記述と分析の結果、以下の結論を導き出した。  踊り手の親子を取り巻く状況は、「地方芸術 kesenian daerah」の1ジャンルであるトペン・チルポンの複雑な現状を示す。地方芸術トペン・チルボンは理想化され西ジャワ芸術という一つのカテゴリーに包摂された。その際に地方芸術の担い手たちは、西ジャワの民俗芸術学を支える芸術に関する価値観や知識を積極的に受け入れた。その結果、トペン・チルポンの芸術的評価は高くなったが、その一方で、オリジナルな上演・伝承形態の喪失が起こった。この状況は、地方芸術創出における矛盾を体現する。この論文では、国民統合への一つのレスポンスとして起こった地方芸術創成の動きが、地方芸術のあるべき姿を定義し、また地方芸術の担い手がそれを受け入れた過程に焦点を当てた。このような記述を行うために、上演技法の獲得と変化という側面に着目したことは、有効な視点であったと考えられる。  今後の研究課題としては、行為の分析と行為に関する言説の分析という二つの要素を組み合わせることによって、身体化された上演技法の民族誌における記述と分析の問題を、さらに検討することが重要であると考える。, 総研大甲第304号}, title = {芸の伝承-ジャワ島・チルボンの仮面舞踊を中心に}, year = {} }