{"created":"2023-06-20T13:20:02.813847+00:00","id":50,"links":{},"metadata":{"_buckets":{"deposit":"db40abe6-7d58-4004-9cf9-3100d2c12cc6"},"_deposit":{"created_by":1,"id":"50","owners":[1],"pid":{"revision_id":0,"type":"depid","value":"50"},"status":"published"},"_oai":{"id":"oai:ir.soken.ac.jp:00000050","sets":["2:426:4"]},"author_link":["7440","7442","7441"],"item_1_creator_2":{"attribute_name":"著者名","attribute_type":"creator","attribute_value_mlt":[{"creatorNames":[{"creatorName":"塩路, 有子"}],"nameIdentifiers":[{}]}]},"item_1_creator_3":{"attribute_name":"フリガナ","attribute_type":"creator","attribute_value_mlt":[{"creatorNames":[{"creatorName":"シオジ, 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序章における問題提起に続いて、第1章では、イングランドのカントリーサイドとコッツウォルズ地域およびチッピング・カムデンについての19世紀末以降の状況を概観した。産業革命以降の英国内外の激しい社会変化によって、イングリッシュネスが希求されるようになり、とくに人々の帰属意識はイングランドのカントリーサイドに向けられた。それは、19世紀末にコッツウォルズ地域に向けられ、職人的な手作業をめざしたアーツ・アンド・クラフツ運動やイングランドの伝統的ダンスであるモリス・ダンスの収集という民俗復興の動きも生じた。チッピング・カムデンでも、20世紀初頭にロンドンから移住してきたアーツ・アンド・クラフツ運動の建築家アシュビーと職人たちが、古い建築物を修復し、文化的行事を催すなど、町を文化・社会的に復興した。ついで、画家グリッグスはカムデン・トラストの創設や牧草地の保全など、その後の町の保全活動の基盤を築いた。現在の町は、文化財密度が国内第2位と歴史的建築物が多く、景観保全地域と自然景勝特別保護地域に指定され、文化遺産保全団体が数多く存在する。同町の住民は、都市からの移住者である「インカマー」、同町で生まれ育った「カムドニアン」、町の周辺地域で生まれ育った「ローカル」という彼らの呼称で分類されている。\n 第2章では、19世紀末から20世紀末まで、チッピング・カムデンに注がれてきた「外からのまなざし」と住民の対応について明らかにした。観光客が増加した19世紀末に、住民は「古きイングランド」のイメージを利用して町を活性化しようとし、同時期に出版された全国版案内書に描かれた町には、イングランドのカントリーサイドのイメージが投影された。現在、政府観光庁は文化遺産観光を促進しており、観光庁や行政府の観光パンフレットには、イングランドのカントリーサイドが「イングランドの本質的な場所」として神話的に描かれている。住民は観光による「ソトとの接触をある程度まで規制しているが、「外からのまなざし」に呼応して、イングランドのカントリーサイドの観光イメージを町に創り出している。\n 第3章以下は、住民によるモリス・ダンス、文化景観、伝統行事という文化遺産の保全をめぐる境界意識とイングランドのエスニシティの形成について考察した。第3章では、二つの伝統行事に共通するモリス・ダンスがイングリッシュネスを演出する一方で、カムデンの独自性を示す役割があることを明らかにした。町のモリス・ダンスを継承するカムデン・モリスメンは「イングランドの伝統的な踊り」を継承するチームという意識が強く、町への帰属意識と伝統観が共通している。\n 第4章では、町の文化景観の維持をめぐる住民間の対立の一方で、収斂されたイングランドのカントリーサイドの景観が維持されていることを明らかにした。「カムドニアン」の転出と「インカマー」の転入という町の社会変化による住宅高騰は、居住場所に両者の経済格差を反映し、前者を町の周辺的な場所に追いやり、後者を中心的な場所に居住させている。「インカマー」から成る景観保全団体のカムデン協会は、労働者階級で生産者側の「カムドニアン」の生活を無視して景観保全を主張するために、「カムドニアン」は「インカマー」に反感を抱いている。それは「カムドニアン」が「ウチ」、「インカマー」が「ソト」という同町に潜在化している新旧住民の社会・経済的対立の構図である。しかし、宅地開発問題に対して、世論を通した意見交換が住民間に「カムデン住民」としての一致の姿勢を生み、結果的に「インカマー」の景観認識にもとづく、「外からのまなざし」にもみられたイングランドのカントリーサイドの神話的な景観が維持されることになった。\n 第5章では、17世紀に創始されたドーバース・ゲームスおよび中世の五月祭に起源があるスキャトルブルック・ウェイクの二つの伝統行事の運営を通して、「古きイングランド」という住民共通の伝統の創造が行われていることを明らかにした。ドーバース・ゲームスは、職業や社会階級に関係ない地元の人々によって運営され、80年代に「インカマー」が増加して以降、運営委員会の委員の条件や運営方針にカムデンや「カムドニアン」に対する強いこだわりはなくなってきた。この点で、同運営委員会内部での境界意識は薄れてきたといえるが、行事の内容をめぐって、歴史的側面を重視する「インカマー」の長老派と現代的な娯楽性を追求する「カムドニアン」委員の間に、新旧住民の文化景観に対する姿勢の違いと同様の傾向があった。一方、スキャトルブルック・ウェイクは、「カムドニアン」とカムデン在住が暗黙の運営委員の条件であり、その職種や階級はまるで過去の町の社会構造の縮図のようである。同運営委員会は、「ウチ」の人々による委員会としての意識が強い。しかし、運営委員たちが「毎年全く同じ」や「非常に伝統的な行事」と重視する行事の広場での催しは、ヴィクトリア朝時代に中世の「楽しきイングランド」を求めて復興された全国の五月祭と同様の様式で行われていることが明らかになった。\n 終章では、各章の総括を行い、文化遺産の保全にかかわる人々内部での多様な「ウチ」と「ソト」の境界意識とその揺れが生じている状況、さらにコミュニティ外部の「ソト」とのせめぎ合いがあることを明らかにし、それによって表現されているイングリッシュネスについて考察した。このような境界意識の重層的な図式は、モリス・ダンスにおいてはイングランドの伝統文化、文化景観においては収斂されたカントリーサイド、伝統行事においては古きイングランドというイングリッシュネスの形成を導いている。それは「カムデン・モリスメン」や「カムデン住民」「カムデンの焦点」などチッピング・カムデンという場所を媒体としながらも、同町の独自性を強く打ちだすのではなく、文化遺産の保全にかかわる「ウチ」と「ソト」の人々が共有できるイングリッシュネスであり、カムデンらしさがイングリッシュネスに包摂されている状態である。つまり、二者間の差異は存在したままで、さらなる外集団の存在によって、イングランドのエスニシティを強化して表現する必要が生じたのである。結論として、このような境界意識の重層的位相がイングランドのカントリーサイドにおけるエスニシティの形成を導いているということができる。","subitem_description_type":"Other"}]},"item_1_description_7":{"attribute_name":"学位記番号","attribute_value_mlt":[{"subitem_description":"総研大甲第482号","subitem_description_type":"Other"}]},"item_1_select_14":{"attribute_name":"所蔵","attribute_value_mlt":[{"subitem_select_item":"有"}]},"item_1_select_8":{"attribute_name":"研究科","attribute_value_mlt":[{"subitem_select_item":"文化科学研究科"}]},"item_1_select_9":{"attribute_name":"専攻","attribute_value_mlt":[{"subitem_select_item":"02 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