{"created":"2023-06-20T13:20:03.648122+00:00","id":63,"links":{},"metadata":{"_buckets":{"deposit":"addbda39-7aae-4d09-ba7e-6aeb8fb78b1d"},"_deposit":{"created_by":1,"id":"63","owners":[1],"pid":{"revision_id":0,"type":"depid","value":"63"},"status":"published"},"_oai":{"id":"oai:ir.soken.ac.jp:00000063","sets":["2:426:4"]},"author_link":["0","0","0"],"item_1_creator_2":{"attribute_name":"著者名","attribute_type":"creator","attribute_value_mlt":[{"creatorNames":[{"creatorName":"小谷, 幸子"}],"nameIdentifiers":[{}]}]},"item_1_creator_3":{"attribute_name":"フリガナ","attribute_type":"creator","attribute_value_mlt":[{"creatorNames":[{"creatorName":"コタニ, 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これまでのジャパンタウンを舞台とする研究は、当事者の視点を重視する「日系人研究」、\r\n「日系移民研究」の枠組みのなかでおこなわれてきた。そのため、日系史の連続性を確認・\r\n継承する場所としてのジャパンタウンのシンボリックな側面が強調されがちで、さまざま\r\nな文化的背景をもつ人びとの記憶や経験が重層して成立してきた場所であるという現実的\r\nな側面が具体的な記述として示される試みはほとんどなされてこなかった。それに対して、\r\n本論では、自明視されている「人・場所・文化」のあらゆる記号的相関性は、社会的に構\r\n築されたものだとする見方にもとづき、これまで注目されてこなかった日常生活の次元に\r\nおける「人・場所・文化」の結びつきについて、社会的構築過程としての場所、そして曖\r\n昧な社会的自己という観点を提示する。つまり、必然と有限が眼前を覆い尽くすような状\r\n況下にあるなかで、行為をともなって発揮される生活者の未知的創意性に、構築途中の状\r\n態のままに据え置かれるような場所の可能性を見出すものである。そして、このような社\r\n会的構築過程としての場所に見られる段階的、周縁的な不安定性に着目する。さらに、そ\r\nのような不安定な場所における差異を、市民社会や公共性の議論に行き着く多様なアイデ\r\nンティティの物語に還元させてしまわずに、生活の現場における、より複雑で不安定な「自\r\n己」と「非自己」のありように位置づける。\r\n ここでいう「自己」とは、自分以外の人々と完全に切り離された関係ではなく、曖昧に\r\nっながっているという免疫学の考えを反映したものである。すなわち、自己同一性は保た\r\nれたままで、非自己的な要素を内に取り込んで自己を再解釈していくという免疫のシステ\r\nムは、今日の在米アジア系マイノリティをめぐるポストコロニアルな自己および他者観、\r\nそして隣接性構築の様相を分析するうえで示唆的である。\r\n 第2章では、在米コリアン高齢者が日本町で福祉サービスや商品を消費することによっ\r\nて構築していく日本町の様相を記述し、その意味について考察した。ここでは、在米コリ\r\nアン高齢者の多くが米国移住前にアジア各地で日本の植民地時代を経験しており、そのよ\r\nうな経験に起因するポストコロニアルな生活実践や社会関係が、米国の「自立した老後」\r\nをうながす福祉政策や、エスニック・コミュニティ間に存在する高齢者ニーズの受け皿の\r\n不均等性との絡みあいにおいて日常化してきたことを事例から示した。そして、それが日\r\n本町における日系高齢者福祉の現場を実態のみならず、組織的にも多文化化させることに\r\n至った過程について記述した。最後に、その多文化化の内実が日系組織側の厳しい財政事\r\n情を背景としていることについても指摘した。\r\n 第3章では、第2章でとりあげた在米コリアン高齢者を米国に呼び寄せた子どもの世代\r\nが日本町においておこなう商売に着目し、その実践から日本町が構築されていく過程をサ\r\nンフランシスコ湾岸地域のコリアン系社会、および日本町の保存委員会や商店会とのかか\r\nわりから分析した。まず、日本町がサンフランシスコ湾岸地域に暮らす移民1世を中心と\r\nした朝鮮半島出身者たちにとって、社会的に意味をもつひとつの拠点となってきたことを、\r\nコリアン系移民社会の形成過程を時間軸に沿って小規模ビジネスの地理的展開から明らか\r\nにした。次に、日本町に店舗をかまえる在米コリアン企業家の口から聞かれた「ジェペン\r\nタウンはジェペンタウン」という語りに着目し、日本町におけるコリアン系企業家たちの\r\nビジネス活動について明らかにした。\r\n 都市再開発事業を契機として新たな都市街区として生まれ変わって以来、日本町は多様\r\nな背景をもつアジア系の若者たちの溜まり場、出会いの場ともなってきた。第4章ではこ\r\nの点に着目し、アジア系の若者文化という観点から、日本町が構築されていった過程をた\r\nどった。ここでは、「スクエア」、ボーリング場、アニメ関連スペースという3つの場に着\r\n目し、それぞれの場が若者の社交的、文化的活動とのかかわりで、いかなる時代的な文脈\r\nをもつのかについて整理し、そこから広がるマルチカルチュラルな世界について論じた。\r\n本論を通して明らかとなったことは、以下の点である。現代のグローバルな資本主義に起\r\n因する絶え間ない変動の文脈があってこそ、日本町は日系商空間として生成、維持されて\r\nきたということ。さらに、その取り込み方は同じコリアンでも、世代やかかわりをもつ活\r\n動の内容によって文脈が異なっており、個人的側面と集団的側面の表出度合いにも違いが\r\n見られた。\r\n一方、「ジェペンタウン」に視点の軸を置きつつ、そこから翻って日本町を逆照射したとき\r\nに見えてきたものもある。それは、旧日系人集住地区という言葉で表現しうる以上のもの\r\nであった。換言すると、日本町が日々、変化しかたちを変えながら、日本町であり続けて\r\nきた過程としての主体生成をめぐるダイナミズムであり、ポリティクスである。そして、\r\nこのダイナミズムやポリティクスに非日系の人びとが役柄を与えられ、取り込まれてきた\r\nからこそ、日本町は日本町であり続けてきたのである。","subitem_description_type":"Other"}]},"item_1_description_7":{"attribute_name":"学位記番号","attribute_value_mlt":[{"subitem_description":"総研大甲第1110号","subitem_description_type":"Other"}]},"item_1_relation_13":{"attribute_name":"関連サイト","attribute_value_mlt":[{"subitem_relation_type_id":{"subitem_relation_type_select":"URI"}}]},"item_1_select_14":{"attribute_name":"所蔵","attribute_value_mlt":[{"subitem_select_item":"有"}]},"item_1_select_8":{"attribute_name":"研究科","attribute_value_mlt":[{"subitem_select_item":"文化科学研究科"}]},"item_1_select_9":{"attribute_name":"専攻","attribute_value_mlt":[{"subitem_select_item":"02 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