@misc{oai:ir.soken.ac.jp:00000066, author = {禹, 鍾泰 and ウ, ジョンテ and WOO, Jong tae}, month = {2016-02-17}, note = {本論文においては、「物語は人間の心の投影の産物である」という分析心理学的な前提のもとに、日本と韓国の物語の比較分析が試みられた。特に分析の対象とされたのは、昔話のなかで異類と人間との結婚をテーマにする異類婚譚だった。というのは、異類婚譚における男性と女性、そして人間と異類との対比は、分析心理学でいう意識と無意識のイメージに相当するものであると考えられ、男性と女性、人間と異類の結婚は、人格統合のイメージに相当するものであると考えられたからである。そこで、日本と韓国の異類婚譚における人格統合像を比較して、そこから得られた相違点および共通点は、心理学的に何を示唆するものであるかを分析することが目的とされた。 一方、日本と韓国が比較の対象とされたのは、西洋との比較研究が主だった今までの日本の物語研究の成果をふりかえり、類似した文化的背景を有すると考えられる韓国との比較を通じて、より客観的な日本の心性、あるいは真の日本らしさを捉えることができると期待されたためである。 上記の基本姿勢と目的意識をもとにして、2部によって本論が構成された。第1部においては、まず、文化人類学と神話学を含む様々な研究分野における物語の捉え方を取り上げながら、物語の意味の究明とその分類が試みられた。次に、本論文における理論的な背景でもある、心理学における物語の意味について、精神分析学と分析心理学の見地から検討がなされ、物語の象徴性について検討がなされた。同時に、人格発達の見地から神話と昔話の意味が検討され、自我の芽生えと成長の過程が主に投影されているのが神話であり、芽生えと成長を成し遂げた自我が、無意識との関わりを通じて潜在的可能性を拡張すべく繰り広げる活躍が主に投影されているのが昔話であるとの仮定がなされた。最後に、西洋的基準による日本物語の研究における危険性が指摘され、西洋的基準を克服することの必要性と、そのための多角的な文化比較研究の必要性が指摘された。 第2部においては、まず、日本の関啓吾の「日本昔話集成」と、韓国の任哲宰の「韓国口伝説話」から、異類婚をテーマにする物語が選ばれ、その展開によって幾つかのパターンに分類された。また、その作業によって選ばれた物語の比較と分析が、幾つかの基準によって行なわれた。 まず、男性と女性との関係を基準にして物語が分析された。その結果、日本の物語からは女性の方が物語の展開を主導していくといった特徴がみられ、そのやり方においても直線的な力に頼るのではなく、男性にはない女性らしい叡知でもって主導していくといった特徴が認められた。一方、韓国の物語からは相対的に男性の方が物語の重要な展開を主導していくといった特徴がみられ、それを推進していく原動力としては、日本とは対照的に男性的力に基づくものであると考えられた。 次に、人間と異類との関係という基準によって物語が分析され、日本の方からは、相対的に異類の方が物語を主導し、両者の関わりをも決定するといった特徴がみられた。一方、韓国の方からは、相対的に人間の方が物語を主導し、両者の関係においても人間の意志が優先されるといった特徴がみられた。このような人間と異類との関係については、人間の意志と人間の立場からの判断が優先される西洋キリスト教的側面とは対照的な特徴を日本の方から認めることができ、非常に興味深いこととして考えられた。このことは、意識と無意識との関係において、基本的には意識の主導的役割が一般的とされる心理学の通念とは必ずしも一致しないことでもあり、それだけ注意深く分析されなければならないことと指摘された。 次に、男性と女性、人間と異類の間に、実際結婚が成立するかが分析された。その結果、日本の方からは、結局人間と異類は最後のところで結婚に至ることができず、人間は人間の世界に残り、異類は異類の世界に立ち去る、あるいは異類は人間によって殺されるか排除されてしまう、といった特徴が指摘された。反面、韓国の方からは、たとえ本来の姿や世界は違っても、最後のところでは人間と異類は結婚して幸せになれる、といった特徴が指摘された。そして、このことの心理学的な意味が、人格統合の象徴化の観点から検討された。 そこで、次の分析の基準とされたのは、日本と韓国において理想とされる人格統合像であった。その結果、日本で理想とされる人間と異類の関係は、一般的にいわれる両者の結合ではなく、両者がそれぞれの世界に別れて互いに助け合うような関係がもつとも理想とされていると指摘された。また、韓国の理想的関係は、一般的にいわれている形に近い両者の結合、それも人間の主導による人間の世界での結合が理想的な関係と指摘された。そして、特に日本の物語にみられるような人間と異類との結合関係から、自我意識と無意識との統合からなる人格統合像は、すべての文化と社会において必ずしも一律に想定すべき象徴化ではなく、むしろ文化によっては結合以外の関わり方に象徴化される可能性もあると提案された。そして、たとえ意識と無意識の統合が明確な形で象徴化されないといっても、それは人格統合および人格の成熟さの欠如の表れとして捉えられるべきではなく、人格の安定した状態を象徴するイメージが異なる可能性についてもつと注意深く検討されなければならない、と提案された。 上記の結果を踏まえ最後に検討されたのは、このような文化差の背景であった。そこで、一つの可能性として提案され検討されたのは、原初の無秩序な人間の精神状態に現れる、人類に普遍的にみられる「精神の合理化」の在り方によって文化差が生じる、ということだった。同時に、合理化の一部として形成される「内面化された文化・文化無意識」の概念が提示され、文化差を生み出す機制について検討された。そして、これらの概念をもとに、今回の比較研究から指摘された日本と韓国の物語が示す一連の特徴の意味が再び分析された。, 総研大甲第164号}, title = {異類婚譚にみる人格統合の象徴化 : 日本と韓国}, year = {} }