{"created":"2023-06-20T13:20:04.736912+00:00","id":80,"links":{},"metadata":{"_buckets":{"deposit":"3434214c-3518-49ec-82a8-bb9c25d04788"},"_deposit":{"created_by":1,"id":"80","owners":[1],"pid":{"revision_id":0,"type":"depid","value":"80"},"status":"published"},"_oai":{"id":"oai:ir.soken.ac.jp:00000080","sets":["2:426:5"]},"author_link":["7525","7526","7524"],"item_1_creator_2":{"attribute_name":"著者名","attribute_type":"creator","attribute_value_mlt":[{"creatorNames":[{"creatorName":"土居, 浩"}],"nameIdentifiers":[{}]}]},"item_1_creator_3":{"attribute_name":"フリガナ","attribute_type":"creator","attribute_value_mlt":[{"creatorNames":[{"creatorName":"ドイ, 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題目を「無縁仏」ではなく「無縁墓地」としたのは、なるべく「無縁仏」をその具体的な側面から検討したいがためである。「民間信仰」や「民俗宗教」といわれる領域への、空間論的・地理学的視点からする接近法を試みたわけである。\n また「無縁仏」を考察の対象とした場合、あれもこれも「無縁仏」に包括されてしまう危険性が懸念される。つまり対象が拡散されてしまう危険性である。また一方で、「無縁仏」は「無縁墓地」にのみ出現するわけではない、という民俗的伝承的事実からすれば、「無縁墓地」のみに考察の対象を厳密に限定すると、かえって「無縁仏」をごくごく倭小化する危険性が懸念される。このふたつを回避するために、「無縁墓地」に制定された空間にこだわり考察する[本論文第二章]一方で、「無縁」を冠する霊魂については、それらが具体的な場所とかかわる場合に限り考察する[本論文第三章・第四章]必要が生じるのである。\n 「歴史」ではなく「系譜」としたのは、ここでの興味が「無縁墓地」の初見から現在までの流れを整理するものではないことによる。そうではなくて、「現在の事実」である眼前に広がる無縁墓地の風景について、それを成立させるさまざまな諸前提を考察することにこそ、ここでの興味関心はある。たとえばその無縁墓地が具体的には本来祭化対象であったと思われる石塔の集積体ならば、それはまず墓地への石塔建立の風習が一般化しなければならない。そして次にその石塔の放置される契機が発生しなくてはならない。そして最後にその放置された石塔が供養の対象として発見される契機が発生しなくてはならない。それぞれの契機において、さまざまな可能性が考えれる。たとえば石塔の放置される契機ひとつとっても、それを祭肥主体の消滅とみるか、祭肥期間の終了とみるかで、その放置された石塔への意味づけは大きく異なる。このようなさまざまな可能性を、ある限られた方向性へと収束させる物言いがある。その物言いとはたとえば法律の物言いであり、宗教の物言いであり、そして学問の物言いである。大きく、世間の物言い、といってもよい。そのような世間の物言いが自明でなかった場所から -- たとえば<江戸>から -- 問い直す方法が択ばれる[本論文第五章] その場所を踏まえて眺め直すならば、その限られた方向性の単一性が浮き彫りにされるであろう[本論文第六章]。\n 第一章 「無縁仏の話: 『先祖の話』を中心に」では、現在における「無縁仏」の位置づけには<祖霊からの疎外>と<御霊の末裔>とする見解があるが、その両者の違いをそれぞれ柳田国男『先祖の話』と折口信夫「民族史観における他界観念」の読解を通して検討した。『先祖の話』の読解を通して、習俗における無縁仏への批判として、柳田の無縁仏論が為されたのをみた。\n 第二章 「無縁墓地の民俗地理論: 元禄十二年京都町触がら」では、第一章でみた柳田民俗学においてほぼ等閑視された、家と全く無関係の死者について、その具体的な処理場であるく無縁者の墓地>について考察した。行き倒れの屍体処理場として制定された近世京都における「無縁墓地」が、その後の歴史的展開において、大火の焼死者の処理場・心中者の死体処理場・刑場としての機能を担ったことをみた。\n 第三章「「五三昧」「七墓」の位相: 近世京都の総称される葬墓地について」では、第二章でみた「無縁墓地」および火葬場などを含めた「五三昧」「七墓」などと総称される葬墓地が、近世京都においてどのような意味空間であったかを考察した。従来論じられた「五三昧」が、火葬場の現地比定であることを指摘し、新しい視点として「五三昧」として総称された際に「巡る」供養の場であることを考察した。\n 第四章「<集める>供養の視座二回向院をめぐって」では、第三章でみた「巡る」供養に対して<集める>供養の具体的様相として、「無縁寺」回向院について考察した。回向院が、民俗学また民衆宗教史において論じられている位相を検討した。その上で、回向院を「死者の統合管理」の側面から読み説く必要性について論じた。\n 第五章「<墓地の無縁化>の近世: 石化する葬墓地と死者の記憶」では、第四章でみた「無縁寺」回向院の基盤である<江戸>における、 <墓地の無縁化>の様相を検討した。<江戸>における葬墓地への言及が、すてに<石化する葬墓地>を前提としており、その上で<墓地の無縁化>に対しては幕府によるその放置が懸念されつつも、実際にはむしろ<墓地の無縁化>が当然であり、それに対処するものは非主流派と目されていたことをみた。また<墓地の無縁化>に対して、必ずしも家の断絶を読み込んでいないことをみた。\n 第六章「<墓地の無縁化>の昭和期: 掃苔道・霊園行政・柳田民俗学」では、第五章でみた<墓地の無縁化>の多様な解釈のありようが、昭和期においては法的にもまた「国民精神」の上からも懸念される様相を検討した。<遺体・墳墓・墓地>三位一体の墓地観は当局側のイデオロギーに留まらず、むしろ具体的な政策には関与しない民間の掃苔家により強調されるのをみた。そのような死者への記憶を前提とする中で、柳田の葬墓地論がその射程に死者の忘却を含めている点を指摘し、その同時代的特異性をみた。\n なお、第六章でみた柳田の葬墓地論は、死者の忘却を忘却した時代として<石化する葬墓地>の時代を認識し、かって死者の忘却を当然としていた時代の様相を再構成するが、その再構成作業については第一章で検討した。各章それぞれが相互に密接に関連しつつ、全体としては円環構造をなすようになっている。\n ここで検討した「無縁墓地」にまつわる霊魂は、言葉を換えれば、「われわれのようでない」モノたちである。この論文の目論見は、そのようなモノたちの空間的な刻印のされようを辿ることで、いかに「われわれ」の霊的な側面が構成されたかを炙り出すことであった。その射程は「われわれ日本」を問う日本研究として新たな地平を切り開くはずである。","subitem_description_type":"Other"}]},"item_1_description_7":{"attribute_name":"学位記番号","attribute_value_mlt":[{"subitem_description":"総研大甲第360号","subitem_description_type":"Other"}]},"item_1_select_14":{"attribute_name":"所蔵","attribute_value_mlt":[{"subitem_select_item":"有"}]},"item_1_select_8":{"attribute_name":"研究科","attribute_value_mlt":[{"subitem_select_item":"文化科学研究科"}]},"item_1_select_9":{"attribute_name":"専攻","attribute_value_mlt":[{"subitem_select_item":"03 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