{"created":"2023-06-20T13:20:04.928728+00:00","id":83,"links":{},"metadata":{"_buckets":{"deposit":"f390030c-1db9-4714-a3cd-f863bb7679d7"},"_deposit":{"created_by":1,"id":"83","owners":[1],"pid":{"revision_id":0,"type":"depid","value":"83"},"status":"published"},"_oai":{"id":"oai:ir.soken.ac.jp:00000083","sets":["2:426:5"]},"author_link":["7479","7481","7480"],"item_1_creator_2":{"attribute_name":"著者名","attribute_type":"creator","attribute_value_mlt":[{"creatorNames":[{"creatorName":"胡口, 靖夫"}],"nameIdentifiers":[{"nameIdentifier":"7479","nameIdentifierScheme":"WEKO"}]}]},"item_1_creator_3":{"attribute_name":"フリガナ","attribute_type":"creator","attribute_value_mlt":[{"creatorNames":[{"creatorName":"コグチ, 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第2は、地域史研究に重点を置いたことである。地域史研究の必要性・重要性が叫ばれて久しいが、史料の乏しい古代史にあって文献史学の立場からこれを実現することは容易ではない。本論文は古代近江国、就中蒲生郡に定着した一氏族の個別研究からできるだけ具体的な成果が得られるようにつとめた。そして、国家体制確立期の倭国社会の歴史像を豊かにすることが可能であることを示唆的にでも提示したい。その際関連資料・先行文献をその周辺の状況まで含めて逐一考察しつつ、結論はあくまで慎重に推定にとどめ今後の調査の進展に待ちたいと考える。\n 第3は、可能な限り学際的な研究を目指して追求したことである。とかく文献史家の多くが敬遠しがちな隣接諸科学の活用において、考古学をはじめ歴史地理学・金石学・筆跡学さらには気候学・昆虫学・精神医学などの多方面の学問に意欲的に取り組み、果敢にその果実を取り入れて論述を進めた。その方法・成果については多様な評価があり得ようが、重要な論点を提起できたのではないかと考える。\n 以下内容の要旨を略述する。本論文の中核をなすのは、近江(天智)朝に百済から倭国に亡命し、天智8(669)年近江国蒲生郡に安置された百済貴族の1人鬼室集斯とその一族・後裔の動向について、現在の滋賀県蒲生郡日野町小野に所在する鬼室集斯墓碑をめぐって考究したものである。前編は、碑文の検討を基軸に鬼室氏の軌跡を多方面から考察した諸論考。第1論文は、鬼室という特異な姓の出現の由来について、主として劉仁願紀功碑の建碑の過程と、百済復興運動前後の鬼室福信(集斯の父か)の活動を詳細に検討し、それが倭国で成立したものではなく、百済復興運動における福信の勇猛果敢な「鬼神感和の義」にちなんで、百済において創始されたことを推定。第2論文は、その真偽論争もあってこれまでほとんど歴史学の対象にされなかった鬼室集斯墓碑について、石質と形態・銘文の様式と史料批判・建碑年代など基礎的な論究を加えた。八角という石柱の特異な形態、「庶孫」という表現や年記など銘文の記載様式、鬼室(西宮)神社など地元小野に伝わる棟札銘文や古文書の検討から、集斯の子孫たちが平安時代後期から鎌倉時代後期に武家社会の中で家門を宣揚するため合力して造立したと推定。第3論文は、近世文人の記録から江戸時代中期の碑面は、「文字あれども見えず」という状況であったこと、したがって墓碑の江戸時代偽作説は成り立たないことを指摘。第4論文は、筆跡学の成果に学びつつ墓碑銘文の筆跡を古代~中世・近世の日野町一帯の金石文資料と逐一比較し、江戸時代偽作説が妥当性を持たないばかりでなく、逆に古代にまで遡る可能性を推定。第5論文は、滋賀県の湖東平野各地に広がる鬼室集斯墓伝承の性格と成立事情を検討し、それが中世に成立した背景に、集斯を指導者とする百済亡命渡来人集団の新しい農業技術による開拓成功の功績が地域民衆の間で語り伝えられていたものと考古学・地理学などを援用して推定。第5論文は、集斯の一族・後裔に光を当て、正史にはほとんど登場しない下級官人として生きた弱小渡来系氏族の実態を正倉院文書の世界に探る。\n 後編は、鬼室氏と関わりの深い百済王家、とくに最後の百済王である豊璋王の事跡や、近江朝をめぐる諸問題に関する諸論考で、前編で追求した鬼室氏の動きを包摂する歴史的背景を考察する。第1・第3論文は、30年の長期にわたって、百済からの人質として倭国に滞在していた豊璋王の生活環境の在り方、さらにその精神生活を論求して、山尾幸久氏の提唱された豊璋王=「政治工作員」説を批判し、また豊璋王や百済義慈王即位時の政変により倭国に亡命した翹岐などの一行を「亡命政権」とする山尾氏の見解に対し、7世紀後半の倭・百済関係の分析や、亡命した人々の具体的な動向の検討により、それが成立しがたいことを明確にし、あわせて大化改新による外交政策の転換に説き及ぶ。第2論文は、第1論文に関連して、皇極紀の史料批判の一方法として、災害などの自然関係記録の信憑性を気候学や昆虫学の成果に依拠しつつ逐一検討し、「事実の記載とは思われないものがほとんど」とする津田左右吉氏の所説には再検討の余地があることを述べる。第4論文は、天智天皇の近江遷都が、百済救援戦争失敗後の倭国防衛のために、亡命百済人の発想になる「近江国一国城塞化」という構想に基づくとの仮説を提起。第5論文は、近江国の外縁部に設置された鈴鹿・不破・愛発の三関の成立時期・事情を検討したもので、それが通説とは異なり、対外危機の中、近江朝において成立したことを提唱した。\n 付編の3論文はいずれも小文である。鬼室氏を正面から論じたものではないが、韓国忠清南道扶余郡恩山面の恩山別神堂で2年ごとに行われる鬼室福信の祭祀である恩山別神祭の性格を現地調査に基づきまとめたものが第1論文。伴信友の所蔵する鬼室集斯墓碑拓本から江戸時代後期に流布した伝来経路とその意義を論じたものが第2論文。第3論文は、明治時代の後期に蒲生郡長として鬼室集斯墓碑の顕彰に大きな足跡を残した山形県酒田市出身の遠藤宗義の人となりとその学問を紹介した。","subitem_description_type":"Other"}]},"item_1_description_7":{"attribute_name":"学位記番号","attribute_value_mlt":[{"subitem_description":"総研大乙第59号","subitem_description_type":"Other"}]},"item_1_select_14":{"attribute_name":"所蔵","attribute_value_mlt":[{"subitem_select_item":"有"}]},"item_1_select_8":{"attribute_name":"研究科","attribute_value_mlt":[{"subitem_select_item":"文化科学研究科"}]},"item_1_select_9":{"attribute_name":"専攻","attribute_value_mlt":[{"subitem_select_item":"03 国際日本研究専攻"}]},"item_1_text_10":{"attribute_name":"学位授与年度","attribute_value_mlt":[{"subitem_text_value":"1998"}]},"item_creator":{"attribute_name":"著者","attribute_type":"creator","attribute_value_mlt":[{"creatorNames":[{"creatorName":"KOGUCHI, 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