@misc{oai:ir.soken.ac.jp:00000084, author = {高田, 康孝 and タカダ, ヤスタカ and TAKADA, Yasutaka}, month = {2016-02-17, 2016-02-17}, note = {本研究の背景  国立民族学博物館は1981年から10年にわたって特別研究「現代日本文化における伝統と変容」(以下「伝統と変容」と略称)を実施した。毎年、同館の内外の研究者があつまってシンポジウムが開催された。筆者は、そのすべてに出席し、報告をおこない、論文を執筆した。本論文『生活文化と世相にかんする研究 -20世紀日本の高度経済成長期を中心に- 』は、これら9論文を中心に、関連する主題をめぐって、おなじ時期に執筆した合計15編の論文に全面的な加筆・訂正をほどこし、あらたに編集したものである。  本研究の目的と方法  特別研究「伝統と変容」は、(1)20世紀という時代を対象に、(2)主眼を都市において、(3)日本文化の変容を記述し、なんらかの理論的枠ぐみでとらえることを目的としていた。それは、明治における日本文化の大変動が定着した時期に、その変容を記述した柳田國男『明治大正史 世相篇』をうけながら、第2次大戦後、とくに1955年以降の高度経済成長期から1980年代にいたる、もうひとつの日本文化の大変動を、社会的・精神的な変容をも視野にいれて記述しようとしたものである。この目的のために筆者は、研究の主題に関連する新聞や雑誌の記事を参照し、筆者自身が野外調査1で収集した資料をもとに論文を執筆した。  そこで、あらためて本論文の成立過程と目的をしるせば、柳田國男の世相史、梅棹忠夫の比較文明学などの方法を援用し、野外調査でえられた資料をもちいて、20世紀日本の近代的工業化、とくに1955年以降に本格化した高度経済成長期に焦点をあてて、それ以前の日本人の生活文化と日本の世相が、どのような変容の過程をたどり、日本の文明、すなわち政治や経済や社会をささえる装置や制度のシステムと、どのような相互関係をきりむすんできたのかを具体的にえがきだすことであるとまとめられる。  本研究の内容の概要  第1部では、日本の20世紀をつらぬいた生活文化と世相の変化の方向を、「ジェンダーの文化の変容」と「社会の情報(産業)化」というふたつの視点から概括した。そのうち第1章では、それ以前の「男らしさと女らしき」の区別があいまいになるとともに、工業化の時代に卓越した「男らしさ」にかわり、情報産業の時代には「女らしさ」がおおきな役割をはだすことを論じた。第2章では、情報の効用を、文明の装置・制度系に作用して効率を上昇させるメッセージ性と、人間の感覚器官に作用して快適と快楽をもたらすマッサージ性に分節したうえで、工業化の時代にはメッセージ性が卓越するが、情報産業社会化が本格化するとマッサージ性のはだす役割がおおきくなることを論じた。  第2部では「食生活・食文化」の劇的な変容を考察した。第1章では、明治から昭和戦前期にいたる時期には日本人の食生活が、欧米のつよい影響をうけながら、それを日本的に再編成することで、カレーライス・トンカツ・コロッケに代表される「日本的洋食」とでもよぶべき食文化を成立させたことを論じた。第2章では、高度経済成長期に焦点をあて、インスタント食品の普及に代表される食生活の「簡便化」と、外食産業などの普及にともなう食生活の「趣味化・豪華化」が同時に進行したことを論じた。第3章では、江戸末期に伝来したコーヒーが、その後、どのように日本人に受容されたかを論じた。最後の補論では、食生活と食文化が、第1部第2章でのべた「ふたつの意味での情報化」を体験したことをあきらかにした。  第3部では、家庭生活と地域社会における生活文化と世相の変容を考察した。第1章では、武士の家族を支配した「家父長制」を、明治維新政府は国民文化として演出しようとしたが、実際には一種の「神話」として受容されただけで、高度経済成長期がはじまると、日本の家族は「共遊体」としての性格のつよめなから「マイホーム主義」に傾斜し、さらに近代家族の存立そのものがあやうくなりつつある現状を論じた。第2章では、「ゲマインシャフトとゲゼルシャルト」にはじまる人間集団の類型化の根拠のあいまいさを論じたあと、いわゆる「共同体」が「情報産業」と競合しなから「共感と情緒的安定」の供給源として存続しようとしている現状をあきらかにした。  第4部では労働と生産の現場に焦点をあてた。第1章では、日本の企業における人間関係は高度経済成長期に、(1)「男の世界」、(2)終身雇用制度、(3)年功序列制度、(4)「滅私奉『会社』」の行動規範、(5)「生産性向上」を至上目的とする大規模化という5点の特徴をしめしたが、高度経済成長の終焉とともに、その解体がはじまったことを論じた。第2章では、「人生の転機」をしるした企業人の111例のエッセーを素材に、時代の推移にともなう彼らの人生の転機のもつ意味の変容と、そこにリースマンのいう「内部指向から他者指向へ」という社会的性格の変容が投影されていることをあきらかにした。  第5部では都市と盛り場に焦点をあてた。序章では、太古の神殿都市の祝祭性が、近代工業都市では「盛り場」空間において集約的に顕現すること、それは時間秩序によって管理された祝祭性の空間秩序による管理であること、盛り場は商品やサービスを「情報(産業)化」する装置系であることを論じながら、東京の代表的な盛り場である浅草・銀座・新宿・渋谷が、明治・大正・昭和に体験した変容の過程をえがきだした。第2章では、盛り場を特徴づける装置のひとつである酒場における「酒ののみよう」が、高度経済成長期以降、伝統的な「泥酔の美学」の退潮をもたらしたことを論じた。第3章では、賭博がこうむった技術革新と装置化・制度化を考察しながら、情報産業社会における経済活動そのものに濃厚な「賭博」性が投影されつつあることを論じた。第4章では「金(マネー)」にたいする日本人の意識が、高度経済成長期における消費金融をはじめとする多様な金融商品の登場によって、どのような変容のあとをたどったかを考察した。  第6部では、農業社会と工業社会で卓越した「定着」という生活様式が、情報産業社会では「遊動」の要素を積極的に受容するようになる経緯を論じた。第1章では「定着と遊動の人類史」を概観したのち、20世紀の移動と輸送にかかわる技術革新を前提に爆発しはしめた「遊動と観光の時代」の様相をえかきだした。第2章では、幕藩体制下では「漂流」にかぎられた一般生活者の海外体験が、明治以降は「移民」に重点をうつし、高度経済成長以降、多様な「観光旅行」が普及した経緯を論じた。第3章では「昭和の新交通」である自動車と航空機が、社会の情報産業化とあいまって「都市的な生活文化の輸送者」の役割をはだし、国土全体を「都市化」した事情をあきらかにした。  第7部で、さまざまな変容の結果もたらされた現代日本の生活文化の課題を考察した。第1章では「リベラルな民主主義」社会の成立によって、人間の普遍的な歴史が「終わる」と論じたF.フクヤマを批判的に検討しながら、プラトンがいう「人間の魂の3つの要素(欲望・理性・気概)」をすこしずらせた「好奇心・浬槃願望・表現欲求」に重要な意味が付与されて、あらたな「情報産業社会の歴史のはじまり」が展望できることを論じた。第2章では、第1章の結論に適合する都市のありかたを、筆者がうまれそだった京都にそくして考察した。それは、本論文の冒頭で論じた「ジェンダーの文化の変容」「情報産業社会をささえる装置・制度系」の都市における実現の方途をえかきだすこころみである。 1筆者には「日常生活体験は野外調査でもある」という認識がある。そのなかには、たとえば、  (1) 1969年12月~1973年4月:筆者自身が経営していた酒場における参与観察  (2) 1983年4月~1986年3月:全国約30都市における、最初の自動車の登場から現代までの自動   車の使用実態をはじめとする生活文化の変容にかんする面接調査  (3) 1982年4月~現在:女子大学における女子学生とのつきあい  (4) 1990年~現在:各地を旅行しながら同行の旅行者と現地でおこなう共同討議 などまでもがふくまれる。, 総研大乙第60号}, title = {生活文化と世相の変容にかんする研究, -20世紀日本における高度経済成長期を中心に-}, year = {} }