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  1. 020 学位論文
  2. 文化科学研究科
  3. 04 日本歴史研究専攻

古代国家形成における陸奥南部の考古学研究

https://ir.soken.ac.jp/records/111
https://ir.soken.ac.jp/records/111
5856c809-4b79-4121-af64-1d92085fd471
名前 / ファイル ライセンス アクション
甲626_要旨.pdf 要旨・審査要旨 / Abstract, Screening Result (457.8 kB)
Item type 学位論文 / Thesis or Dissertation(1)
公開日 2010-02-22
タイトル
タイトル 古代国家形成における陸奥南部の考古学研究
言語
言語 jpn
資源タイプ
資源タイプ識別子 http://purl.org/coar/resource_type/c_46ec
資源タイプ thesis
著者名 福島, 雅儀

× 福島, 雅儀

福島, 雅儀

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フリガナ フクシマ, マサヨシ

× フクシマ, マサヨシ

フクシマ, マサヨシ

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著者 FUKUSHIMA, Masayoshi

× FUKUSHIMA, Masayoshi

en FUKUSHIMA, Masayoshi

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学位授与機関
学位授与機関名 総合研究大学院大学
学位名
学位名 博士(文学)
学位記番号
内容記述タイプ Other
内容記述 総研大甲第626号
研究科
値 文化科学研究科
専攻
値 04 日本歴史研究専攻
学位授与年月日
学位授与年月日 2002-09-30
学位授与年度
値 2002
要旨
内容記述タイプ Other
内容記述 本論文が対象とする古代国家形成期は、初期ヤマト政権が成立する3世紀後半から律令国家が成立する8世紀までの期間である。この論文は、この期間に陸奥南部が国家を構成する地方に編成されるまでの歴史的状況を解明することを目的としている。これまで陸奥南部は、陸奥北部や関東地域と比べると特色のない地域とされ、十分な研究はなされていなかった。ところが、この地域に遺された各種遺物や、古墳や集落遺跡、生産遺跡、地方官街遺跡などをみると、中央勢力と地方の関係を考える上では、重要な地域ということができる。古代国家形成期の遺跡・遺物には、陸奥南部の社会が中央勢力や周辺地域との関わりのなかで歩んできた歴史的特性が反映されているはずである。そこで考古学の手法から、表題について遺跡・遺物の分析を行った。 考古資料の分析では、これまで筆者が関わった発掘調査成果や現地調査を実施した資料を中心に、つぎの7項目を選定した。(1)前期古墳の出現。(2)集落の構造の変化。(3)5世紀から8世紀までの古墳の変化と特徴。(4)鉄刀の編年と装飾大刀の意義。(5)須恵器生産の革新と編年。(6)鉄生産の導入と展開。(7)地方行政施設の出現過程である。 このうち(2)では、気候環境と生活の関わりに注目して、住居や貯蔵施設の復元を行うことから、集落の実態を復元的に分析した。この結果、5・6世紀の畑作主体の小集落から、7世紀に河川周辺で水稲農業が大規模に進展し、さらには8世紀以降は、丘陵山間部まで開発が進められた様子が明らかになった。また集落内部の階層分化が、8世紀以降に急速に進行したことも示した。 (1)・(3)では、古墳と副葬品の在り方から、首長層の社会的性格や地域社会の政治的動向を分析した。これにより、地域集団が政治的に編成され、在地の首長が地方官僚にまで変化する過程を明らかにした。 (4)では、これまで重視されなかった鉄刀の構造変化を明らかにして、装飾的要素で作られた鉄刀編年の不備を正した。さらに7世紀代の装飾大刀が中央勢力により、軍事力の編成を目的として、畿内政権により配布されたという結果を得た。(5)の善光寺窯跡編年は、陸奥南部における7世紀代の年代基準である。窯跡を構成する土層のまとまりから土器型式を設定した。(6)では、これまでの調査成果の再検討を行うことから、鉄生産遺跡についての理解を改めた。(7)では、地方行政施設や寺院に使用された軒丸瓦の年代を追うことにより、これらが陸奥南部で出現する過程を明らかにした。さらに地方行政施設が成立することで変化した各種の生産活動や物資の流通網についても、いわき市根岸遺跡周辺を例に分析を加えた。 以上の結果から、陸奥南部の古代国家形成過程は、5世紀から7世紀代の在り方に、地域の特性があることが明らかになった。5・6世紀代の陸奥南部は、気候の寒冷化の影響を受けて畑作地帯に変化した。集落は丘陵地帯に点在して造られ、生産性も低く、人口も希薄で、有力首長が存在しないことから、大きな地域勢力が形成されない状況である。ほかの地域と比べると階層差の小さな社会である。陸奥南部は、古代国家形成過程における継続的な発展が阻害された点で、関東地方以西の地域とは異なる経過を歩むことになった。 7世紀になると、気候は温暖に向かったと考えられている。これを受けて丘陵地帯の小集落が解体して、河川周辺に大規模集落が形成される。また周辺では、水田の開発が進められた。水田農業では、水路の掘削や耕地の維持、各種農作業の協業のために地域集団の形成が必要になる。群集墳の出現は、地域集団の政治的まとまりが存在していたことを示している。また中小前方後円墳の造営や舟田中道遺跡にみる豪族居館の復活は、この時期における首長層の成長を示している。陸奥南部の首長層は、関東地方の有力首長層と結び付いて、地域支配の中核となる。こうして陸奥南部では、人々が編成され、各種開発・生産活動を実施することが可能になった。さらに、窯業生産や鉄生産の先進的な生産技術が導入された。なかでも鉄生産の開始は、陸奥南部地域が十分な経済力を付け、各種開発を可能にする基盤として重要である。 さらに7世紀後半になると、中央から地方への政治的働きかけと支配の強化が図られる。陸奥南部では、在地の首長層から地方行政を担当する地方官僚が選出された。合わせて、これを支える属僚に類する人々も組織された。首長の古墳に白河市谷地久保古墳などの畿内系横目弐石榔が導入されること、群集墳の単葬墓化から、首長層の官人化と属僚層の編成が推測できる。これとともに寺院が建設された。寺院の創建は、新しい政治制度を思想的に支える宗教の導入を示している。 こうして、8世紀初頭までに律令制度による統治が開始され、陸奥南部では郡街が相次いで創設される。各郡の経済力的な発展が図られ、政治的な統合が指向された。さらに8世紀前半の一時期には、陸奥南部が石城国・石背国として分立するまでに成長を遂げる。7世紀後半の陸奥南部は、古代国家の成立にともなう地方支配の改革が、強力に実施された地域ということが出来る。 古代国家に編成された陸奥南部の実質的な支配者は、地方行政を現地で運用する郡司やその属僚層に属する人々である。一方、中央政権の側では、領域の北辺を確保するために、陸奥北部を支える地域として、陸奥南部をあわせて、広大な陸奥国を編成することが可能になった。これによって古代国家の北辺支配をより,確固なものにすることが図られた。以上のように本研究では、陸奥南部が古代国家を構成するひとつの地方として編成される過程の一端を明らかにした。
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値 有
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Ver.1 2023-06-20 15:00:49.486995
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