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  1. 020 学位論文
  2. 文化科学研究科
  3. 04 日本歴史研究専攻

古代日本雅楽の展開構造 - 抜頭・相撲・散楽の相互関係 -

https://ir.soken.ac.jp/records/117
https://ir.soken.ac.jp/records/117
75fce149-e1f7-43b1-8223-fe0fcb8b2ce1
名前 / ファイル ライセンス アクション
甲829_要旨.pdf 要旨・審査要旨 (327.1 kB)
Item type 学位論文 / Thesis or Dissertation(1)
公開日 2010-02-22
タイトル
タイトル 古代日本雅楽の展開構造 - 抜頭・相撲・散楽の相互関係 -
言語
言語 jpn
資源タイプ
資源タイプ識別子 http://purl.org/coar/resource_type/c_46ec
資源タイプ thesis
著者名 廣瀬, 千晃

× 廣瀬, 千晃

廣瀬, 千晃

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フリガナ ヒロセ, チアキ

× ヒロセ, チアキ

ヒロセ, チアキ

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著者 HIROSE, Chiaki

× HIROSE, Chiaki

en HIROSE, Chiaki

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学位授与機関
学位授与機関名 総合研究大学院大学
学位名
学位名 博士(文学)
学位記番号
内容記述タイプ Other
内容記述 総研大甲第829号
研究科
値 文化科学研究科
専攻
値 04 日本歴史研究専攻
学位授与年月日
学位授与年月日 2005-03-24
学位授与年度
値 2004
要旨
内容記述タイプ Other
内容記述 I 古代日本の雅楽は律令国家のもとで宮廷の式学として演奏され、とりわけ平安時代には最盛期を迎えた。雅楽はその後幾多の変化を経ながら現代にまで伝えられているが、雅楽の最盛期である平安時代は雅楽研究にとって最も重要な時期であると考えられる。しかし従来の古代日本の雅楽研究には、(1)論述にあたって資料的根拠が十分示されない傾向、(2)みやびな宮廷音楽とされる雅楽と、庶民的で卑俗な芸能とされる猿楽・散楽などの周辺芸能との関連の不明確さ、(3)概説的な叙述が多く、具体性に欠ける傾向、などの問題点がある。このような問題点を解決するのは古代日本の雅楽の実像を復元するための具体的な検討が必要である。本研究の目的はそのような具体的な検討を通じて古代雅楽の復元とその展開を探ることにある。<br /> 本研究は第一部「平安時代中期を中心とする儀式と奏舞」、第二部「抜頭と相撲」、第三部「中国・日本の散楽と抜頭」の三部で構成した。以下、順次各部の概要を述べる。<br />II 第一部では、平安時代中期の宮廷を中心とする諸儀式とそこで奏される楽舞(音楽と舞が一体化しているものを「楽舞」と呼ぶ)の関連を概観した。楽舞が演奏される「場」に着目すると、楽舞は、定式化された儀式の中に位置付けられて演奏される「儀式的な楽舞」と、儀式後の饗宴などで演奏される多様な「余興的な楽舞」に分類することができる。このうち「儀式的な楽舞」では、それぞれの儀式と楽舞との間に本源的な関連が存在すると推定される。これに基づいて本研究では、相撲節会とそこで演奏される勝負楽としての抜頭の関連を解明することを中心的な課題として設定した。この関連を解明することにより、儀式と音楽、また音楽と周辺芸能の関連を明らかにし、古代雅楽の展開をたどるための重要な手がかりを得ることができると考えるからである。<br />III このような観点から、第二部では抜頭の奏舞記録を収集した上で、相撲節会における抜頭の演奏状況について検討し、(1)抜頭は遅くとも九三〇年代以降、一貫して相撲節会で演奏され、十一世紀後半からは他の行事へと演奏の「場」が拡大していくこと、(2)抜頭は相撲節会の中でも主要な儀式である召合の勝負において、左方勝利の際に奏される勝負楽であること、(3)かつては左方の勝負楽として陵王が奏されていたが、九世紀末以降、徐々に抜頭がその地位を占めるようになっていくこと、(4)遅くとも九世紀半ばころ以降の相撲節会においては、楽舞と散楽の関係を解明することが以後の展開にとって重要であること、を明らかにした。<br />IV 第三部では視野を古代中国に広げて抜頭および相撲の由来を中心に検討し、(1)抜頭の本来的なモチーフは『通典』に記録されている<猛獣退治>であり、平安貴族はこのモチーフを念頭において抜頭を見ていたであろうこと、(2)中国古代の相撲は秦代に始まる角力・角抵であり、この語は本来は力や技を競うことを意味し、音楽を伴う雑技・雑芸の総称であったが、唐代にはこれを散楽と呼んでいること、(3)唐代の散楽には抜刀、陵王の他、九世紀日本の相撲節会で演じられていた各種の雑技・雑芸も含まれており、古代日本の相撲節会は、古来の「すまひ」の土壌の上に中国古代の散楽が定着したものであること、(4)古代中国及び日本における散楽演奏の「場」に着目すると、八世紀の日本においては外交使節に対する饗応の場において多く演じられており、外交手段としても散楽が用いられていたと考えられること、を明らかにした。<br />V 以上により、古代日本における抜頭・相撲・散楽の三者は中国古代の角抵という一つの技芸から発生したものであり、その意味においてこれらは共通する本源的な性質を有していることを述べた。<br /> 従来の古代日本の雅楽研究においては「楽舞の中にはがんらい散楽であったものが含まれている」あるいは「散楽が舞楽化したものがある」などの指摘がなされ、後者については文化全般が「日本化」した平安時代前期の雅楽の変化の一つであるとされている。このような理解の背景には、雅楽=みやびな宮廷音楽、散楽=卑俗な芸能と対立的に捉える雅楽認識があると考えられる。雅楽をみやびな宮廷音楽とのみ見なす現代的認識から脱し、古代総合芸能として雅楽を把握する視点が今後の雅楽研究には求められていると考える。<br />VI 本研究では、相撲節会と抜頭の関係および散楽との関わりという点に限定して論述した。これは古代日本雅楽の具体像を解明するという大きな課題にとっては一つの事例に過ぎないものではある。しかしそれは相撲節会と抜頭が、宮廷儀式と楽舞の関連をほぼ平安時代を通じて追跡できる数少ない事例であるという事情にも規定されている。今後はこの事例から得た手がかりを古代日本の雅楽全体に及ぼして具体的な検討を進める必要があると考えている。
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値 有
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Ver.1 2023-06-20 16:14:34.944299
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