WEKO3
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古代国家成立期の土地把握と図の機能
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名前 / ファイル | ライセンス | アクション |
---|---|---|
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Item type | 学位論文 / Thesis or Dissertation(1) | |||||
---|---|---|---|---|---|---|
公開日 | 2010-06-09 | |||||
タイトル | ||||||
タイトル | 古代国家成立期の土地把握と図の機能 | |||||
言語 | ||||||
言語 | jpn | |||||
資源タイプ | ||||||
資源タイプ識別子 | http://purl.org/coar/resource_type/c_46ec | |||||
資源タイプ | thesis | |||||
著者名 |
三河, 雅弘
× 三河, 雅弘 |
|||||
フリガナ |
ミカワ, マサヒロ
× ミカワ, マサヒロ |
|||||
著者 |
MIKAWA, Masahiro
× MIKAWA, Masahiro |
|||||
学位授与機関 | ||||||
学位授与機関名 | 総合研究大学院大学 | |||||
学位名 | ||||||
学位名 | 博士(文学) | |||||
学位記番号 | ||||||
内容記述タイプ | Other | |||||
内容記述 | 総研大甲第1269号 | |||||
研究科 | ||||||
値 | 文化科学研究科 | |||||
専攻 | ||||||
値 | 04 日本歴史研究専攻 | |||||
学位授与年月日 | ||||||
学位授与年月日 | 2009-09-30 | |||||
学位授与年度 | ||||||
2009 | ||||||
要旨 | ||||||
内容記述タイプ | Other | |||||
内容記述 | 日本の古代国家による土地支配については、これまで法制史料を中心にした政策面の検<br />討が進められてきた。そこでは、古代国家が天平15年(743)の墾田永年私財法をはじめと<br />した諸政策を実施していくなかで、8世紀中頃以降に本格的な土地支配を展開していった<br />ことが示されている。しかし、これまでの研究では、古代国家による土地支配がどのよう<br />な内実をもっており、またどのような過程を経て実行されたかについては必ずしも明らか<br />になっていない。これは、古代国家の成立期である8世紀初頭から中頃の土地把握、すな<br />わち土地の種類、所在、面積、所有および占有主体などの確認方法の理解に問題があった<br />ためである。<br /> これまで古代国家の土地把握に関する検討は、地表面に確認できる1町方格(約109m四<br />方)の土地割いわゆる条里地割が、7世紀中頃から8世紀中頃には全面的に施工されていた<br />と想定し進められてきた。しかし、近年の発掘調査の成果によって条里地割の多くが10<br />世紀から12世紀前後に施工されたとの知見がもたらされ、条里地割を基軸とする土地把握<br />の理解には再検討の必要が生じている。<br /> そこで本論文は、土地把握の新たな基軸として、古代国家が校班田に際して現地に設定<br />した測量の基準枠であり、かつ所在確認の座標軸でもある1町の方格網の存在を提示した。<br />そして、1町の方格網にもとづく校班田作業の実態や、その作業結果を記載した班田図を<br />もとにした土地把握体制の存在を明らかにし、その確立過程を検討することで、8世紀初<br />頭から中頃の古代国家による土地把握の展開を論じた。<br /> 第1章は8世紀中頃の古代国家による土地把握方法の具体像を示した。班田図自体は現<br />存していない。しかし、班田図記載の方格線と同じ性格である方格線を記載した古代荘園<br />図が多く現存している。古代荘園図である天平宝字3年(759)と天平神護2年(766)の東大<br />寺領越前国足羽郡糞置村開田地図を対象として、それらの現地比定を行い、班田図と現地<br />との対応関係を明らかにした。<br /> 糞置村図の現地比定にあたり注目したのは図に記載された絵画的表現である。絵画的表<br />現は、班田図には記載されていなかった表現であり、古代荘園図独自の表現であった。そ<br />こで、絵画的な山の表現と文字表現および方格線との関係をもとに図の現地比定を行い、<br />図記載の山の表現が方格線と対応し、現地における1町の方格網の設定状況を示していた<br />ことを明らかにした。とくに、天平神護2年図記載の山の表現と方格線は、天平宝字3年<br />図のそれに比べて厳密な対応関係を示していた。天平神護2年図は、年紀や署名順などか<br />ら、同年の校田作業と密接に関係し、国司が主体となって作成された図であった。同図に<br />おける両者の関係は、8世紀中頃に古代国家が実施した校班田作業の実態や班田図の作成<br />過程そのものであったと考えられる。以上の検討から、古代国家が、校班田時に現地に1<br />町の方格網を設定し、それらと現実の地物などとの対応関係を確認しながら調査を行い、<br />調査結果を班田図に記載して田を把握していたことを明らかにした。<br /> 第2章では、班田図にはない田以外の地目の情報を詳細に記載する古代荘園図の機能を<br />検討し、古代荘園図に田以外の地目がどのように表現されていたかを明らかにした。検討<br />に際しては古代荘園図の利用状況に注目した。古代荘園図の図作成時やその直後における<br />利用状況を示した史料は限定的である。本章では、天平勝宝8歳(756)作成東大寺領摂津職<br />島上郡水成瀬絵図の11世紀から12世紀の利用状況を分析し、その結果をふまえて、8世<br />紀中頃の関連史料をあらためて検討することで、作成時における同図の機能を示した。<br /> これまで古代荘園図は、班田図の機能と同じく、方格線や文字表現によって個別の地片<br />を対象として田を把握することが中心的な機能であるとされてきた。しかし、検討の結果、<br />水成瀬絵図は、田および田以外の地目を含む地を対象として、方格線や文字表現と絵画的<br />表現が一体となり、地の内容や面積、所在などを示す機能をはたしていたことが明らかに<br />なった。同図が対象とした地は、班田図が示す田とは異なる空間概念であり、史料上、田<br />と明確に区別されていた。8世紀中頃作成の古代荘園図には、「地」の文字を記載した図が<br />多く存在する。地を対象とし表記する機能は、古代荘園図全般にあてはまるものであると<br />考えられる。<br /> 第3章では、野の占定や墾田畠の開発によって成立した阿波国名方郡東大寺荘園を主な<br />事例として、8世紀中頃から9世紀中頃の古代国家による寺院荘園の認定手続きを検討し、<br />古代国家による田および地の位置づけを示した。<br /> 古代国家は校班田毎に作成・更新される班田図に、墾田畠に関する情報を直接記載し、<br />それらを認定し把握していた。一方で、東大寺が占定した野を含む地も、古代国家は、班<br />田図の記載対象内の地に関して、東大寺に班田図を基図ないしその存在を前提として、地<br />の範囲や面積などを記載した図や券文を作成・提出させ、図や券文に国印や国司の判行<br />を加えて送り返すことで認定していた。そして、図や券文の控えを国衙に保管することで把<br />握していた。また、8世紀中頃から9世紀中頃にかけては、東大寺の検注時などに班田図<br />を基図あるいはその存在を前提とした図や文書が作成・利用されていた。これらも古代国<br />家の班田図をもとにした土地把握との関わりをもつものであった。このような古代国家に<br />よる地の認定・把握は、国判や国印が加えられた図や券文の存在から、野の占定や墾田畠<br />の開発によって成立した荘園以外の荘園でも行われていたと考えることができる。<br /> 第4章では、8世紀初頭から中頃までの古代国家による土地把握の展開を明らかにする<br />ために、班田図の整備時期や班田図と土地表記との関係に焦点をあてて、8世紀中頃の古<br />代国家による土地把握体制の確立過程を検討した。<br /> 検討の結果、古代国家が、当初田や地を区別せず班田図をもとにした四至によって土地<br />表示を行い、天平14年(742)を契機として条里呼称によって田を表示し、その一方で引き<br />続き四至によって地の表示を行っていったことを明らかにした。古代国家は、こうした土<br />地把握体制を確立することで、成立当初の田の面積や田主のみの確認から、8世紀中頃ま<br />でに、田や地の面積確認に加えて所在、所有および占有主体の確認を含めた土地把握へ展<br />開していったことを明らかにした。<br /> 本論文で示した8世紀初頭から中頃の古代国家による土地把握の実態やその展開は、成<br />立期における古代国家の土地支配の内実を示していると考える。古代国家は、まずあらゆ<br />る地目すなわち地のなかから田を抽出し、それらの面積や田主の確認を行った。その後、<br />段階的に田や地の所在確認を含めた土地把握を展開し土地支配を深化していった。そして、<br />こうした土地支配の深化のもとに8世紀中頃以降の土地政策を実施していったと考える。 | |||||
所蔵 | ||||||
値 | 有 |