WEKO3
アイテム
上方和学研究
https://ir.soken.ac.jp/records/1648
https://ir.soken.ac.jp/records/16487d2a654f-c19b-4899-8294-339107a685a7
名前 / ファイル | ライセンス | アクション |
---|---|---|
要旨・審査要旨 (365.3 kB)
|
Item type | 学位論文 / Thesis or Dissertation(1) | |||||
---|---|---|---|---|---|---|
公開日 | 2011-01-14 | |||||
タイトル | ||||||
タイトル | 上方和学研究 | |||||
言語 | ||||||
言語 | jpn | |||||
資源タイプ | ||||||
資源タイプ識別子 | http://purl.org/coar/resource_type/c_46ec | |||||
資源タイプ | thesis | |||||
著者名 |
一戸, 渉
× 一戸, 渉 |
|||||
フリガナ |
イチノヘ, ワタル
× イチノヘ, ワタル |
|||||
著者 |
ICHINOHE, Wataru
× ICHINOHE, Wataru |
|||||
学位授与機関 | ||||||
学位授与機関名 | 総合研究大学院大学 | |||||
学位名 | ||||||
学位名 | 博士(文学) | |||||
学位記番号 | ||||||
内容記述タイプ | Other | |||||
内容記述 | 総研大甲第1311号 | |||||
研究科 | ||||||
値 | 文化科学研究科 | |||||
専攻 | ||||||
値 | 06 日本文学研究専攻 | |||||
学位授与年月日 | ||||||
学位授与年月日 | 2010-03-24 | |||||
学位授与年度 | ||||||
値 | 2009 | |||||
要旨 | ||||||
内容記述タイプ | Other | |||||
内容記述 | 本論文の言う和学とは、近世期に発生した日本の古き文物をめぐる学的考究と、それら<br />に基づいて行われた歌文・物語・書画の創作などの実践一般を指す、緩やかな概念である。<br />本論文は、そうした近世期における知的営為の一つたる和学を対象とし、十八世紀中葉か<br />ら十九世紀初頭の上方地域に焦点を当てて考究を試みたものである。その問題設定は、①<br />上方和学はいかなる展開を見せたか、②またそれを担ったのはいかなる人物か、③加えて<br />それはどのような機構によって成り立っていたか、という主として上記三点の解明である。<br /> 第一章「上方和学史への試み」では、当該時期における上方和学の史的展開を追った。<br />従来、上田秋成の友人としてのみ知られていた礪波(となみの)今道(いまみち)なる人物を<br />視座として、彼もその内に含まれる、明和から天明期に至る上方における加藤宇万伎(かと<br />ううまき)門下サークルの実態を解明した上で(第一節)、そうした上方における真淵学の<br />展開が、従来注目されていた秋成以外にも、荷田信郷(かだののぶさと)や龍草蘆、上記し<br />た旧宇万伎門下サークルなどの多様な人々によって担われていたことを論じ、更に秋成と<br />大坂書林による真淵書出版活動がこの時点では全国的にも先駆的なものであったことを指<br />摘した(第二節)。また、これら上方における県門末流の動向とは別に、上方における荷<br />田春満(かだのあずままろ)評価の変遷を、同族の後裔である荷田信郷による春満顕彰活動<br />を跡付けることを通じて解明し、それが当代雅壇における歌学者としての契沖評価の高揚<br />と相即したものであった可能性を指摘した(第三節)。以上、本章は、賀茂真淵、荷田春<br />満、契沖という今日「四大人」。「三哲」に数えられている和学者たちの業績を、当該時<br />期の上方雅壇がどのように受け止めてきたのかを明らかにしたものである。<br /> 第二章「上田秋成の和学」では当該時期の上方和学を牽引した一人である上田秋成の和<br />学上の業績のうち、これまで資料面の整備が大きく立ち後れている『土佐日記解』(加藤<br />宇万伎著・上田秋成補)を取り上げ、同書をめぐる諸問題を論じた。まず、現時点におい<br />て知り得た限りの約四十本に及ぶ諸本に基づいて、従来の池田亀鑑氏による分類上の問題<br />点を修正し、同書の成立と流布には、秋成の断続的な補訂作業と秋成門人の関与、また江<br />戸の和学者によるものと思しい誤解に基づく合成本文の発生や書肆による写本製作など、<br />様々な契機が絡み合っていることを解明した(第一節)。その上で、これまでに三本の自<br />筆本の存在が確認されている秋成本乙系統の土佐日記本文を精査し、僅か数年の間に行わ<br />れたと考えられるこれらの三本の浄書に当たって、秋成が全く異なった本文校訂を施して<br />いる事実を指摘した(第二節)。更に、『春雨物語』所収「海賊」をはじめとする秋成の<br />創作には、『土佐日記解』での注釈上の成果が随所に反映されていることを論じると共に、<br />秋成の土佐日記観には従来指摘されてきた作者貫之の「めめしさ」への批判意識に加え、<br />その「めめしさ」と相補的なものとしての「俳諧性」への注視が認められることを指摘し、<br />近世期の土佐日記注釈史上へと位置付けた(第三節)。以上、本章は研究史上に厖大な蓄<br />積が備わる『雨月物語』を始めとする物語作者としての秋成よりも、古典の考究・校勘に<br />勤しむ和学者としての彼の姿を照らし出すことを試み、そこから秋成における学問と文芸<br />との接点について考察することを目指したものである。<br /> 第三章「上方和学者研究」では、当該時期における上方和学の展開を担った荷田信郷、<br />池永秦良(いけながはたら)、越智魚臣(おちなおみ)、橋本(はしもと)経(つね)亮(すけ)、<br />礪波今道の五名の人物に焦点を定め、彼らの辿った軌跡を追いつつ、それぞれが当代文壇<br />内に占めていた位置について検討を行った。第一章第二節でも取り上げた伏見稲荷祠官の<br />荷田信郷は、詩歌を通じて当代の文人諸家と幅広い交渉を持った人物であった。そこで、<br />彼の伝記及び著述活動を跡付けつつ、従来未紹介の東丸神社所蔵資料に基づき、幽蘭社や<br />松蘿館社といった京洛詩社や大坂の文人諸家にまで及ぶ彼の広範な交友圏を明らかにし、<br />更に彼の別集『間斎漫吟』の出版経緯を紹介した(第一節)。加えて、東丸神社に所蔵さ<br />れる信郷時代の漢詩詠草群の位置を見定めるべく、当該資料群に名の見える文人諸家の略<br />伝を一覧化した(第一節付論)。池永秦良は従来秋成門下の一人として知られていた人物<br />であるが、これまで研究が備わらない彼の書肆としての活動を大坂本屋仲間の諸記録によ<br />って跡付け、秦良とほぼ同時期に書肆として活動を始めていた奈良屋長兵衛と彼との関係<br />の近しさを指摘しつつ、奈良屋、秦良、秋成の二者が携わった『万葉集見安補正』の出版<br />企画の変遷を解明した(第二節)。加えて、秦良による秋成和歌の筆録からの転写本であ<br />る東丸神社蔵『聴雨編』という新出資料を紹介し、また同書に付された羽倉信寿による奥<br />書の検討から、秋成を春満の学統を継承する存在と見做す認識が、当時の羽倉家一族にお<br />いて浸透していた事実を指摘した(第二節付論)。越智魚臣もまた、秋成門下の一人とし<br />て従来知られている人物であるが、彼の筆写・書入資料の網羅的検討を通じて、彼の和学<br />摂取が秋成のみならず多様な人脈を介して行われていた事実を指摘した。更に魚臣、林鮒<br />主、橋本経亮ら京の秋成門下が、宣長及びその門下と多くの接点を有していたことを指摘<br />し、それが秋成が晩年まで継続していた宣長批判へと与えた影響について論じた(第三節)。<br />梅宮社祀官にして有職家、和学者であった橋本経亮は、生涯を通じて収集した「香果遺珍」<br />と呼ばれる古文書・古書画・古物・古書の一大コレクションを遺している。そこで当該資<br />料群に関する新出の目録資料を紹介しつつ、その形成過程をめぐって、藤貞幹や秋成らと<br />共に彼が行っていた東寺百合文書及び法隆寺宝物の調査活動、また江戸出府時の田安徳川<br />家周辺との接点に着目して、検討を加えた(第四節)。礪波今道については第一章第一節<br />でも取り上げたが、文人にして漆工家でもあった彼の詳細な伝記を年譜の形で整理した。<br />まず彼の郷里である越中高岡に伝わる諸資料に基づいて彼の出生や幼少期などを解明し、<br />また彼による京都及び郷里高岡での俳諧・漢詩・和歌・古典注釈・韻学と極めて多岐に渡<br />る諸活動を跡付け、越中地方に彼の作として伝わる漆芸作品を網羅的に整理することで、<br />彼の存在を近世中後期の学芸史及び工芸史上に位置付けた(第五節)。本章では、上記し<br />た五名の個別的検討を切り口にしながら、その学芸史上の位置を見定めることを試みてお<br />り、その意味では第一章の上方和学に関する史的アプローチと相補的な関係にある。<br />資料編では、第二章第四節で論じた橋本経亮による収集活動が持っていた広がりを俯瞰す<br />るべく、彼によるコレクションの目録である架蔵『香果遺珍目録』の影印と翻刻を掲げた。 | |||||
所蔵 | ||||||
値 | 有 |