WEKO3
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先住民学習の理論と実践 -ポストコロニアル人類学の活用-
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名前 / ファイル | ライセンス | アクション |
---|---|---|
![]() |
Item type | 学位論文 / Thesis or Dissertation(1) | |||||
---|---|---|---|---|---|---|
公開日 | 2011-06-02 | |||||
タイトル | ||||||
タイトル | 先住民学習の理論と実践 -ポストコロニアル人類学の活用- | |||||
言語 | ||||||
言語 | jpn | |||||
資源タイプ | ||||||
資源タイプ識別子 | http://purl.org/coar/resource_type/c_46ec | |||||
資源タイプ | thesis | |||||
著者名 |
中山, 京子
× 中山, 京子 |
|||||
フリガナ |
ナカヤマ, キョウコ
× ナカヤマ, キョウコ |
|||||
著者 |
NAKAYAMA, Kyoko
× NAKAYAMA, Kyoko |
|||||
学位授与機関 | ||||||
学位授与機関名 | 総合研究大学院大学 | |||||
学位名 | ||||||
学位名 | 博士(学術) | |||||
学位記番号 | ||||||
内容記述タイプ | Other | |||||
内容記述 | 総研大乙第204号 | |||||
研究科 | ||||||
値 | 文化科学研究科 | |||||
専攻 | ||||||
値 | 02 比較文化学専攻 | |||||
学位授与年月日 | ||||||
学位授与年月日 | 2010-09-30 | |||||
学位授与年度 | ||||||
2010 | ||||||
要旨 | ||||||
内容記述タイプ | Other | |||||
内容記述 | 本研究は、子どもたちの先住民に関する認識とその問題点を明らかにし、ポストコロ<br />ニアルの視点から内外の博物館と学校における先住民学習を検討し、ポストコロニアル<br />の視点にたった先住民学習の必要性と、教育における文化人類学の活用の意義を述べる<br />ことを目的とする。<br /> 多くの日本の子どもたちはメディアや世の中に流布している言説に影響され、先住民<br />について「未開」「原始的」といったステレオタイプなイメージをもっている。そこには、<br />コロニアリズムの見方が反映され、すでにアメリカで指摘されている先住民に対するス<br />テレオタイプで本質主義的な認識の問題点とも一致している。この課題を克服するため<br />には、学校教育や先住民に関する展示や研究を行っている博物館において、子どもの認<br />識改善にむけた教育活動が必要である。その際、単に先住民について学習する機会を増<br />やすのではなく、ポストコロニアルの視点にたった先住民学習を展開しなければ、コロ<br />ニアルな見方を脱した認識を育てることはできないだろう。<br /> 先住民研究を担いポストコロニアルの議論を展開してきた文化人類学から、教育学は<br />多くのことを学ぶことができる。これまで文化人類学と教育学が接近し、教育人類学の<br />研究が活発化したり、参与観察といった文化人類学の手法を導入して教育活動を分析し<br />たり、フィールドワークを子どもたちの学習活動に活用したりすることなど、一定の成<br />果はみられた。しかし、文化人類学において、民族誌をどのように描くかをめぐって、<br />ポストコロニアルの議論が思考の枠組みのパラダイム変換を求めてきたにもかかわらず、<br />教育学では文化人類学の手法ばかりを学び、思考の枠組みや議論を学んで教育実践研究<br />に反映させる努力を怠ってきた。また、特に日本の文化人類学が教育研究にポストコロ<br />ニアル議論をつきつけることもなかった。先進諸国にくらす人々の生活は、歴史的に諸<br />外国の先住民の土地や生活、文化の収奪の上に成り立ってきた側面がある。それゆえ、<br />文化人類学の研究成果や議論に学びながら教育において、子どもたちの認識を改善する<br />ような先住民学習を展開する必要がある。しかしながら、これまで日本においては文化<br />人類学者も教育学者も子どもたちの先住民認識を問うこともなく、教師たちが人権教育<br />や地域文化学習として北海道を中心にアイヌ学習を細々と行う程度であった。<br /> 本論文は、まず、序論において文化人類学と教育研究の接近の経緯、ならびにポスト<br />コロニアル論と文化人類学における先住民研究についてレビューし、現在の先住民学習<br />の課題とポストコロニアルの視点にたった先住民学習を展開するにあたって必要な研究<br />視点を導き出した。そして、従来の先住民学習とポストコロニアル人類学の視点を活か<br />した先住民学習の相違を示した。<br /> 第1章では、先住民学習の先行研究として日本、アメリカ、カナダの事例をあげた。<br />それぞれの事例には特色や課題があるが、アメリカやカナダではポストコロニアルの理<br />論が、地域の課題として教育実践に反映され始めていることがわかる。第2章では、日<br />本の子どもたちのアメリカ先住民を中心にした先住民認識を明らかにし、アメリカで指<br />摘されているステレオタイプと一致することを示した。そしてステレオタイプの修正を<br />はかるアメリカの教育活動の実践的取り組みを検討した。<br /> 第3章と第4章では、子どもたちの認識の育成を担う博物館での教育活動に注目し、<br />ライデン国立民族学博物館と国立アメリカン・インディアン博物館で行われている教育<br />活動と、学校と連携して行われている先住民学習についての事例をとりあげた。ライデ<br />ン国立民族学博物館では、特別展「インカ帝国展」において「タンタン」というキャラ<br />クターを展示に導入し教育プログラムを展開したが、それはかえってコロニアルの視点<br />を強化する結果となっていることを指摘した。またキャラクター「タンタン」は日本で<br />も子どもや若者世代に広く知られ、日本の子どもたちへの影響についても言及した。ア<br />メリカ先住民自身の声が反映されている国立アメリカン・インディアン博物館での学校<br />プログラムの事例では、実際に行われているプログラムの活動場面から、先住民ではな<br />い子どもがポストコロニアルな視点にたって先住民について学ぶことの意義を提示した。<br /> 第5章では、アメリカの学校教育において、コロニアリズムの原点とも言えるコロン<br />ブスがどのように扱われているか、ナショナル・スタンダードや実践事例をあげ、複数<br />の視点からコロンブス到着500年をめぐる表現について考えさせる授業実践が行われて<br />いることを示した。<br /> 第6章と第7章では、ポストコロニアルの視点にたった先住民学習に学び、日本の子<br />どもたちを対象にした先住民学習を構想・実践しながら、その可能性と課題を検証した。<br />先住民との交流や現在の生活の様子を知ることを通して、日本の子どもたちも低学年段<br />階から自らの本質主義的な先住民認識に関するメタ思考ができること、また構築主義的<br />な見方を求める思考の育成が可能なことを示した。<br /> 第8章と第9章では、日本の植民地支配の歴史や観光産業の発展による経済的関係の<br />深化にもかかわらず、日本の教育ではほとんど触れられないハワイ、グアムなどの「南<br />の島」に焦点をあて、ポストコロニアルの視点にたった先住民学習のこれからの可能性<br />を探った。第8章では、「南の楽園」沖縄やハワイに押し付けられた負荷を考察した上で、<br />沖縄とハワイに共通する植物パンダナスを取り上げ、文化人類学者から学びながら先住<br />の人々の文化を国家の枠組を越えて思考する教材としての可能性を検討した。そして国<br />立民族学博物館特別展「オセアニア大航海展-ヴァカ モアナ、海の人類大移動-」と連<br />動したワークショップや教員研修会などの実践活動を記述した。第9章では、現在年間<br />約90万人近くの観光客が訪れるグアムをとりあげ、スペイン、アメリカ、日本、戦後ア<br />メリカのコロニアリズムによって生じた文化衰退と、現在の先住民チャモロのアイデン<br />ティティ維持の教育的取り組みを報告し、そこから日本の先住民学習として学ぶべき視<br />点を抽出した。<br /> 先住民学習は、先住民児童生徒のために用意された学習ではなく、すべての児童生徒の<br />ための学習である。本論で主張しているポストコロニアルの視点にたった先住民学習とは、<br />植民地主義時代の後においてさえなお続く支配者による言説や見方に対する批判的視点や、<br />その視点をもとに反省的思考をもって先住民に関して学ぶことを意味する。ポストコロニ<br />アル人類学に対しては、文化を語ることは本質主義的であると烙印を押し議論を封じ込め<br />てしまう傾向があるという批判が起こり、議論が続いているが、教育学ではそういった議<br />論に学ぶこともなく未だに先住民に関する一方的な見方による教材が示されている。だか<br />らこそ、教育研究の分野においてはポストコロニアルの視点にたった先住民学習を展開し、<br />ポストコロニアル人類学の議論や文化人類学の研究成果を活用することが課題であり、他<br />方では文化人類学者による教育研究への積極的な関与が求められている。 | |||||
所蔵 | ||||||
値 | 有 |