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タイ・マッサージの歴史的正当性を裏づける史料として一般に用いられているのは、17世紀後半から20世紀初頭までの間に残されたとされる、宮廷医達のテキストや外国人による記録である。この時期はタイで西洋の影響が顕著になった時期でもあり、まさに国民国家形成及び西洋近代医療の導入とともに「タイの伝統医療」なるものが形成されてきたといえよう。しかし西洋近代医療の影響力が強まっていく中で、伝統医療は次第に制度的に周辺的な位置に押しやられていく。そして1960年代以降、タイにおいて性産業および観光産業が発達する中で、タイ・マッサージは売春の隠れ蓑、あるいは観光アイテムとして昨日する側面を持つようになる。他方、70年代半ば以降、国内の医療従事者を中心として伝統医療復興運動が全国的に展開し、その中で、副作用があり高額な近代薬の代替療法として、生薬およびタイ・マッサージの役割カベ再評価されるようになる。また、90年代からはタイ政府が「タイ式医療」という新たな医療システムを制度化し始める。その際、宮廷医達を中心として編纂されたテキストが歴史的権威となり、それが近代医学的観点から検証され、体系化され、基準が作られている。\n 以上のような国家レベルでの背景を抑えた上で、第3~5章では北部の中心都市チェンマイの伝統式病院におけるタイ・マッサージについて記述した。当初、周辺地域の土着の治療法を多く取り入れて治療活動をおこなっていたこの病院では、チェンマイで近代病院が増加するに従い、生き残りのための戦略としてタイ・マッサージを採用した。この病院で働くマッサージ師たちは、賃労働者としての側面を持ちつつも、専門的職能者として自らを規定し、観光産業などのマッサージ師たちとの差異を強調する。一方、クライアントには「健康」志向の都市中間層や外国人観光客が多く、彼らは近代医療の限界を指摘しつつ、医療専門職によってある程度管理・統制されたものを望んでここに来ている。この病院では、近代医療や農村における治療、観光産業などとつながりを持った形で「治療」活動が行われる一方で、それぞれとの差異が強調されることにより、タイ・マッサージが複数の領域で機能しているからこそ強調される差異であるといえる。 伝統式病院の教育・普及活動において、タイ・マッサージの正当性はより顕著な形で再生産される。マッサージ習得コースの生徒には、「東洋」志向の強い欧米人や外国志向の強いタイ人が多く、彼・彼女らはともに「何かタイ的なもの」を身につけたくてここにマッサージを習いに来ている。それらの人々の要望に応えるために、習得コースでは近代学校教育的な形式を採用しており、それによって教えられる知識は画一化され、授業で習うことが「正しいやり方」とされる。また、この伝統式病院は国の中央で構築された「伝統」に則り、タイ式医学の祖を頂点ヘとした「師」の権威を再生産している。それはかつてこの病院の活動に加わっていたチェンマイ近郊の治療師達の実践様式もとりこんで、ここ独自の形式となっている。さらに、外部向けのマッサージ研修および農村での奉仕活動を通じて、伝統式病院の外部に広くタイ・マッサージの正当性が普及される。\n 一方、治療の場面では、教科書のやり方ではなく、クライアントからの評価を得られるかどうかの方が重要となり、マッサージ師の経験的な知識の方に権威が付与される。そして、マッサージ師の個性を反映した独特なやり方が生み出されていく。マッサージ師達が紡ぎ出す実践は、国家レベルで構築されている正当性からずれた形で、多様な「タイ・マッサージ」を再生産しているといえる。\n こうして主に都市中間層の間で権威を確立しつつあるタイ式医療、タイ・マッサージは、プライマリー・ヘルス・ケアの中に位置づけられようとしており、全国各地に普及されている。第6・7章では、その影響を顕著に受けている、チェンマイ県メーヂェーム郡Y村におけるマッサージについて記述した。日常生活において、村人どうしで行われるマッサージ(ビープ・セン)は、タイ・マッサージとは技法が異なるのみならず、病因論の中での位置づけやそれが行われる社会的文脈が異なっている。村人たちは呪術など複数の治療法の間で注意深く試行錯誤を繰り返しながら痛みの原因を解釈し、その中で「エン」の異常によって痛みが引き起こされていると判断された場合にマッサージによる治療を選択する。また、村人同士のマッサージは、村における社会関係の文脈の中に埋め込まれている。そして産婆など村のマッサージ治療者は、その技能を認められているだけではなく、社会的にも敬意を表すべき年長者として位置づけられている。\n 最近まで開発の波にさらされてこなかったとされるメーヂェーム郡、特にY村では、医療従事者や研究者、NGO等によって「土着の知恵」を開発に活かしていこうとするプロジェクトが行われている。その一環として郡立病院で行われたタイ・マッサージの研修は、それに参加した村の年配女性に対する技法の普及という面では、ほとんど効果を持たなかった他方、この研修を受けた若い男性治療師は、その後病院で働くようになり、自らの慣習的行為に新たな意味・意義を付与するようになる。また、上記のプロジェクトの一環で、Y村には「民間医療センター」なるものが作られ、それは医師や保健職員が村の治療者の実践様式を近代化させる活動の拠点となっている。そこは医療サービス、観光サービスとしてマッサージが行われ、タイ・マッサージの正当性が再生産される場でもある。しかし、そこで村人たちが行うマッサージは村の病因論や身体技法などに引き寄せられ、中央で構築されているタイ・マッサージとははずれたものとなっている。\n 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タイ式医療の構築とタイ・マッサージ -社会的文脈による権威的知識の多様性-
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名前 / ファイル | ライセンス | アクション |
---|---|---|
![]() |
Item type | 学位論文 / Thesis or Dissertation(1) | |||||
---|---|---|---|---|---|---|
公開日 | 2010-02-22 | |||||
タイトル | ||||||
タイトル | タイ式医療の構築とタイ・マッサージ -社会的文脈による権威的知識の多様性- | |||||
言語 | ||||||
言語 | jpn | |||||
資源タイプ | ||||||
資源タイプ識別子 | http://purl.org/coar/resource_type/c_46ec | |||||
資源タイプ | thesis | |||||
著者名 |
飯田, 淳子
× 飯田, 淳子 |
|||||
フリガナ |
イイダ, ジュンコ
× イイダ, ジュンコ |
|||||
著者 |
IIDA, Junko
× IIDA, Junko |
|||||
学位授与機関 | ||||||
学位授与機関名 | 総合研究大学院大学 | |||||
学位名 | ||||||
学位名 | 博士(文学) | |||||
学位記番号 | ||||||
内容記述タイプ | Other | |||||
内容記述 | 総研大甲第642号 | |||||
研究科 | ||||||
値 | 文化科学研究科 | |||||
専攻 | ||||||
値 | 01 地域文化学専攻 | |||||
学位授与年月日 | ||||||
学位授与年月日 | 2003-03-24 | |||||
学位授与年度 | ||||||
2002 | ||||||
要旨 | ||||||
内容記述タイプ | Other | |||||
内容記述 | 本論文では、医療システムを所与の実態とするのではなく、社会的に構築されるものとする視点に基づき、タイ・マッサージに関する権威や正当性が、国家レベルとローカル・レベルの様々な場面において、いかなる場面において、いかなる形で構築されているかを明らかにした。 タイ・マッサージの歴史的正当性を裏づける史料として一般に用いられているのは、17世紀後半から20世紀初頭までの間に残されたとされる、宮廷医達のテキストや外国人による記録である。この時期はタイで西洋の影響が顕著になった時期でもあり、まさに国民国家形成及び西洋近代医療の導入とともに「タイの伝統医療」なるものが形成されてきたといえよう。しかし西洋近代医療の影響力が強まっていく中で、伝統医療は次第に制度的に周辺的な位置に押しやられていく。そして1960年代以降、タイにおいて性産業および観光産業が発達する中で、タイ・マッサージは売春の隠れ蓑、あるいは観光アイテムとして昨日する側面を持つようになる。他方、70年代半ば以降、国内の医療従事者を中心として伝統医療復興運動が全国的に展開し、その中で、副作用があり高額な近代薬の代替療法として、生薬およびタイ・マッサージの役割カベ再評価されるようになる。また、90年代からはタイ政府が「タイ式医療」という新たな医療システムを制度化し始める。その際、宮廷医達を中心として編纂されたテキストが歴史的権威となり、それが近代医学的観点から検証され、体系化され、基準が作られている。 以上のような国家レベルでの背景を抑えた上で、第3~5章では北部の中心都市チェンマイの伝統式病院におけるタイ・マッサージについて記述した。当初、周辺地域の土着の治療法を多く取り入れて治療活動をおこなっていたこの病院では、チェンマイで近代病院が増加するに従い、生き残りのための戦略としてタイ・マッサージを採用した。この病院で働くマッサージ師たちは、賃労働者としての側面を持ちつつも、専門的職能者として自らを規定し、観光産業などのマッサージ師たちとの差異を強調する。一方、クライアントには「健康」志向の都市中間層や外国人観光客が多く、彼らは近代医療の限界を指摘しつつ、医療専門職によってある程度管理・統制されたものを望んでここに来ている。この病院では、近代医療や農村における治療、観光産業などとつながりを持った形で「治療」活動が行われる一方で、それぞれとの差異が強調されることにより、タイ・マッサージが複数の領域で機能しているからこそ強調される差異であるといえる。 伝統式病院の教育・普及活動において、タイ・マッサージの正当性はより顕著な形で再生産される。マッサージ習得コースの生徒には、「東洋」志向の強い欧米人や外国志向の強いタイ人が多く、彼・彼女らはともに「何かタイ的なもの」を身につけたくてここにマッサージを習いに来ている。それらの人々の要望に応えるために、習得コースでは近代学校教育的な形式を採用しており、それによって教えられる知識は画一化され、授業で習うことが「正しいやり方」とされる。また、この伝統式病院は国の中央で構築された「伝統」に則り、タイ式医学の祖を頂点ヘとした「師」の権威を再生産している。それはかつてこの病院の活動に加わっていたチェンマイ近郊の治療師達の実践様式もとりこんで、ここ独自の形式となっている。さらに、外部向けのマッサージ研修および農村での奉仕活動を通じて、伝統式病院の外部に広くタイ・マッサージの正当性が普及される。 一方、治療の場面では、教科書のやり方ではなく、クライアントからの評価を得られるかどうかの方が重要となり、マッサージ師の経験的な知識の方に権威が付与される。そして、マッサージ師の個性を反映した独特なやり方が生み出されていく。マッサージ師達が紡ぎ出す実践は、国家レベルで構築されている正当性からずれた形で、多様な「タイ・マッサージ」を再生産しているといえる。 こうして主に都市中間層の間で権威を確立しつつあるタイ式医療、タイ・マッサージは、プライマリー・ヘルス・ケアの中に位置づけられようとしており、全国各地に普及されている。第6・7章では、その影響を顕著に受けている、チェンマイ県メーヂェーム郡Y村におけるマッサージについて記述した。日常生活において、村人どうしで行われるマッサージ(ビープ・セン)は、タイ・マッサージとは技法が異なるのみならず、病因論の中での位置づけやそれが行われる社会的文脈が異なっている。村人たちは呪術など複数の治療法の間で注意深く試行錯誤を繰り返しながら痛みの原因を解釈し、その中で「エン」の異常によって痛みが引き起こされていると判断された場合にマッサージによる治療を選択する。また、村人同士のマッサージは、村における社会関係の文脈の中に埋め込まれている。そして産婆など村のマッサージ治療者は、その技能を認められているだけではなく、社会的にも敬意を表すべき年長者として位置づけられている。 最近まで開発の波にさらされてこなかったとされるメーヂェーム郡、特にY村では、医療従事者や研究者、NGO等によって「土着の知恵」を開発に活かしていこうとするプロジェクトが行われている。その一環として郡立病院で行われたタイ・マッサージの研修は、それに参加した村の年配女性に対する技法の普及という面では、ほとんど効果を持たなかった他方、この研修を受けた若い男性治療師は、その後病院で働くようになり、自らの慣習的行為に新たな意味・意義を付与するようになる。また、上記のプロジェクトの一環で、Y村には「民間医療センター」なるものが作られ、それは医師や保健職員が村の治療者の実践様式を近代化させる活動の拠点となっている。そこは医療サービス、観光サービスとしてマッサージが行われ、タイ・マッサージの正当性が再生産される場でもある。しかし、そこで村人たちが行うマッサージは村の病因論や身体技法などに引き寄せられ、中央で構築されているタイ・マッサージとははずれたものとなっている。 国家レベルにおけるタイ式医療とタイ・マッサージの構築は、国民国家統合や医療化という大きな流れの中に位置づけることもできる。しかしローカルな実践の場において、人々はそのような権力作用にさらされつつも、それに一方的に従属するのではなく、国家レベルで構築されている権威とは違った形の、それぞれの社会的文脈に即した権威を生み出しているのである。本論文は、このような医療システムの生成を多面的に重層的に論じたものである。 |
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所蔵 | ||||||
値 | 有 |