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  1. 020 学位論文
  2. 文化科学研究科
  3. 03 国際日本研究専攻

富岡鉄斎の画風についての思想的、藝術的考察 -鉄斎画の賛文研究を通じて-

https://ir.soken.ac.jp/records/87
https://ir.soken.ac.jp/records/87
e41d753e-2c07-4e79-854d-01dfcbe85a6e
名前 / ファイル ライセンス アクション
甲499_要旨.pdf 要旨・審査要旨 / Abstract, Screening Result (444.3 kB)
Item type 学位論文 / Thesis or Dissertation(1)
公開日 2010-02-22
タイトル
タイトル 富岡鉄斎の画風についての思想的、藝術的考察 -鉄斎画の賛文研究を通じて-
言語
言語 jpn
資源タイプ
資源タイプ識別子 http://purl.org/coar/resource_type/c_46ec
資源タイプ thesis
著者名 戦, 暁梅

× 戦, 暁梅

戦, 暁梅

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フリガナ セン, ギョウバイ

× セン, ギョウバイ

セン, ギョウバイ

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著者 ZHAN, Xiao-Mei

× ZHAN, Xiao-Mei

en ZHAN, Xiao-Mei

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学位授与機関
学位授与機関名 総合研究大学院大学
学位名
学位名 博士(文学)
学位記番号
内容記述タイプ Other
内容記述 総研大甲第499号
研究科
値 文化科学研究科
専攻
値 03 国際日本研究専攻
学位授与年月日
学位授与年月日 2001-03-23
学位授与年度
値 2000
要旨
内容記述タイプ Other
内容記述 本論文は、19世紀末から20世紀初頭、日本と中国を含む東アジアの諸国が西洋文明の衝撃を受けるなか、全く東洋的な教養から出発した日本の近代文人画家富岡鐵斎(1837~1924)が当時の西洋においても時代の先端にたつような表現的な、個性に溢れる独特な画風を作り上げたことに焦点を当てることにする。<br /> 富岡鐵斎のこのような東洋的教養をベースにした独特な画風は、当時西洋文化の取り入れに焦る日本の美術界及び日中文芸の諸分野に東洋文化の優越性を表明するメッセージを送ると同時に、我々に絵画の受容及び発展の過程に於ける東洋と西洋の問題を考える際にも大きなヒントを与えることにも多大な意味を持っている。一方、富岡鐵斎は画家として非常に特別な存在であり、それは人から画家と呼ばれることを嫌い、自らを学者だと自任していたこと、また絵の教訓性が強いこと、そして「わしの画を見るなら、先ず賛を読んでくれ」と強く主張し続けたこと、これらのことは鐵斎の思想性と藝術観を探ることの重要性を示している。従って、本論文は鐵斎が言われた通り、今までの研究で殆ど見落とされている、鐵斎の賛文研究を通じて、この独特な画風の背後に潜んでいる鐵斎の思想的要因及び藝術上の追求を明らかにすることを主な目的とする。<br /> 本論文は鐵斎に関する研究資料のなかの、最も基本的な資料として、二千点以上にわたって鐵斎作品の賛文解読を行われた『鐵斎研究』を取り上げ、『鐵斎研究』第一号から第七十一号までに解読されたすべての鐵斎の作品を完読した上、本論文の問題意識と関連して賛文から反映される鐵斎の思想、人生観、芸術観の三つの大きな枠に分けて、賛文から読みとれる具体的な内容を賛文のキーワードとしてピックアップし、これに基づいて論述を展開した。<br /> 鐵斎の思想性に関して、鐵斎が自らを儒学者と自任したことと、広く神・道・佛も渉猟したことで、今までの論述では殆どが儒学を中心とした「三教会一」的な特徴をもつように論じられたが、鐵斎の晩年に陽明学を信じたという語録があることと、鐵斎の独特な画風に陽明学の影響が多大であるという指摘があることから、本論文は基本的にこの観点から出発し、鐵斎の思想について第一章と第二章で検討することにした。第一章においては、陽明学の特徴およびその文芸への影響、日本の陽明学の流れと鐵斎と陽明学の関わりを検討し、第二章においてはまず第一節で、従来論じられた鐵斎の「三教合一」的な思想を巡って、画題と賛文の交錯を通じてその「三教合一」の実像を窺うことにした。そんな交錯のなか、次第に陽明学の「心」を重視する理論の現れが強くなる傾向が見られる。更に第二節ではこの傾向を具体的に「三教合一」思想の象徴的画題である「三老吸酢図」から窺うことにし、鐵斎の四十代、五十代、八十代の「三老吸酢図」三作を挙げ、賛文内容の変遷および画風の変化から、鐵斎の「三教合一」観が次第に薄れていき、八十代になると、画風が自由奔放に変わっていくのに歩調を合わせて、完全に「三教合一」の枠から脱却し、陽明学的な内容に変わっていったことを明らかにした。<br /> 鐵斎の思想性を理解するだめの大きなキーポイントとして、本論文の第三章において主に鐵斎の人生観を取り上げて論ずることにする。なかでも鐵斎の絵画生涯の八割を占める鐵斎の隠逸生活に関する作品が圧倒的に多いことと、鐵斎が生涯にわたって敬慕し、多く画題に取り入れた蘇東坡に関する作品の多いことが極めて目立つことから、「鐵斎の隠逸観」と「鐵斎の蘇東坡観」の二つの部分を通じて論じることにした。鐵斎の隠逸観は最初から志を実現できない時にとる第二義的な選択という儒家思想の隠逸観に深く基づいたものであったにもかかわらず、晩年になるにつれて、その意味あいが次第に薄れてしまい、特に七十代後半から鐵斎の最晩年の八十代後半になると、「心が欲するままに従う」という自由自在な生活様式になったことが分かる。一方、晩年になるにつれて鐵斎の隠逸観は論理的な考え方より次第に直観的な感覚へと変わったことが分かる。こうした隠逸観の特徴に陽明学的な性格があり、特に「心即理」という心の尊重、さらには直観的という性格が潜んでおり、また隠逸観の成熟は鐵斎晩年の独特な画風の成熟と同歩的であることがら、鐵斎晩年の独特な画風は隠逸観に現れるこのような陽明学的な特徴と深く結び付かれていることが分がる。猶、「鐵斎の蘇東波観」の部分で、蘇東坡関係の作品の中から代表的な三つの画題を取り上げ、その賛文内容と絵の係わり方を通じて、鐵斎には蘇東坡の逸話或いは詩文を忠実に再現する一面があると同時に、自分の理想に合った蘇東坡像を再創造するという一面も存在していることが分かる。このような古典を尊重しつつその中に自分の気質にあった理想を見出すという手法は、鐵斎が個性豊かな画風を作り上げるうえにおいて大きなポイントであったように思われる。<br /> 晩年鐵斎の画風に潜んでいる絵画観については、本論文の第四章で検討をしてみた。鐵斎の数少ない両論の内容と違って、賛文がらもう一つの絵画観が浮かび上がってくることが分かる。この絵画観は主に二つの面にまとめることができる。一つは晩年になるにつれて画風においての「痴・奇・拙・醜」即ち「馬鹿げた変なところ・怪奇の趣・愚鈍・醜さ」への追求であり、それは伝統文人画の表現から離れて異端的な存在であった。伝統からの超越は「痴・奇・拙・醜」の画風において同時に表現主義的で、さらに印象的な特徴も見ることができる。このような特徴の背後にある絵画観に於ける「心]への重視は、その最も大きな源として考えられる。鐵斎が絵画観において取り上げる「心」の概念は豊富な想像から自由自在な発揮へと変わり、そして八十代になってはっきりと陽明学の一つの命題である「心の塵埃を掃う」に帰結するという意味あいの変化を経たことがゎがる。鐵斎の賛文がら浮かび上がる絵画観のもう一つの側面は、晩年鐵斎画のユーモアを築き上げる最も大きな要因である「遊び心」である。その主な現れとしては文字と絵の遊び方、神の扱い方、雨中と画外とを交響させる手法などが挙げられる。これによって、文字と絵の境界線、「神」と「我」の境界線及び絵そのものと観衆の間の境界線をなくすことが出来た。このようなあらゆる境界線をなくすほどの遊び心は、鐵斎の最晩年「従心所欲」の陽明学的性格特徴の現れであると思われ、この遊び心の強さは、単なる鐵斎画のユーモアを引き出しただけではなく、鐵斎画の表現空間を大きく拡大させたことで、晩年鐵斎画のスケールの大きさや強い個性と気迫にまで影響を与えていることが言えるであろう。<br /> 各章の論証を通じて、終章では、鐵斎の独特な画風の思想的、芸術的源泉及びそれの文化史に於ける意味について検討を試みた。その内容は次の通りである。即ち鐵斎の晩年画風の背後に最も大きな思想的働きをしたのは陽明学の「心即理」という基本命題から由来する自我の直観の肯定、個性の重視、およびそこからさらに発展した「狂」「癖」といった異端の容認である。これらの内容は晩年の鐵斎藝術の自由奔放、ユーモア、規則からの解脱といった特徴と強く結びついていることは明らかである。このことは広く世界文化史の角度から考えると、非常に意味深いことである。それは十八世紀以来西洋文明が世界を支配するようになり、近代化を余儀なくされたアジアの国々が、西洋に目を向けるようになる過程のなかで、それぞれの在来文化と歴史を無視する性急な論が多かったが、鐵斎は全く東洋的な陽明学的な発想に基づいて時代の先端にたつような画風を作り上げ、東アジアの文化発展の過程において、伝統の東洋文化の内に、時代発展の要求に応じる文化的な種が充分備わっていたことを実証した。このことはまた二十世紀の文化発展を回顧する時に再考すべき問題であると同時に、次の二十一世紀の文化発展を構想する場合、大きな示唆として考えるべき問題でもあろう。
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Ver.1 2023-06-20 15:01:13.777082
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