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日本に映画が伝来して以来、大量のチャンバラ映画が製作されてきた。そして多くの観客を魅了してきた。チャンバラ映画の醍醐味はもちろん「殺陣」にある。人々は映画の中で繰り広げられる人間同士の戦いのうちに、身体運用の美しさと、タナトスとエロスがもたらす情念を感じ取っていたのではなかろうか。しかし、チャンバラ映画の「殺陣」について研究されたものがほとんどない。多くの日本映画論や時代劇映画論、日本映画史や個々の作品研究の中に組み込まれた形で、軽く触れられているに過ぎない。物語とは関係ないところで「殺陣」という言葉が使用されており、また「殺陣」を構成する「殺陣師」という専門職まである。このように「殺陣」はチャンバラ映画に欠かすことの出来ない要素であり、その役割を看過することは出来ないと思われる。これまでの映画研究を鳥瞰してみれば、そのほとんどが巨匠の作品であり、批評家の評価が高い作品に集中していると言える。しかし、多くの観客を動員し、魅了し、観客の欲望を反映させていたのはプログラム・ピクチャアであったのではなかろうか。研究対象として大量生産されたこれらの映画群にスポットをあてたいと考える。\u003cbr /\u003e 本論考では、チャンバラ映画の「殺陣」に研究対象を限定している。なぜなら、舞台でくりひろげられる「殺陣」は、その場一回限りのものであり、同じ事が二度と繰り返されることはないからである。それに比べて映画は、監督が了承し、フィルムに焼き付けられ、固定され、何度でも同じ「殺陣」を見ることが出来るからである。また、身体運用の文化史的意義を考えたとき、映像によって身体運用の変遷を辿ることができるのも映画においてだけである。\u003cbr /\u003e 本論では、従来の文献資料及び映像資料の精査と、殺陣師をはじめとする映画関係者にインタビューを行うことによって、映画を見る側の言説と製作現場の言説とをあわせて、「殺陣」とは何かを考究していきたい。\u003cbr /\u003e 本論考の構成についていえば、まず序論において研究史を紹介する。本論の構成を少し述べておきたい。\u003cbr /\u003e 第一章では、「殺陣」の語義や語源を辿り、「殺陣」という字がいつから使われるようになったかを述べていきたい。「殺陣」という言葉は、映画に限定されることなく、広く演劇にも使われてきている。映画に先行する演劇の「殺陣」とはどういうものであったのかを見ていくことにする。また、「殺陣」を振り付ける専門職「殺陣師」の出自についても述べておきたい。\u003cbr /\u003e 第二章では、第一章で触れた先行する「殺陣」を参照にし、対象をチャンバラ映画に限定して、チャンバラ映画における「殺陣」の歴史的展開を再構成していこうと思う。まずここでは、映画作品の物語性や社会性から「殺陣」を独立させて抽出し、「殺陣」そのものの変遷を新たな角度からとらえ直し、「殺陣史」の再構成を試みるものである。そして、殺陣の持つ要素を抽出してみょうと思う。また、映画ではないが、TV時代劇における殺陣にも言及しておきたい。なぜなら、現在では、時代劇の市場は映画よりもTVの方が主流になっているからである。そうして、殺陣の要素の抽出により殺陣を構造的に再構築してみたい。\u003cbr /\u003e 第三章では、第二章で再構成した「殺陣史」を踏まえた上で、「黒澤明」を一つの軸として、その前後に起こった「殺陣」の変化や問題点を三つの視点から考察してゆくつもりである。一つは「リアリズム」の問題。日本映画史や時代劇映画史などに目を通していると、必ず「リアル」や「リアリズム」といった言葉にぶつかる。その言葉が何を意味していたのか、とりわけ「殺陣」においてどのような役割を果たしていたのかを考察してみたい。次に扱うのは、映画界の言説に「リアル」という言葉を流行らせたといっても過言ではない「黒澤時代劇]の影響についてである。「黒澤時代劇」といわれるほど特異に扱われている映画を、プログラム・ピクチャアとよんでいいのかは、疑問である。しかし、日本映画を語る上で、黒澤明の果たした役割を無視するわけにはいかない。彼がその後のチャンバラ映画に大きく影響を及ぼした点を、「殺陣」を中心に省察していく。ここで要をなすのは、「身体運用」の問題となる。この視点から、改めて「殺陣」を考究していく。\u003cbr /\u003e これまでは、「殺陣」を俯敵的にとらえて分析を試みてきた。第四章では、個々の映画作品を中心に、具体的に作品の中にあらわれた「殺陣」の変化や意味を、三つの作品を素材にして分析していきたいと思う。まず、『決闘高田の馬場』における「殺陣」がもつ文化史的な意味を考えてみたい。なぜなら『決闘高田の馬場』にみられる阪東妻三郎の1身体運用」は、今の私たちにとってかけ離れてしまった要素を持っているからである。本節では、『決闘高田の馬場』が撮られたときの同時代的な文化の様相を見渡し、映画もまた同じ様な文化的息吹にあったのかを検証してみたいと思う。次に扱うのは、殺陣のシーンが有名であると映画史に名高い『雄呂血』とそのリメイク作品『大殺陣 雄呂血』の比較研究である。『決闘高田の馬場』においては、同時代的な文化をその映像を通して分析した。今度は戦前のチャンバラ映画の隆盛期を引き起こした『雄呂血』という作品と、戦後のチャンバラ映画が衰退していった中で、リメイクが試みられた『大殺陣 雄呂血』を比較することによって、時代を隔てた「殺陣」が何を表したかったのかを探る。最後に、戦前から戦後までシリーズが続き、常に同じ役者によって演じられてきた『旗本退屈男』における「殺陣」の変遷を扱っていく。最初の二作品においては、その時代における「殺陣」を切り取った形で具体的な分析を行ったつもりである。しかし、第二章で試みた「殺陣史」を具体的な事例で検証し、分析していくことも必要であると思う。その為に長寿シリーズとして映画化された『旗本退屈男』を取り上げることにする。この作品を選んだのは、一人の役者によって演じられてきたからこそ、その変遷をたどっていくのにふさわしいと考えたからである。\u003cbr /\u003e 第五章では、製作現場から見た「殺陣」について考えていきたい。ここでは、実際に「殺陣師」として活躍している人々や監督、映画関係者にインタビューを行い、製作する側の考えなどを明らかにしていきたい。\u003cbr /\u003e また、これまで語られてきた言説と、実際に観客が映画に求めている、あるいは映画から汲み取る「殺陣」とを比較検討していくつもりである。それから、外国映画における剣戟シーンとチャンバラ映画における「殺陣」のシーンの比較も行っていきたい。「身体運用」を通して、チャンバラ映画の、そして「殺陣」の展望を予測し、見守っていきたい。", "subitem_description_type": "Other"}]}, "item_1_description_7": {"attribute_name": "学位記番号", "attribute_value_mlt": [{"subitem_description": "総研大甲第733号", "subitem_description_type": "Other"}]}, "item_1_select_14": {"attribute_name": "所蔵", "attribute_value_mlt": [{"subitem_select_item": "有"}]}, "item_1_select_8": {"attribute_name": "研究科", "attribute_value_mlt": [{"subitem_select_item": "文化科学研究科"}]}, "item_1_select_9": {"attribute_name": "専攻", "attribute_value_mlt": [{"subitem_select_item": "03 国際日本研究専攻"}]}, "item_1_text_10": {"attribute_name": "学位授与年度", "attribute_value_mlt": [{"subitem_text_value": "2003"}]}, "item_1_text_20": {"attribute_name": "業務メモ", "attribute_value_mlt": [{"subitem_text_value": "(2017年10月16日)本籍など個人情報の記載がある旧要旨・審査要旨を個人情報のない新しいものに差し替えた。"}]}, "item_creator": {"attribute_name": "著者", "attribute_type": 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チャンバラ映画における「殺陣」
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名前 / ファイル | ライセンス | アクション |
---|---|---|
![]() |
Item type | 学位論文 / Thesis or Dissertation(1) | |||||
---|---|---|---|---|---|---|
公開日 | 2010-02-22 | |||||
タイトル | ||||||
タイトル | チャンバラ映画における「殺陣」 | |||||
言語 | ||||||
言語 | jpn | |||||
資源タイプ | ||||||
資源タイプ識別子 | http://purl.org/coar/resource_type/c_46ec | |||||
資源タイプ | thesis | |||||
著者名 |
小川, 順子
× 小川, 順子 |
|||||
フリガナ |
オガワ, ナオコ
× オガワ, ナオコ |
|||||
著者 |
OGAWA, Naoko
× OGAWA, Naoko |
|||||
学位授与機関 | ||||||
学位授与機関名 | 総合研究大学院大学 | |||||
学位名 | ||||||
学位名 | 博士(学術) | |||||
学位記番号 | ||||||
内容記述タイプ | Other | |||||
内容記述 | 総研大甲第733号 | |||||
研究科 | ||||||
値 | 文化科学研究科 | |||||
専攻 | ||||||
値 | 03 国際日本研究専攻 | |||||
学位授与年月日 | ||||||
学位授与年月日 | 2004-03-24 | |||||
学位授与年度 | ||||||
2003 | ||||||
要旨 | ||||||
内容記述タイプ | Other | |||||
内容記述 | 本論考は、チャンバラ映画の「殺陣」について、その歴史的変遷、および身体運用という観点から論じたものである。「殺陣」は歌舞伎や新国劇、映画やTVといろいろな分野で使われている。殺陣の語源を辿っていくと、古くは能楽から発し、江戸時代後期に広まり、近代に定着した言葉である。その発生を考えると、この言葉が日本文化の中で独自に確立されたと考えられる。いわば、「殺陣」は日本文化の一つの型なのである。<br /> チャンバラ映画と「殺陣」は切っても切れない関係である。何故なら、チャンバラは「殺陣」、言い換えるならば「立ち廻り」を指している言葉であるからだ。<br /> 日本に映画が伝来して以来、大量のチャンバラ映画が製作されてきた。そして多くの観客を魅了してきた。チャンバラ映画の醍醐味はもちろん「殺陣」にある。人々は映画の中で繰り広げられる人間同士の戦いのうちに、身体運用の美しさと、タナトスとエロスがもたらす情念を感じ取っていたのではなかろうか。しかし、チャンバラ映画の「殺陣」について研究されたものがほとんどない。多くの日本映画論や時代劇映画論、日本映画史や個々の作品研究の中に組み込まれた形で、軽く触れられているに過ぎない。物語とは関係ないところで「殺陣」という言葉が使用されており、また「殺陣」を構成する「殺陣師」という専門職まである。このように「殺陣」はチャンバラ映画に欠かすことの出来ない要素であり、その役割を看過することは出来ないと思われる。これまでの映画研究を鳥瞰してみれば、そのほとんどが巨匠の作品であり、批評家の評価が高い作品に集中していると言える。しかし、多くの観客を動員し、魅了し、観客の欲望を反映させていたのはプログラム・ピクチャアであったのではなかろうか。研究対象として大量生産されたこれらの映画群にスポットをあてたいと考える。<br /> 本論考では、チャンバラ映画の「殺陣」に研究対象を限定している。なぜなら、舞台でくりひろげられる「殺陣」は、その場一回限りのものであり、同じ事が二度と繰り返されることはないからである。それに比べて映画は、監督が了承し、フィルムに焼き付けられ、固定され、何度でも同じ「殺陣」を見ることが出来るからである。また、身体運用の文化史的意義を考えたとき、映像によって身体運用の変遷を辿ることができるのも映画においてだけである。<br /> 本論では、従来の文献資料及び映像資料の精査と、殺陣師をはじめとする映画関係者にインタビューを行うことによって、映画を見る側の言説と製作現場の言説とをあわせて、「殺陣」とは何かを考究していきたい。<br /> 本論考の構成についていえば、まず序論において研究史を紹介する。本論の構成を少し述べておきたい。<br /> 第一章では、「殺陣」の語義や語源を辿り、「殺陣」という字がいつから使われるようになったかを述べていきたい。「殺陣」という言葉は、映画に限定されることなく、広く演劇にも使われてきている。映画に先行する演劇の「殺陣」とはどういうものであったのかを見ていくことにする。また、「殺陣」を振り付ける専門職「殺陣師」の出自についても述べておきたい。<br /> 第二章では、第一章で触れた先行する「殺陣」を参照にし、対象をチャンバラ映画に限定して、チャンバラ映画における「殺陣」の歴史的展開を再構成していこうと思う。まずここでは、映画作品の物語性や社会性から「殺陣」を独立させて抽出し、「殺陣」そのものの変遷を新たな角度からとらえ直し、「殺陣史」の再構成を試みるものである。そして、殺陣の持つ要素を抽出してみょうと思う。また、映画ではないが、TV時代劇における殺陣にも言及しておきたい。なぜなら、現在では、時代劇の市場は映画よりもTVの方が主流になっているからである。そうして、殺陣の要素の抽出により殺陣を構造的に再構築してみたい。<br /> 第三章では、第二章で再構成した「殺陣史」を踏まえた上で、「黒澤明」を一つの軸として、その前後に起こった「殺陣」の変化や問題点を三つの視点から考察してゆくつもりである。一つは「リアリズム」の問題。日本映画史や時代劇映画史などに目を通していると、必ず「リアル」や「リアリズム」といった言葉にぶつかる。その言葉が何を意味していたのか、とりわけ「殺陣」においてどのような役割を果たしていたのかを考察してみたい。次に扱うのは、映画界の言説に「リアル」という言葉を流行らせたといっても過言ではない「黒澤時代劇]の影響についてである。「黒澤時代劇」といわれるほど特異に扱われている映画を、プログラム・ピクチャアとよんでいいのかは、疑問である。しかし、日本映画を語る上で、黒澤明の果たした役割を無視するわけにはいかない。彼がその後のチャンバラ映画に大きく影響を及ぼした点を、「殺陣」を中心に省察していく。ここで要をなすのは、「身体運用」の問題となる。この視点から、改めて「殺陣」を考究していく。<br /> これまでは、「殺陣」を俯敵的にとらえて分析を試みてきた。第四章では、個々の映画作品を中心に、具体的に作品の中にあらわれた「殺陣」の変化や意味を、三つの作品を素材にして分析していきたいと思う。まず、『決闘高田の馬場』における「殺陣」がもつ文化史的な意味を考えてみたい。なぜなら『決闘高田の馬場』にみられる阪東妻三郎の1身体運用」は、今の私たちにとってかけ離れてしまった要素を持っているからである。本節では、『決闘高田の馬場』が撮られたときの同時代的な文化の様相を見渡し、映画もまた同じ様な文化的息吹にあったのかを検証してみたいと思う。次に扱うのは、殺陣のシーンが有名であると映画史に名高い『雄呂血』とそのリメイク作品『大殺陣 雄呂血』の比較研究である。『決闘高田の馬場』においては、同時代的な文化をその映像を通して分析した。今度は戦前のチャンバラ映画の隆盛期を引き起こした『雄呂血』という作品と、戦後のチャンバラ映画が衰退していった中で、リメイクが試みられた『大殺陣 雄呂血』を比較することによって、時代を隔てた「殺陣」が何を表したかったのかを探る。最後に、戦前から戦後までシリーズが続き、常に同じ役者によって演じられてきた『旗本退屈男』における「殺陣」の変遷を扱っていく。最初の二作品においては、その時代における「殺陣」を切り取った形で具体的な分析を行ったつもりである。しかし、第二章で試みた「殺陣史」を具体的な事例で検証し、分析していくことも必要であると思う。その為に長寿シリーズとして映画化された『旗本退屈男』を取り上げることにする。この作品を選んだのは、一人の役者によって演じられてきたからこそ、その変遷をたどっていくのにふさわしいと考えたからである。<br /> 第五章では、製作現場から見た「殺陣」について考えていきたい。ここでは、実際に「殺陣師」として活躍している人々や監督、映画関係者にインタビューを行い、製作する側の考えなどを明らかにしていきたい。<br /> また、これまで語られてきた言説と、実際に観客が映画に求めている、あるいは映画から汲み取る「殺陣」とを比較検討していくつもりである。それから、外国映画における剣戟シーンとチャンバラ映画における「殺陣」のシーンの比較も行っていきたい。「身体運用」を通して、チャンバラ映画の、そして「殺陣」の展望を予測し、見守っていきたい。 | |||||
所蔵 | ||||||
値 | 有 |